#152 少女は立ち上がる
今よりも、少し前の時間の話。
戦争の火蓋が切られたのとほぼ同時刻。
「……あっ」
「ルカちゃん、どうかしたの?」
ぽつりと呟いたルカ、心配するような表情でミリアがそう声をかけてくる。
遠くで、大きな魔力が動いた気配がした。あまりにも遠い距離であり、感じ取れたのは微かな気配ではあったが。しかし、それでもなお感じ取れたということは、相当に大きな魔力だったのだろう。
事の流れを考えるに、そんな魔力の発生源はただのひとつしかない。
戦争が始まったのだ、と。そう、理解した。
ルカはキュッと己の拳を握りしめる。
なにも、できなかった。
声には出さなかったものの。しかし、その悲痛な表情に、目の前にいたミリアにもその心境は伺えた。
「なにも、できなかったってことはないんじゃないかな」
ある意味では慰める言葉であるが。しかし、その一方でただの気休めでしかない言葉でもあった。
現在、ルカたちのいる結界の中にはたくさんの精霊や妖精がやってきている。精霊王との協力のもと、全員とはいかなかったものの、精霊たちがこちらに避難しに来ている。
なにも、できていないわけではない、というのは確かな事実であると同時に。しかし、ルカの認知とは乖離してしまっているのも事実。
「この、力も。守るための、力なのに」
たしかに、ルカは現在この家を守っている。そういう意味では、たしかに守るために力を使っていると考えられなくもないが。しかし、やはり戦地から遠く離れてしまっているこの地では、その実感はどうしても薄れてしまう。
重要な役目である、ということは理解していても。やっぱり、力不足だから、という理由で戦地から離されてしまったのだろうと思わざるを得ない。
その悔しさに、歯噛みをする他なかった。
「はあーっ! つっかれたあ!」
そんな傷心中のルカのことなど一切気にしていない、声が聞こえた。
なにやら作業か研究かをしなければならないということで部屋に引きこもっていたルーナである。
「あん? なーにしょぼくれた表情をしてるのさ」
「ルーナさん。その、ええっと。やっぱり、私は、なにもできなかったなあって」
かつて、ルカが捨てられたときも。従順に従うばかりでなく、自分の意志を見せれば、なにかが変わったのかもしれない。
……おそらくは、母はルカのことを守るために捨て。そのために、彼女は酷く苛烈な仕打ちを受けたことだろう。もしかしたら、もう死んでいるかもしれない。
元々は国に引き渡さなければならなかったルカを、逃したのだ。
あのとき、母の手を引いて一緒に逃げていれば、なんて。そんなありえないことを考えないでもなかったのは、おそらくは少しの後悔があったからなのだろう。
そして今、ルカは同じくの後悔を抱えている。また、ルカはエアハルトを見送ることしかしなかった。それしか、できなかった。
「ふぅん。で?」
「で? って、ルーナさん。あんまりにも適当でしょ。ただでさえルカちゃんは傷心中なのに」
「いんや、そう思ってるのなら。なにを悩んでる暇があるのかなって。それに、成長の過程で多少の支障があって精神面や肉体面はやや幼いが、なんだかんだとルカもそこそこの年齢だぞ」
「それは、そうだけど」
「なら、自身の行動には責任を持つべきだし。それに、責任を持てる」
他者に言われたことに対して、自身で責任を持つという代わりに、それに反したって構わない。
「間違えたから、失敗したから。なにもせずにうずくまる、というのは。少なくとも、私にゃあまっぴらゴメンだねェ」
「ルーナ、さん」
「ほら、しょぼくれてる暇があるのなら、立ちな」
適当で、粗雑な言葉ではあるが。しかし、温かい。
「……ああ、うん。いい顔になったんじゃあねェかね。クケケッ」
相変わらずな笑い声を見せながらに、ルーナはそう言ってみせた。
「エア、状況を教えて! なにをすればいい?」
「いや、だが――」
「大丈夫。私も、戦えるから!」
ルカが力強く、そう宣言する。
今までの彼女が見せたことがない、たしかな強さである。
「……わかった。だが、危険だと思ったらすぐに退避しろよ?」
「もちろん」
「――っと、そんなおしゃべりの暇があるのかな? エアハルト!」
先程は大量の精霊に一瞬呆気に取られていたローレンだったが、再びエアハルトへの攻撃を再開させる。
そして気を取り直したのはローレンだけではなく、
「彼女も来たらしいが。私たちのやることは変わらないぞ」
マルクスも、同じく突っ込んでくる。
不意をつく行動と、それに掛け合わさる俊敏性。その凶悪さはこれまでの戦闘で肌をひりつかせていたとおりであり。
その剣先がエアハルトへと迫りくる、その直前。
「《植物召喚:捕縛蔦》!」
ルカが、その腕から蔦を引き伸ばし、マルクスの身体を絡めとり、ガッシリと捕まえる。
「そういえば、さっきの隔壁。あれも、植物召喚だったね。なかなか珍しい魔法で戦う子じゃないか。それでいて、あの規模の魔法を使えるとは」
そんないい相手――もちろん戦闘の、という意味だが――がいたなんて。それも、まさか自身が知らない相手で、という様子でローレンは言う。
が、知らなかったのも無理はない、というか。
「……いや、ルカの魔力では、限界まで引き出してもあの規模は出せない」
ルカもそれなりに魔力量も増えてきたし、一般的な魔法使いと比べても、それなりに対等であるというくらいには成長していた。
だが、それでも平均レベル、でしかない。強いて言うならば魔力操作の精密性と魔力の観測という意味では頭が抜き出ているので、その分で上回ることはあるが、その代わりに戦闘の経験値と使える魔法の種類などでは逆に劣る。
そういう意味では、やはりルカは平均的な魔法使いとそう大差がない実力であり。
得意の植物召喚魔法であったとしても、上位の魔法使いには追いつけない程度である。
魔力の操作性だけならば匹敵するかもしれないが。なによりも、大きな魔法を引き起こすだけの魔力が足りないからだ。
エアハルトですらあの規模の障壁を展開するのに大地の魔力を借りた。それは継続的に展開する必要があったから、という事情もあるが。
しかし、そんなエアハルトよりも魔力のずっと少ないルカが、たとえ得意魔法の植物召喚であっても、あの規模で展開できるわけがない。
なれば、それを可能にしているのは――、
「……ゼーレ、お前、知ってやがったな」
「さあ。なんのことかな?」
すれ違いざまに、ゼーレが楽しげにフフンと笑っていた。そのまま、別の手勢への対処に向かってくれている彼女。
だか、そんなゼーレと繋がっている魔力が、ふたつ。
ひとつは、契約を結んでいるエアハルト。
そして、契約を結んでいないはずの、ルカに。
「魔力連鎖……か」
そう簡単な条件で使えるものではない。基本的には例えば仲間同士であるとか、師弟関係であるとか。そういった繋がりがある相手としか使えない、魔力の共有、及び、共同で魔法を使用するという、連携用の魔法。
そんな魔法がルカとゼーレ……いや、この場にいる全ての精霊や妖精たちとの間に、繋がっている。
そんなこと、普通、できるわけがない。
ルカとゼーレであれば、理解はできる。それ以外にも、あの家に頻繁に訪れてきていた精霊たちとならばできるかもしれないが、それでも数名程度であろう。
だがしかし、ここにいるのは圧倒的な数の精霊。その全員と繋がるなど、通常はできない。
仮にできるとするならば、そんな存在は――、
「臨時精霊女王の名において、命令します! 誰ひとりとして殺さず、可能な限り傷つけず。戦争を、止めてください!」
それこそ、精霊王くらいしか、いないだろう。
精霊たちの王であれば、精霊たちを束ね、魔力連鎖を行うことも可能である。
現に、目の前で行われているように。
叫ぶルカの腕に、精霊王の紋章――いや、今は精霊女王の紋章が浮かび上がる。
どうしてだかはわからないが、ルカが言うとおり。彼女が現在の精霊女王なのだろう。臨時、らしいが。
「ねえ、エア。もう一度聞くね」
もう、守られるだけの存在じゃないから、と。
そんな、覇気を伴いながらに。ルカがそう尋ねてくる。
「私は、なにをすればいい?」




