#171 分かつ一瞬
ゼラウスの手がエアハルトの顔へと伸びた、その瞬間。
「《炎弾》!」
ゼラウスの腕を、飛んできた火球が弾き飛ばす。
ゼラウスはもちろん、エアハルトも目を丸くして驚く。
エアハルトは、当然使っていない。その魔力が残っているのならば魔法の崩壊の始まりが一瞬遅れていただろう。
同様に、メルラも使っていない。時計仕掛けの舞台装置がエアハルトの膨大な魔力を魔力連鎖によってタンクのように行使することで成立させていた魔法である以上、エアハルトの魔力の枯渇はすなわちメルラの魔力の枯渇でもある。
ならば、その炎弾を放っていたのは――、
「……ウェルズ」
「へへっ、魔力管理はしっかりしろって滾々と説教をのたまっていたアンタがそれじゃあ形無しだな」
したり顔の、後輩がそこにいた。
そんな彼は「まあ、俺も今のが最後の一発なんで、なんも言えないんすけどね」と、小さく笑う。
「俺が稼げたのは一瞬です。あとは頼みましたよ、先輩たち」
「はん! 高々一瞬だろうが。魔力切れのエアハルトにその一瞬を与えたところでなにも変わらないだろう!」
ゼラウスが大きく鼻を鳴らす。
しかし、彼が言うのもまた事実。いくらエアハルトとて、なにもなく、今の一瞬だけで魔力を回復させるのは不可能。それこそ、今の《炎弾》すら使えない。
メルラだって、同様。
だが――、
「その一瞬があったからこそ。僕が間に合う。だから無駄じゃあないさ!」
やけに明るい声が届く。魔法使いでありながら騎士のような相好、その手に握られているのは実直な直剣。
ローレンが、稲妻のごとく駆けつけて。ゼラウスの身体を斬り払う。
先程と同様、ゼラウスはその身体の存在自体を曖昧にして、その攻撃を躱す。が、
それでもなお、実直な直剣はゼラウスの身体を斬りつける。
「ぐっ、小賢しい真似を」
「どちらかというと、むしろ僕は正々堂々とやってるつもりなんだけどね」
理不尽には、理不尽をもって対処をする。先程、エアハルトとメルラの時計仕掛けの舞台装置に対して、ゼラウスが自身の能力でそうしたように。
ゼラウスの能力には。ローレンの実直な直剣。その、使用者の真っ直ぐな想いに比例して斬れ味が増し、魔法さえも斬り裂くという、その性質でねじ伏せた。
「……でも、ダメだね。力量差が激しい。斬れはするけど、かなり軽減されてる」
ともすれば、腕すら斬り飛ばすという勢いで振ったというのに、肉が多少裂けた程度である。
「いや、どんな勢いでやろうとしてるんだよお前」
「半端な火力じゃ通用しないと思ったからね。……まあ、案の定どころか、それでもなお、通用してないみたいだけど」
とはいえ、今のところまともにダメージが入っているのはウェルズの奇襲を除けばローレンの実直な直剣だけである。
事実、ゼレウスは恨めしそうに実直な直剣を睨めつけている。
「しかし。基本的には相互の過干渉はしない、という魔法使い連合の前提があったとはいえ。あんなものが裡に入り込んでいたとは。僕らの失態だね」
「……よほどうまく隠れていたみたいだな。まあ、そもそもセルバが出張ってくることが珍しいってのもあったのかもしれないが」
「それで。どうするの? セルバも、助けるの?」
「…………」
ローレンからの問いに、少し悩む。
この戦いに於いて、命を落とすような自体は避けるべきだ。なにせ、エアハルトは人間と魔法使いの軋轢を取り払うためにここにいる。
たとえ、落ちた命がセルバのものひとつであったとしても。曲がりなりにも魔法使い連合のトップの命。命に貴賤がないという建前を用意したとしても、彼らからしてみれば他の命が散るよりも圧倒的に心象が悪い。
手にかけたのがエアハルトだとはいえ、特にそういうことを気にする手合いはそもそもエアハルトのことを人間に味方する裏切り者の魔法使いとして認識していることが多い。
そういう意味では、やはりセルバは助けたい。
だが、そうすることは現状でも苦戦を強いられている現状に、さらなる課題を上乗せするようなものだ。
セルバひとりを殺してしまえば禍根が残るに留まるが。セルバを助けようとしてゼレウスを撃ち漏らすようなことがあれば、下手をするとこの場の全員が死にかねない。
それだけは、エアハルトも、ローレンも。避けなければならない。
だからこそ、ローレンは問う。エアハルトの覚悟を。
「できるならば、助けたい」
「手立ては」
「……無くはない」
正直なところ、失敗する確率も十二分にある。だが、ないわけではない。
特に、先程までの魔人とは違って、ゼレウスはセルバに取り憑いてかなり長い。
癒着も激しいだろうし、吸血で果たしてどこまで吸い出せるかということも疑問点だ。
けれども。先刻、一撃で行動不能にしようとまでしていたローレンが、こうして尋ねてきているように。
ウェルズも横になったまま、ゼレウスへと視線を向けているし、メルラもフラフラとしたままではあるが、なんとか立ち上がる。
誰ひとりとして、諦めていない。ならば、エアハルトが諦めるわけには行かない。
「やるんだな。エアハルト」
「……ああ、やってやる」
「そうか。……それなら、その直剣は君に託すよ」
そう言いながら、ローレンは、現状強引にダメージを与えることができる唯一の手段であろう実直な直剣をエアハルトに渡す。
「はっ。唯一の武器を魔力も尽きた魔法使いに渡すとは、余程の阿呆と見える!」
事実、今現在の行動の可能値でいえば、ローレンのほうがよほど万全に動ける。
そういう意味では、愚策と言えるだろう。
「でも、僕はセルバを助ける手立てがないからね。君のことをセルバ諸共殺さざるを得なくなる。その点、エアハルトならいい感じにやってくれるだろうと思うからね」
「なにかと思えば、随分と舐めてくれるものだな。人数が多少増えて気でも大きくなったか? まともに動けるのもほぼいないくせに」
面白くないとでも言いたげな表情で、ゼレウスはそう言う。
「それに。この身体の人間のことを助けるとか助けないとか話してたみたいだけど。大前提を忘れてないかな。そもそも、それって俺に勝てないと始まらない話だよね?」
セルバとゼレウスの癒着がどうの、殺してしまうか救いにかかるとか。そういうことも全部、ゼレウスに勝てないとなにも起きない。
「俺に勝てる気でいるだなんて、思い上がりも甚だしいね」
「それならひとつ。僕の方からも補足させてもらうね。……ゼレウス、たっけ。君も、ひとつ勘違いをしているよ」
ローレンは、努めて爽やかなイケメンフェイスを維持したままで、言葉を紡ぐ。
「君こそ、エアハルトのことを舐めないほうがいい。彼の強さは本物だよ。なにせ――」
パチン、と。その片目でウィンクを弾き出しながらに。
「僕が認めた、唯一のライバルだからね!」
「……はあ?」
どこに根拠があるのだと言いたくなるその物言いに、ゼレウスが呆れた素振りを見せる。
が、その瞬間。
「――ッ!」
行動に、虚を突かれたというのは否定しない。
だが、実直な直剣を携えたエアハルトが、いつの間にか既のところまで詰めてきており。
ゼレウスは、それを間一髪で躱さざるを得なくなる。
警戒はしていた。だが、検知が遅れた。
なぜか、は。すぐに理解する。
エアハルトが、魔力での身体強化――抜きで、この動きをしている。
当然だ、魔力が残ってないのだから。
だが、それでここまで追い詰められるとは想定外だ。
都合、先程よりも動きは遅いが。まさか、魔力切れをしているくせにここまでされるとは。
だが、返して言えばこれ以上はない、ということでもある。
(……しかし、厄介極まりないな。コイツら)
ゼレウスは、内心で悪態をつく。
挑発まがいなことはしてみたものの、本当に、面倒極まりない。
既に使い物になっていない後方の魔法使いはともかく、今の動きをしてくるエアハルトと、すぐ横で控えているローレンが面倒だ。
うまく、早々に片付ける必要があるだろう。
「お遊びはここまでだ」
ゼレウスがそう言うと。すう、と。周りの空気が停止したかのような、そんな感覚があたりに広がっていった。




