#149 最初の一手
「それじゃあ、よろしく頼むな」
「ええ、もちろん。……それから、ありがとうね、お父さんもこっちに入れてくれて」
ルカのことを抱っこをしたミリアが、エアハルトに対してそう伝える。
戦争が始まる。人間たちにも、魔法使いにも。その事実が周知されてきて。
街も依頼だのなんだのという余裕もなくなってきたこともあり、業務の混乱に乗じて、ミリアがダグラスを伴って領域支配の範囲内に避難してきていた。
「知り合いになにかがあった、とかいう方が嫌だからな。近場なら、なおのこと」
「代わりと言ってはなんだけど、ちゃんとルカちゃんとはお話しておいてあげるから」
やはり、エアハルトが戦争に向かうということが辛いのか、ルカにしては珍しく、最近の彼女は家の中に引っ込みがちであった。
……現に、こうして戦争に向かおうとするエアハルトのことを見にこない。そうしてしまうと、これが現実のことであると理解してしまう気がして怖いのだろう。
「…………」
少し、待ってみるが。やはりルカが出てくる気配はない。ルーナが出てこないのは、まあ納得出来はするが。
「エアハルト、そろそろ」
「ああ、わかってる。ゼーレ」
魔力の気配が、段々と大きくなってきている。
戦地となるのは、ここからずっと先だというのに。こんな遠方からでも感じ取れるとは、いったいどれだけの手勢を集めてきたというのか。
簡単な仕事、とはいかないだろう。
むしろ、達成できるかすら、怪しい。命の保証すらも微妙ところだ。
「でも、帰ってくるって。約束しちまったしな」
たとえ、形ばかりの約束であったとしても。それでも、約束は約束。
そもそも、エアハルトはルカに拾われた立場である。
(……そう思うと、あれから、奇妙な日々だったな)
長いような、短いような。
楽しく、そして、穏やかな日常だった。
そんな日々が、これからも続いてくれれば、と。
(そのために、戦争を止めなければならない)
改めて、自分自身の決心を改める。
「いくぞ、ゼーレ」
「ええ。死ぬんじゃないわよ、エアハルト」
ルカのためにも、絶対に。
だだっ広い、荒野、とでも言えばいいだろうか。
遠巻きからにらみ合うようにして、ふたつの軍勢が揃い踏みをしていた。
片や、武装した人間たち。
その数は圧倒的であり、兵装についても個人用の手持ちの武器から、車両に載せられた大型のものや、複数人で扱う大掛かりなものまで様々。
魔法使い、という存在に対抗するために。様々な手を尽くしていたのであろうことが察せられる。
もう一方は、軽装の人間たち。
人数も多くこそあるものの、絶対数としては遠く及ばない。武器を持つものもいるが、丸腰の人間も珍しくはない。
たが、全く恐れている気配もなく、なんならば、余裕さえ見せている。
見た目だけで語るならば、その戦力差は歴然というところだが。しかし、その実、かなり拮抗している
魔法使いというアドバンテージは、それほどに大きい。単純に魔法が使える以外にも、魔力を身体中に巡らせることにより、身体能力を底上げできるからだ。
これから、この両軍がぶつかる。
人が死ぬ。人間も、魔法使いも。その両方が死ぬだろう。
戦争とは、そういうものである。
だから、止めなければならない。
「……改めて、前にすると。これを相手取るのかと正気を疑うね」
フィーリルの少女は、苦笑いをしながらにそう伝える。
武装した大軍の人間と、それには及ばないものの、大量の魔法使い。
その真ん中に入り込もうとしているのは、たったひとりの魔法使いと、たったひとりの精霊である。
気でも狂ったか、と。そう言われそうではあるが。存外に、正気である。
「最初にも言ったが、これは俺個人の用事だから。ゼーレが巻き込まれたくないのなら、別に無理をしなくてもいいんだぞ」
「なにシケたことを言ってるのさ。ここまで来て、そんなことを言うわけ無いだろう」
相変わらず、自分以外を巻き込むことにひどく固執する人間だな、と。ゼーレはそう思う。
「契約してる精霊くらい、巻き込んじまえとそう思えばいいものを」
「対等な契約だ。拒否権はある」
「なら、なおのことだ。対等なのなら、私はやはり、この場に自分の意志で立つ」
「……そうか」
どうやら引き下がる気のないゼーレの様子に、エアハルトは小さくそう反応をする。
「それよりも、よかったの? ルカのこと」
「ああ。さすがにここには連れてこれないだろう」
圧倒的な戦力差、殺しを厭わない戦場。
そんな場所にあの少女を連れてくるというのは、実力的にも、精神的にも酷というものであろう。
たとえ、それを彼女が望んでいたとしても。
「まあ、私が気にしてるのはそれだけじゃないけど」
「どういうことだ?」
「……とりあえず、あなたは絶対に死んじゃだめよってこと」
全く、自分のこととなると変に鈍感なのだから、困ったものである。
「ひとまず、最初の一手に関しては手筈どおりに」
「その後は状況にあわせて臨機応変に、だっけ? ……全く、この戦争を止めるために随分と準備をしていたくせに、こういうところは適当なのね」
「あまりに数が多すぎて、予測とそれに対する対応がままならんからな。……アイツがいれば、話が違ったのかもしれないが」
「アイツ?」
「いや、なんでもない。……こともないな、ゼーレにも、共有しておく必要があるだろう」
そう切り出して、エアハルトはメルラのことをゼーレに伝える。
彼女はその目をまんまるに丸めて。
「はあ!? なにその理外の魔法!? ズルでしょ!」
「だから、メルラ……たぶん今回も寝ぼけ眼でふよふよ浮いてると思うが。そいつを見かけたら、近寄らないほうがいい」
「近寄らないほうがいいというか、近寄るべきじゃない、じゃないそんなの」
大きくため息を付きながらに、ゼーレはそう言う。
「と、いうか。そんなのがいるのに、勝てるの?」
「……まあ、いちおうメルラに関しては敵、というわけではないからな」
「弟子、なんだっけ。……あなたに弟子がいたということもびっくりではあったんだけど」
協力関係ではあるから、こちらの妨害はしてこない、かもしれないが。
しかし、いちおうは立場上の都合でこちらに敵対してくる可能性はある。意図的に彼女の前にいかなければ、メルラ自身でうまく立ち回ってくれるだろうが。
「だからこそ、気をつけろよ」
「ええ、忠告ありがとう。……ほんと、あなたといいそのメルラということいい。イレギュラーが多いのかしら」
ゼーレがため息を付きながらに、ポツリとそう言う。
そんな彼女の口から「ルカもだけど」と、言う言葉が溢れる。
「……動き出したわね。時間みたいよ」
「ああ、それじゃあ、俺たちも行こうか」
完全に両軍がぶつかる前に、その真ん中にいかなければならない。
個々の戦いが始まってしまっては、エアハルトとゼーレのふたりの手数では絶対的に足りない。
だからこそ、打つべき一手は――、
――戦場の、その中央に。招かれざる闖入者。
突然の登場に、人間陣営も、魔法使い陣営も、驚く。
だが、その一瞬が、大きく運命を変える。
「《瞬間強化律》」
エアハルトが強化魔法を唱える。
対象は、自身が現在組み上げている最中の、魔法。
そうして練り上げに練り上げた魔力を解放しながら、エアハルトは叩きつけるように叫ぶ。
「《障壁》ッ」
エアハルトの左右に。透明の、防御用の壁が生み出される。魔法の性状としては、実に基本的な、防御魔法。
だが、その大きさが、異常。
ゼーレは、これがたったひとりの人間の魔力で為されたものなのかと、目を疑う。
ふたつの軍勢を分断するために。それぞれの大群を抑え込める規模の障壁が生み出されている。
そう。エアハルトとゼーレでは、この両軍を抑える上で、圧倒的に手数が足りない。
だからこそ、打つべき一手は、両軍の隔離。
そもそも、面と向き合うことがなければ、戦いになることもない。
「……だが、そんな都合よく全部ってわけには行かねえよな!」
飛来した火球を躱しながらに、エアハルトはそう叫ぶ。
たしかに多くの人たちは突然のことに反応できず、障壁の外に追いやられている。
だが、当然ながらに全員ではない。あの一瞬で判断して、即応してきた人物たちもいる。
「しかし、思ったよりも対応してきたやつらが多いな」
「一部私がで引き受ける。だから」
「ああ、あのあたりは俺がやる」
そして、それができるということは。各個それなりに実力がある、ということ。
障壁も耐久に上限はある。いつまでも軍勢を抑え込めるわけではない。
「その前に、あのあたりをしっかりと対処していかないとな」
ゼーレから分担された手合へと視線をやりながらに、エアハルトはそうつぶやいた。




