#166 前を向くために
「ありがとう、アレク! おかげで、みんな助けられた!」
最後の車両の鎖を叩き割ったのち、顔を出したルカがそう叫ぶ。
遠巻きではあったものの、アレキサンダーが安堵の表情を浮かべたのがわかる。
彼の演説が、人々の動きを止めてくれた。
それがなければ、もっと大変だったろう。
ひとまず、ルカの視界と魔力探知で確認できる範囲は、全て助け切れた。
ルカには、手の届く範囲しかできないけれど。でも、その手の届く範囲は、助けることができた。
その事実が、ほんの少しだけ、ルカの心を暖かく守る。
人々の間には、未だ動揺が見られる。
無理もない。そもそも、今までの全ての前提を崩す事実を投げ込まれても、すぐに理解などできようものではない。
特に、ここには多くの人がいる。中には、魔法使いによって甚大な被害を与えられたという人も少なくないだろう。感情では、理解したくないはすだ。
だがしかし。それと同時に、理性ではアレキサンダーの言葉が理解できてしまい。それに伴う証拠をルカが提示しているからこそ、ふたつの感情に板挟みになり、どうするべきかと悩んでしまう。
ここからだ。ここから、少しずつ。一歩ずつ。
わずかだけれども、歩み寄る余地ができた。
長年の軋轢、深すぎる溝を埋めるには、まだまだ理解は足りないけれど。
きっと、気が遠くなるほどに遠い道のりだけれども。
でも、その一歩は、確実に踏み出せたから。
だから――、
「ッ!?」
突如として現れた、猛烈な魔力の気配に、ルカは、思わず目を剥く。
魔法使いが捕らえられていた車両からは、全部助けたはず。
その魔法使いが暴れだしたのかとも一瞬思ったけれども、生命を魔力に変えなければならないほどに魔力を強引に吸い出されていた彼らに、これの程の魔力の残余はないだろう。
じゃあ、これは――、
* * *
「チッ、面倒なことを」
男は、舌を打ちながらにながらに悪態をつく。
アレキサンダーの言葉により、警備隊の人員や軍の隊員はおろか、私的な感情として魔法使いに対する嫌悪を抱いている割合の多い冒険者や傭兵といった人員までもが、自身の行いに対して迷いを抱き、躊躇いを持ってしまっている。
せっかく、これまで作り上げてきた魔法使いという、敵に対する刃が、毀れてきてしまっている。
これは、非常にマズい。
今まで、魔法使いという敵を叩くためにアレコレと言葉を立てて無理やりに理由をつけて。
今回の戦争にしても、その発端を無から作り上げている、ということについてはまだいい。
無論、問題になるか否かでいえば、問題にはなるだろうが。しかし、それこそアレキサンダーが言っていたように、不理解、不寛容からくる溝を盾にすれば誤魔化しが効く。
だが、魔法使いを敵視していたその理由、魔法使いの隷属化に強引な正当性を持たせるためのものであるというその点が暴かれたのが非常にまずい。
なによりも厄介なのが、この場にその証拠があるということだった。
証拠がなければ、まだ言い訳の余地がありはしたが。しかし、現にここにあってしまっている。
王子の言葉と、それを裏付ける証拠。
それらが、大量の人間の前に晒されてしまっている。
こうなってしまっては、取り繕ったところで意味は成さない。むしろ、人によっては隠そうとしていることから却って疑いを深めてしまうことになりかねない。
事実、隠したい事実であるから、なにも言い返せないのだが。
しかし、そうなってしまっては、今までこの計画を指揮していた自分たちの立場も危うい。いや、立場どうこう以前の問題だろう。
下手をすれば、叛逆者、大罪人として吊るしあげられる可能性まである。
そんなことに、なるわけにはいかない。
だが、この場にいる全員を説得することは不可能。ひとりにでも説得が失敗すれば終わり、また、逃げられてしまっては話にならないし。そもそも、この人数だ、そんな時間もない。
その上、告発を行っていたアレキサンダーや、その協力者であろう魔法使いの少女。アレキサンダーに味方をしている様子のマルクスたちのこともどうにかしなければならない。
そして、体裁上で現在戦争を行っている魔法使いたちや、なぜかその間に割ってきている精霊たちにも対処しなければならなくて――、
「クソッ」
あまりにも、やらなければならないことが、多すぎる。
ひとまず、優先順位をハッキリとさせよう。
確実に対処しなければならないのは、目の前の人間たちへの対策。そして、アレキサンダーと魔法使いの少女たちの始末。
これらを放置することだけは、絶対にできない。
それに必要な、もっとも合理的な手法は――、
「……全員の口を、封じればいい」
どのみち、アレキサンダーや魔法使いの少女も殺さなければならないのだ。
なれば、その他の手合もすべて、もろとも殺してしまえば、一度に全ての口封じができる。
もちろん、そうなれば魔法使いや精霊たちと戦争を継続することは不可能になるので、一旦敗走という形を取らなければならなくなるが。しかし、最悪は回避できる。
もちろん、男には魔法の心得などはない。魔力を扱える技術もない。
だが、先刻まで魔導車両に繋いでいた魔法使いたちから絞り出していた魔力のストックならば、ここにある。
魔導車両からの砲撃として、小出しにしていただけでも十分な威力はある。
これを人間たち、そしてアレキサンダーや魔法使いの少女に向けて放てば、一気に掃滅させることも可能であろう。
成功すれば、残る痕跡は魔法による破壊の痕。うまく、利用することもできるだろう。
もちろん、扱い方を十分に理解しているわけではないから、暴発するリスクなどもある。
しかし、どうせなにもしなくてもおしまいなのだ。
ならば、最悪でも道連れにしてやろう。
良ければ打開。悪くとも道連れ。
そんな、狂気とも取れる精神状態で、男は蓄積された魔力に手をかけていた。
* * *
「ルカ、アレは流石にまずいぞ!?」
尋常でない量の魔力を察知したゼーレが、ルカのもとに急いで駆け寄る。
あまりにも、強大で膨大な魔力。
その出口が開かれようとしている。
それも、制御なんて知ったことない様子で。
あの様子では、いつ暴発してもおかしくない。
仮に暴発しなくとも、あれだけの魔力が放たれれば、純粋魔力によるエネルギーで辺り一帯が破壊しつくされかねない。
それも、純粋魔力というのが非常に厄介である。
なにせ、特定属性の魔法による相殺が不可能である。
「全員の退避……は、無理」
ここから全員が逃げ出すよりも早く、あの魔力が形を成し、破壊の限りを尽くすだろう。
ひとりふたりであれば、固定座標への転移に巻きこめば脱出できなくもないが、ここにいるのはその比ではない人数。
退避は、不可能。ならば、
「……《魔装:願いの結晶》」
「ルカ、流石に無茶だッ!」
ゼーレとて、先刻に願いの結晶の性能は見ている。たしかに、あの防御力を、そして可変性もってすれば、守れるのかもしれない。
だが、それと同時に、ゼーレはこの魔装具の異常性も見ている。とてつもないレベルの硬度を持ちながらに、通常ではありえないレベルでの可変性を持つ。
説明されずとも、おそらくそれが遺物魔法であろうことは察知していた。
そして、遺物魔法の多くは、必要とする魔力の量が多い。例外もあるが、少なくとも現状での使用コストが不明瞭な願いの結晶を、異常な規模で強引に行使するのは危険が過ぎる。
魔力量だけならば、魔力連鎖が組まれている現状、足りるかもしれない。
だが、それを放出するのは、ルカひとりの身体になってしまう。
彼女の魔力腺がイカれてしまう可能性の方が圧倒的に高い。
だから――、
「でも、守らないといけないの!」
誰のため、と言われれば。きっとそれは、自分のためなのだろう。
ルカは、信じている。
信じたいのだ。
「魔法は、とっても素敵なものなんだって。決して、誰かを傷つけるためのものじゃないんだって!」
ここで、この魔力を暴発させて、多くの人巻き込んでしまっては。また、人々と魔法使いの間に溝が生まれてしまいかねない。
せっかく、アレキサンダーが埋めた、その溝が。より深くに刻まれかねない。
それだけは、起こしてはいけない。
「ああ、もう。エアハルトといい、ルカといい。なんで私の関わる魔法使いは、大馬鹿野郎が多いんだろうね! ……そして、それに賛同してしまう私や、他の精霊たちも、また大馬鹿野郎だ」
どこか諦めたように、しかし、笑顔を浮かべながら。ゼーレがそう言う。
直後、尋常でない魔力が沸き上がってくる。
「精霊全員の魔力を、全て預ける」
それは、自分たちの退避に必要な力すら、譲渡するという意味であって。
「しっかりと前を見据えて、守るものを守ってきな!」
「うん!」
全力で、駆ける。
魔力の発生源。今にも暴発しそうになっている爆心地へ。
ルカが失敗すれば、アレキサンダーが、ゼーレが。マルクスが、テトラが。人間たちが、精霊たちが、死んでしまう。
だから、なにがなんでも。
守る。
「《願いの結晶――」
握りしめる結晶に呼びかけると。それに応えるようにして、その形を変化させていく。
大きな、白銀の盾。
その姿はどんどんと、大きく広がっていって。
魔力が爆ぜるが先か。
「《神盾》ッ!」
守るが先か。




