#154 奇跡への一石
「…………木? なんだ、あれ」
戦場に、困惑の声が漏れ出す。
唐突にその姿を表した、あまりにも巨大な樹木。
人間も、魔法使いも。そんな突然の出来事に困惑をする。
……が、すぐさま気を持ち直す。
そもそも、現在は戦争の真っ只中。そういった一瞬の気の緩みが自身の死を近づけかねない。
誰もがそれをわかっている。そもそもこの樹木だって、敵陣営がこちら側の集中を削ぐために喚びおこしたのかもしれないのだ。
無論、現実にはどちらの陣営でもないルカが成した魔法によるものなのだが。
「それよりも、ずっと邪魔していた透明の壁がなくなったぞ! 今が攻め込みどきだ!」
叫ぶ声が、陣営の士気を上げる。
謎の闖入者によって、両軍を分断していた壁。攻められることもないが、攻めることもできなかったそれが、ついに取り払われた。
今こそ、改めて戦争が始まったときだ、と。
我々こそが正義であり、対立陣営こそが悪であると。そう、証明しようと。
両陣営が息を巻き、攻めこもうと。
突然に現れた樹木のことなど既に頭の中から抜けて、目の前の敵に集中しようとした、そのとき。
バタリ、と。隣にいたはずの彼がその身体を地に臥せった。
「……は?」
当然、疑問と困惑。
なぜ、同士が倒れたのか。
攻撃を受けたわけではない。まだ接敵できるほど近づいてはいないし、遠隔でなにか飛んできた、というような様相でもない。
当然、見たところの外傷もない。だが、突然に気絶をするかのように隣の彼が倒れ込んだ。
いや、彼だけではない。周りの皆が、バタリバタリと倒れ込んでいく。
「お、おい! どうしたんだ、大丈夫か!?」
戦場では隣の人物を気にしている余裕など、本来ならばない。そんなことは、彼自身も承知だった。
だが、なにが起こったのかがわからない状態では、行動すらも危うくなる。
幸いというべくか、敵陣営はまだ少し先。なにやら、あちらでもトラブルが起こっているのか、統率の乱れている様子が伺える。
だからこそ、今しかない、と。彼は、隣の同士のもとに駆け寄った。
そして、その様子をうかがって。
「すぴー……すぴー……」
「……へ?」
その、あまりにも気持ちの良さそうな間の抜けた寝息。戦場という苛烈な場所であるはずのここで、幸せそうな顔で眠っている、そんな彼の様相に。思わず、頓狂な声が出てしまう。
「寝てる、だけ?」
と、気づいたその瞬間。彼自身にも、ガクン、と。意識を奪う思考の靄が現れる。
まずい、なるほど。これで皆眠ったのか。
なにが原因かはわからないが、相手方の作戦だろう、と。そう判断する。
眠らせ、隙を作ったところに一気に攻め込む。そう、考えているのだろう。
なれば、眠るわけにはいかない。……のだけども、どんどんと思考が深くに引きずり込まれていく。
遠巻きで、敵陣営もバタリバタリと倒れ込んでいくその様子に、少しの疑問が浮かぶが。だがしかし、それを考察するにはもはや、その意識が十分ではない。
微睡み、倒れ込んでいく彼の目には。
最後、あまりにも大きく聳え立つ、平和を願う大樹の姿が映り込んでいた。
* * *
「……ほう、超広範囲への睡眠か」
ルカの成したその魔法に、ローレンは感心を抱く。
周りで起こっているこの現象は、おそらく、あの大樹が引き起こしている影響だ。
なるほど、たしかにこの魔法は、この状況下では圧倒的な結果を生み出す。
耐性の無いものは問答無用で無力化されるが、せいぜい倒れ込むときに怪我をするくらいで、傷つけはしない。
多少耐性のあるはずのものでも眠り込んでしまっている。ローレンも至近にいるときは一瞬意識を持っていかれて、慌てて戦線から退かされた。対策を打てばローレンくらいの人物ならば突撃できるが、一般的な魔法使いでは対策を打っても抗うことは難しいだろう。
いったい、どれほどの規模の魔法を展開したのか、と。戦争中であり、半分ほど敵陣営であるはずの彼女に、興味からくる笑いすら漏れそうになる。
「本気で、この戦争を止めるつもりなんだな」
戦場のド真ん中で展開したということもあり、人間陣営、魔法使い陣営。その両方に対して効果を発揮しているし。無論、距離に比例する形で魔法の効力も引き上がっていくので、戦線に近づけば近づくほど眠らされる可能性が高くなる。
まさしく、戦争を拒む存在だ。
「……いいね、面白い」
てっきり、再びエアハルトが障壁を展開するかと思っていたが、その様子はない。
だが、その答えは明白。魔法に対する耐性を持たない人間陣営はそのほとんどが沈黙。耐性を持つ魔法使いですら、ローレンの周辺の半数以上が眠る結果となっている。
元々魔法使いのほうが人間よりも頭数が少ないということもあり、ルカが展開した魔法というたった一手で、人数だけで言うなれば七割、いや、八割が無力化されたに等しい。
その一方で、ルカやエアハルトはもちろん、精霊たちについてもこの影響下で問題なく動けている。
戦況が全てひっくり返されてしまった。ルカの行動たったひとつだけで。単純な戦力だけで見れば、この場における優勢がエアハルトたちに傾いた。
「いいね、面白い」
ただ、あくまでただの戦力のみを見れば、だ。依然として、エアハルトたちの勝利条件までを含めると、苛烈な状況には変わりない。
両軍を守りながら、両軍を沈静化させる。
本当に、夢物語かというバカみたいな話である。
だが、そんな夢物語が。たった一手で現実へと大きく近づいた。エアハルトたちの手数が増えて、他の軍勢が大きく数を減らした。これならば、なんとか手が回るだろう。
正直、感動も感心もしている。
奇跡への一石は、ひとりの少女によって投じられた。
だからこそ、ローレンは思う。
それを成し遂げようとするのならば、ぜひとも、そんな奇跡を見せてほしい。
そのための立場が、敵対なのは少しばかり残念だが。……いや、むしろそんな奇跡と真っ向から戦えるのは、またとない機会なのかもしれない。それならば、楽しみである。
……無論、ローレンとて、この戦争に思うところはある。
だが、それと同時に。奇跡が簡単に起こるものではない、ということも知っている。
エアハルトたちの願いは、人間と魔法使いの間にある溝を埋めること。歴史によって引き裂かれてきたその地盤に、橋を渡すこと。
そのためには、半端な行動ではダメ。結局、この場で引き起こされた、ただの歴史の一場面にしかならない。
「たまには、悪役というの悪くはないかもね」
なにせ、主人公と戦う運命を手に入れられる。
ならば、エアハルトたちが引き起こそうとしている奇跡。それを妨害する、敵として君臨してあげよう。
「だって、そのほうが楽しそうだし。エアハルトとも、やりあえるだろうからね……!」
もはや、半分以上は私欲なのだが。この際、それはどうでもいいだろう。
だって、これはお互いにとって利があることだろうし。
ローレンとは、そういう人間である。
「まあ、どちらかというと気になるのは」
ちらと後ろを振り返りながらに、少し考える。
それなりの実力者では、睡眠に負けているものの。そのさらに後に控えていた幹部級ともなれば、平然としている。
まあ、前線位置については、ローレンが前に出過ぎている、という話ではあるが。
だが、ほとんどの幹部が、全く動いていない。
「うちの護衛対象が動かないのは、まあわかる。そもそも、半分くらいこの状況を仕組んだのは彼女だろうからね」
ついでに、あまり前線に出るタイプではなく、後方支援を得意とするタイプだ。
だが、ローレンと同じく戦いに重きを置く人物も、人間への殺意を強く抱く人物も多い。
それなのに、この異変が起こったこの状況から、ほとんど、動こうとしていない。
「なにか、企んでるんだろうね。まあ、僕個人としてはエアハルトとの戦いを邪魔されないのなら、それでいいけどね」




