#19 少女の忘れ物
ザアアッ、風が吹いた。
「……このあたりのはずだよな」
エアハルトは一人、森の中に立っていた。
そこは、エアハルトとルカが初めて会った森。ルカに言われた「宝物」が気になり、ここまで来たのだった。
「ルカの話だと、ヌラヨカチの木がこの近くにある……。そしてその下に、ルカの言っていたものが、おそらく」
エアハルトは、大きく息を吸った。吐いた。
「……たしかに、ありそうな気はする」
空気に混じった、匂いを始めとする微妙な感覚が、エアハルトにその結論を告げさせた。
「探すか。《察知》」
目をつむり、感覚を研ぎ澄ます。微かな感覚の、その源流を探る。
風に尋ねる。匂いの向きを。ヌラヨカチの、匂いを。
「こっちか……」
エアハルトは、向いた。
そして、歩き始めた。
風が、落ち葉を落とした。
「ヌラヨカチの木……マジでありやがった」
周りの木と、わずかに違う樹木の肌。独特の匂い。ヌラヨカチの木のものだった。
その木の根元、エアハルトは目を向ける。
木の葉が積もり積もっている。
「風よ――」
柔らかな風が吹く。エアハルトが腕を振るうと指で弾かれるようにして空気が大きく動く。
木の葉が舞う。
「……うん? あれか?」
木の葉が吹き飛ばされるその中、風で全く動かない物があった。
視界を遮る木の葉が無くなり、ついにその姿が露わになる。
「あの見た目、本か? それにしては随分と大きくて重そ――」
エアハルトは目を見張り、息を呑んだ。なぜ、こんなものがここにある。
本だった。掠れているその表紙には「植物図鑑」と。
「とりあえず、だ」
見たところ、雨風でそれなりに風化している様子だった。
久しぶりで、できるかはわからないけれど。エアハルトは手を図鑑に近づけた。
回復魔法は、本来生物の自然治癒力を強制的に引き出して、回復を促進させるものだった。
だから、無機物の状態をもとに戻すことはできない。
「《修復》」
けれど、たしかに《修復》は回復魔法の一種だった。
エアハルトの声とともに、図鑑は暖かな光を纏う。
表面についていた汚れ、傷、歪み。いろいろなものが消えてゆく。
エアハルトの使った《修復》は回復魔法でありながら、対象を無機物に取る、変わった魔法だった。
その本質は《大治癒》のような大規模な回復魔法が持つ、時間逆行能力を抽出し、それのみを扱うことである。
《大治癒》は《治癒》でまかないきれないような重大な怪我などに対応するための魔法だった。緊急性を伴うことも多くあり、そのため「損傷を受ける前の状態に戻す」という性質が要求された。これが、時間逆行能力だった。
ただ、この《修復》。もとよりかなり大規模な魔法である《大治癒》をもととしている。つまり、
「くっそ、めちゃくちゃ腹が減った」
燃費が、非常に悪い。
エアハルトは、カバンからパンを取り出した。
(……それにしても、どういうことなのだろうか)
なぜ、ルカが植物図鑑を持っていたのだ。エアハルトの中で、疑問は膨らむばかりだった。
「戻ったぞ」
エアハルトはそう言うが、返事はまったくない。ただ、心配する様子はなかった。
わああああああ! という声が聞こえてくる。
「やってるな」
庭の中で、走り回るルカ。
……と、カカシ。
ぴょうん、ぴょうん。木で作られたカカシは跳ねながらそこいらを動き回っていた。ルカはそれを追いかける。
「お花ちゃん、やっちゃって!」
ルカの腕に巻き付いた、細かな花弁が大量についた花が体を起こした。
花は、その体を揺らして花弁を撒き散らす。
パンパンパン! 花弁は軽やかな音を立てて破裂する。カカシはそれを難なくかわす。
「もー! なんで当たんないのー!」
ぴょうん、ぴょうん。嘆くルカの前で、カカシは飛び跳ねる。まるで煽るように。
「もー、今度こそー!」
「ルカ、帰ったぞ」
「あ、エアハルト! おかえりなさい!」
やっとエアハルトに気づき、ルカはエアハルトに駆け寄る。ぎゅうっと抱きつく。
「ありがとうな、カカシ」
エアハルトがそう言うと、カカシはペコリと頭を下げた。
エアハルトがでかけている間、ずっとルカの相手をして、かつ魔法を使う上で危ないことをしていないかの監視をしてくれていたカカシだった。
パチンと指を鳴らすと、ピタリ、カカシは動きを止めた。
「あのね、あのね、音花の練習してたんだけどね、ぜんっぜん当たらないの。一回も!」
「そうだなあ、まあカカシはなかなか当たらないようにしてたんだが、一発も、か」
ふむ、と顎に指を当てて考え込む。
考え込む中で、ふと思い出した。
「忘れてた。これか?」
カバンから取り出したのは、先程拾ってきた植物図鑑。
「あー! そう、これこれ!」
「見つかってよかった。ほら、返す」
エアハルトからルカが本を受け取ると、ぎゅとそれを抱く。
「良かったー、もう見つかんないかと思ったよー」
「その本、どうしたんだ?」
「これ? お母さんがくれたの。読んで、覚えなさいって」
…………どういうことだろうか。エアハルトは思った。
エアハルトは最初、ルカを口減らしなのではないかと思った。まともな食事ももらえていないようだったし、捨てられていたわけだし。
ただ、食事なんかよりも遥かに高額を誇る、図鑑。それを与えられていた……?
ルカは、本当にただ捨てられただけなのだろうか。エアハルトの中で違和感が加速した。
「そ、うか。それは、大切な宝物だな」
「うん!」
エアハルトは、うまく笑えているか不安になったという。
「……ああ、そうだ。音花の練習、その結果を見せてもらってもいいか?」
「いいよ、任せて!」
とてて、と。ルカはエアハルトから少し距離をとった。
「おいで、《音花》!」
ぴょこん。ルカの腕に巻き付くようにして花が咲く。黄色い、たくさんの花弁の花。
「発射!」
その言葉に、花は大きく揺れた。花びらは真っ直ぐ前に飛んでいく。
パパパン! パパパン! 盛大な音が鳴る。
音花な比較的安全な魔法だった。発生するのは僅かな衝撃と、大きな音。牽制用に使ったり、あるいは(めったに使われることはないが)パーティーのような場で驚かせるために使ったり。
そして、成長させることで本格的な攻撃魔法である《破裂花》や《爆弾花》に転じさせることもできる。魔法の練習にもなるし、先の魔法にも繋げられる、割と便利な魔法だった。
「音は……うん。今朝教えた魔法とすれば、絶大な成長だな。合格点だ。さすがは自然系の適正というところか」
「やったー!」
さて、そろそろ考えていかないとな。
旅行計画。どうするか。エアハルトの顔が、少し少年じみていた。




