#142 少女とおっさんとそれから留守番
「精霊の里、ユーグナシル」
出てきた名前を、ルカは思わず、言葉に出す。
「そう。誘っている俺が言うのもなんだが、悪い提案ってわけじゃあないとは思うぞ。そこのフィーリルが驚いて見せたように、これは普通のことじゃあない」
「ゼーレよ。できればちゃんと名前で呼んでくれるかしら」
ゼーレがやや低い声でそう言うと、彼はケラケラと笑いながらすまないすまない、と。
そんな様子の男を見ながらに、ルカは小さく首を傾げる。
「そういえば、その。ええっと、精霊王代理? の人の名前って」
「ああ、そういえば名乗ってなかったか。ふむ、そうだなぁ。……まあ、おっさんでもおじさんでも、好きなような呼んでくれていいぞ」
「えっ」
まさか名前ではなく呼称を提示してくるとは思わず。加えて、その内訳が想定外だったために、ルカは疑問符を頭に浮かべる。
おっさんとか、おじさんで、いいの……?
「まあ、おにーさんとか呼んでくれるならそりゃあ嬉しくはあるけど、どう考えてもそういう見た目じゃあないだろう?」
「そういうふうに呼んでほしいなら、そういう店に行きなさい。然るべきお金を払えば呼んでくれるわよ」
軽口気味に言ってみせる男にゼーレが低い声で牽制する。わかりやすい冗談ではあるものの、純真なルカ相手だと真面目に採択してくる可能性がある。
「まあ、以前別のやつにおっさんって呼ばれてたから。そういう系統の呼ばれ方には慣れてんだわ」
「そ、そうなんだ。……なら、ええっと。おじさん」
「おう、おじさんだぞ!」
未だ少し困惑気味に呼ぶルカの前で、男は楽しそうにそう答える。
その様子を見ていたルーナは面白そうにめちゃくちゃに笑い、ゼーレは「もはやこれすらそういうプレイに見えるんだけど」と、呆れたような表情でつぶやいていた。
「それで、ルカ。一緒にユーグナシルに来てくれないか?」
「えっと、それ、なんだけど……」
「さっきも言いかけた話だが。ゼーレが驚いていたように、普通の人間が……たとえ魔法使いだとて、そう簡単に訪れられる場所ではない」
精霊の里。といえば、エアハルトやルーナの作戦会議の過程を隣でよくわからずに聞いていたルカからして見れば、どこかしらで聞いたことがあるかな、程度の存在ではある。
曰く、訪れたかったり、研究したかったりで探している人はごまんといるが、まず、見つかることはない場所である、と。
以前、ルカたちが住んでいるこの家周辺に精霊や妖精が集まるようになったことで、精霊の溜まり場となったこの近辺を調べに来た人たちがいたが、要するに彼ら彼女らの目的のひとつが精霊の里であった、ということだ。
そして、現在。どういうわけか、ルカがそこに誘われている。……というか、文脈を加味するならば、呼ばれているのだろう。
たしかに、探しても見つかるかすら不明瞭なそんな場所に招待されるということは、特段悪い話ではないのかもしれない。それこそ、金を積み上げてでも行きたい人はいるわけで。
けれど、と。
ルカは困った様相を顔に浮かべながら、周囲を見回してみる。
ルーナは完全にこちらを面白がっているし、ゼーレは疲れ切っているようだった。もちろん、アルには頼れないし。
「あの、ええっと……」
男がルカの答えを待ちながらに、こちらをじっと見つめてくる。こういう場面にあまり慣れていないこともあってか、思わず怯んでしまいそうになりつつも。きゅっと手のひらを握りしめながらに、えいやっ、と。気合を入れて答える。
「よ、よく知らない人について行っちゃだめって、言われてるから!」
力いっぱいに叫んだルカの声に。しかし、想定外だったのか、その場にいた全員がぽかんと口を開けて驚いて。
そして、ひと呼吸おいて。男とルーナが、揃ってドッと大きな声で笑い始める。
「あっはっはっはっ! そりゃあたしかにそうだ! 俺は今日初めてあったばっかりのどこの誰ともしれねえ男だもんなあ!」
咄嗟の言葉だった上に、ルカにはよくわからないが、精霊王の代理という立場らしい男に対して失礼な物言いをしたのではないかとちょっぴりヒヤヒヤしていたが。しかし男はそんなことを一切気にする様子もなく、ひたすらに諸々を笑い飛ばしてくれていた。
「あ、いや、その。それに、エアから留守番を頼まれてるし。だから、だからエアが帰ってきてからになっちゃうというか……」
「うーん、嬢ちゃんの言葉をそのまま受け取ってやりたいのは山々なんだが。今俺がエアハルトと会うといろいろややこしいことになるからなあ……」
少々困ったような表情を浮かべながらに男はそうつぶやく。
けれど、ルカとしてもエアハルトから任されている留守である以上、無責任に投げ出すわけにも行かない。
男にもルカにもどちらも事情がある都合、ふたりともが見合うのみで動けないでいる状況。
そこに、見かねたゼーレが小さくため息を付きながら、会話に参入してくる。
「わかった。それなら、こうしよう」
ゼーレはそのままルカの方へと向き直る。
「たしかにルカから見れば、この男の身元はわからない。……実際私から見てもだれなのかの詳細はわからないけれど、少なくとも、精霊王代理という身分だけが間違いないのはたしかだ。だから、私が代わりにコイツの身元を保証する」
これで、知らない人について行ってはいけない、という問題については、やや強引ではあるが解決はできる。
「で、留守の件について。……少し話を巻き戻すことになるが、ユーグナシルに人間が招待されるのは異常事態。加えて、呼び出しの事情が精霊王から連れてこいと言われた、とコイツは言っていた」
それを加味するならば、そこそこに緊急性のある事柄だと考えてもいいだろう。
なぜ、この男がエアハルトと会うのを避けようとしているのかはわからないが。しかし、いつ戻ってくるかわからないエアハルトのことを待っていては時間がかかってしまう。
「留守番については別の解決策を用意するから。だからルカ、ユーグナシルに行ってみてはくれないか?」
わざわざ精霊王が人間の魔法使いを招待するなど、精霊や妖精たちにとっての重要ななにかがあるのかもしれない。
詳細はわからないが、ゼーレやアルにとっても関わりのあることだから、と。彼女はルカに、そう頼み込んだ。
「それで? 私が呼ばれたってわけ?」
ルカがユーグナシルに行く場合、彼女ひとりだけというわけにもいかない。男の身分を保証する役割である精霊であるゼーレと、ルカと契約している妖精のアルは一緒に行くことになる。
ただ、先述の通り家を開けるわけにはいかないので、誰かしらは残る必要があり。
そうなると、自動的にルーナが残ることになる。……彼女ひとりだけ、となると。いろいろと心配事が多い。
と、言う都合で。留守番の代理として呼び出されたのは。もはやいつものごとくのミリアだった。
「私、なんか都合のいい存在みたいに扱われてる気がするんだけど」
「……否定はしない」
申し訳なさそうな表情をしながら、ゼーレがそう言う。
事実、都合のいい留守番役として呼び出しているので微塵も否定ができない。
とはいえ、ゼーレ自身のコミュニティで。この場にいるルーナの事情を把握しつつ、ルカが納得できる代役として立てられるのがミリアしかいない。
「まあ、いいけどね。……でも、そんな珍しい場所なのなら、私も行ってみたかったなあ」
「珍しいというか、普通は知覚できないし近づけない、という方が正しいわね。ここと同じよ」
ミリアはエアハルトから出入りのための指輪を受け取っているので問題なく入れるが、この場には隠れ家の魔法がかけられている。
精霊の里についても同じような仕組みで隠されている、というだけではある。
「まあ、事の運び方次第ではあるが。ルカの嬢ちゃんの判断次第では、しばらくしたら行けるかもな」
「……へ? どういうこと?」
男はなにやら意味深長な言葉を吐きながら、あっはっはっはっ、と大きな声で笑っていた。
よく、わからない人だ、と。そう思いながらに、ミリアはルカとゼーレに視線をやる。
「とりあえず、引き受けてあげるから。せめて帰ってきたらいろいろとお土産話を聞かせてよね?」
「うん、任せて!」
ぺかっ、と。キラキラの笑顔を浮かべながらに、ルカはそう元気よく返事をした。




