#172 積み重なって撚り集まって
ゼラウスの放つ気配に、あたりの空気が凍りついたかのように感ぜられる。
いや、違う。感覚や比喩ではなく。文字どおり、凍りついた。
ゼラウスの能力。自身との境界を曖昧にするというそれにより、周辺の空間を自身の領域だと認識し、支配下に置いた。
エアハルトたちも、魔法使いとしての能力があるために完全に動きが封じられたというわけではないものの。しかし、魔力が欠如しているような状態では、支配を振り切り満足に動けるようなものではない。
もちろん、この技のデメリットもありはする。周辺を自身であると認識するという都合、攻撃を受ける可能性が高くなる。単純に的が大きくなるということもそうだし、攻撃をかわそうとすると、すなわち制圧しているエアハルトたちを解放することとなりかねない。
だが、周囲にはエアハルトたち以外の魔法使いはいない。そして、エアハルトたちはこうしてゼラウスが抑え込めている。
「……全く。手間をかけさせられたものだ」
遠巻きでは、向こうでなにやらやっていた人間たちの一件が収束したのか。大きな魔力が爆ぜたのがわかる。まあ、ゼラウスにとっては正直どうでもいい。どのみち、あっちも全部殺すだけだ。
むしろ、消耗してくれた様子でありがたい間である。精霊族もいたようだから、制圧には手こずると思っていたが。これは、存外に良い方向に状況が傾いていそうだ。
「まあ。とりあえず、お前たちを殺してから考えることとしよう」
そう言いながらに、ゼラウスがエアハルトに向かう。現状、実直な直剣を持っているコイツが一番厄介だ。
しかし、あのローレンとかいう男もなかなかに采配を間違えたものだ。たしかに素の状態のエアハルトも強くはあったが、それでも魔力がまだ残っていたローレンのほうが強かっただろう。
まあ、そうは言っても、魔力の削り合いにしかならず、最終的にはゼラウスが勝っていただろうが。
そんなことを思いながらにエアハルトに対面すると。しかし、恐怖に染まっていると思っていたその表情は。嫌に落ち着いていた。
その様子に妙な違和感と、そして嫌悪感を覚える。なんだ、その表情は。
まるで、負けてないとでも言うような。
むしろ、勝ったと確信したかのような。
「俺は、不運というものは、都合が悪く積み重なるものだと思っている」
「……は?」
今の状況について、自己判断でもしているのか、と。
たしかにゼラウスから見たエアハルトの状態は不幸が積み重なっていると言えるだろう。
魔法使いという排斥される存在になってしまったこと。それでいながら、自身の想いや行動とは裏腹に、人間にも魔法使いにも嫌われていること。
それでもふたつの存在を繋ぐために戦争を止めにかかり、なんとかしたかと思えば、そこに悪魔が参入していて。そして、それにより現在、殺される直前。
不運、不幸。そういうものが正しく積み上がった状態と言えるだろう。
まあ、だからと言って、ゼラウスが同情するわけもないが。
「それと同時に。幸運というものも、積み重なるものだと思っている」
「戯言もそのあたりにしておけ。最後の言葉が不格好になるぞ」
「……いいや、最後にはならないさ」
エアハルトの強がりに眉をひそめながら。しかしゼラウスは、エアハルトを殺すために彼の顔へと腕を伸ばして。
その瞬間。強烈な、嫌な予感が身体中を刺激する。
予感の正体は、すぐそばに。
自身の目の前。動けないはずのエアハルトが、動いている。
いや、動いているというには本当に微々たるもの。たが、それ以上に厄介なのが。
ヤツが、魔法を練り上げている。
魔力が尽きていて、火弾すら使えなかったはずのエアハルトが。
「なっ、貴様ッ――」
だが、気づいたときには。もう遅かった。
魔法は、既に完成間近。対してゼラウスは魔法使いたちを全員抑えるために、自身の存在を拡大している。
それらの存在を曖昧にして、無いものとして扱うには時間がかかる。その前に、至近の魔法が完成する。
「しかし、間違いなく先程までのお前は、魔力が尽きていて――」
「……弟子にして、雇い主から。思いがけない魔力の供給があったもんでな」
偶然といえば、偶然ではあるし。必然といえば、必然なのかもしれない。
奇跡とは、往々にしてそういうものであると、思う。
たしかに、エアハルトのこれまでの人生には不運が積み重なっていた。それは、確かなことではある。
実の母から殺されかけたり、制御できない力のままに、仲が良かったはずの村の仲間全員を手にかけることになったり。
人間と魔法使いという、ふたつの派閥のその狭間で、どちらにも属すこともなく居続けることになったり。
因果応報なこともあれば、天災のように振りかかってきたこともある。だが、たしかに不幸と呼んで差し支えのないことではあった。
だが、転機があった。
それは、ルカと出会ったあの日。
まるで、時計の歯車が回りだしたかのように。
たったひとつのパン。その細い関係性が。しかし、たしかに繋がったそれらが。
撚り集まり、一筋の線となって。
そして、この戦場に繋がった。
彼女がいなければ、両軍の衝突を防ぐ壁は決壊していただろう。
戦争を忌むものたちの抵抗が無ければ早期の制圧は叶わなかったし、そうなればメルラが危うかった。
ローレンやマルクスの対処が間に合うかも微妙だったろうし。魔人に対抗することができたかも怪しくなる。
つい先刻、ルカが守ったのであろう、人間側での魔力の炸裂についても、止めるすべがなかったかもしれない。
けれど、数多の細い可能性たちが。ルカというたったひとりの少女に繋がり。
エアハルトという人物に、幸運を齎した。
そう。それこそ。
純粋魔力の炸裂による、高濃度の魔力の大気拡散という事象についても。
魔法陣が割れたのならば、割れたそばから繋いでいけ。
この状況になると、先に途切れた方の負け。どちらが先に途切れるかが不明な以上、変な話ではあるが、消耗戦はエアハルトにとっても、ゼラウスにとっても、不利を取る。
ゼラウスにダメージを与える方法は、先程、ローレンとヴェルズが教えてくれた。
まず、全てを捻じ曲げて斬りつけることができる、理不尽。
そして、正攻法。ゼラウスが攻撃を仕掛けようとしているとき。
攻撃の瞬間まで、自身の存在の境界を曖昧にすることはできない。
存在しないのならば、影響できないからだ。
そして、エアハルトの窮地だと見たゼラウスは、最至近まで接近し。その実体を存在するものに変化させた。
そして、その瞬間に――、
「《過式強化律》《豪爆重弾烈》ッ!」
全力の強化の上から、全力の攻撃をぶつける。
吹き飛ばされるゼラウス。
瞬間、エアハルトたちを覆っていた空間の停止が解除される。
「……まあ、さすがにこの程度で死ぬわきゃねえよな」
ゆらり、と。不気味な足取りでゼラウスが立ち上がってくる。
耐えてくると認識していたからこそ、全力の攻撃をぶつけていた。
ローレンから託された実直な直剣を構える。
これが有効打だと認識していたからこそ、ゼラウスが警戒を強めているのがわかる。
「メルラ、いけるか」
「うん、大丈夫。……もしだめでも、やる」
メルラもゆっくりと立ち上がりながら、先刻と同じく時計仕掛けの舞台装置をかけてくれる。
ゼラウスの現状的に、メルラの協力は不可欠だ。
しかし、同時にこれは、時間制限でもある。
「残りの魔力的に、随所随所でしかサポートできない」
「ああ、それで問題ない」
偶然の産物で魔力が回復したとはいえ、依然として心許ないのには変わりはない。
文字どおり、これが最後のチャンス。
「行くぞ、メルラ」
「任せて、おししょー」
不服そうな表情を浮かべるゼラウスに。エアハルトは、実直な直剣の切っ先を向けた。




