#141 精霊王代理
男の見せた紋様に、ゼーレは絶句しつつも。ルカとルーナのふたりに「おそらく、ヤツは大丈夫だから」と、そう告げた。
そうして、男を招き入れながら、卓を囲む。
せっせとルカがお茶の準備をしている傍らで、クヒヒッ、と。ルーナが面白げに笑いながら、ゼーレに顔を向けた。
「お前さんにしては、随分とあっさり態度を変えたねェ。私はヤツの見せたモンを知らねえが、相当なものなのかい?」
「知らなくて当然よ。……妖精や精霊でもなければ、そうそう知りはしないだろうし。私たちですら、実際に見ることは少ない。私だって、始めて見た」
「へえ、そんな珍しいものだったのかい、アレ」
「珍しい……も正しいけど。どちらかというと、持っている方が異常、ね」
ゼーレはそう言うと、チラと男の方を様子見する。
特段気にしていない様子の彼を見て、小さくため息をついて。
「アレは、精霊王代理の証。つまり、それをもっているということは」
「精霊と妖精の、最高位に位置する、というわけだァね。しかし、ヤツは人間に見えるが」
「精霊王は現在、老齢ゆえに床に臥せてる状態よ。だから、様々な公務の執行の上で、あの代理の証を以て権力の格子を行うんだけど……」
「つまりは、人間なのになぜか精霊王の代理を担ってる、ってわけかい」
「そうなるわね。……それも、あの紋様自体が精霊王から直接に魔力を貸与されることでしか浮かび上がることがないから。消えることはあっても、それ以外の理由で身に纏うことはあり得ない」
もちろん、同型の入れ墨をすること自体は可能だろうが。ルーナはともかくとして、ルカやゼーレには、あれが間違いなく魔力によって浮かび上がっている紋様であると知覚できている。
それゆえに、偽物であるということはあり得ない。
「はい、どーぞ!」
「おう。ありがとうな、お譲ちゃん」
お茶を淹れ終わったルカが人数分のカップを机に置きながら、自身もゼーレの隣に腰掛ける。
さきほどまでルカの手伝いをしてくれていたアルは、そのままルカの膝上へ。
「それじゃあ、全員揃ったみたいだし。話を始めようか」
「……これで全員、でいいのよね?」
ゼーレがそう確認をする。
全員、と言うには正確にはひとり足りない。この家の主であり、ゼーレの契約相手であるエアハルトだ。
具体的には口には出さずに、どのような反応を見せるのか、と。ゼーレはそう尋ねていた。
「ん? ああ、これで全員でいい。エアハルトがいると少し話がややこしくなるからな」
「……さっきも思ったけど。あなた。たぶん、エアハルトと知り合いなのよね?」
最初に男が訪れてきたとき。おそらくはエアハルトのことを指して「あの野郎」と呼んでいた。
そして、今も特段名前を挙げてはいなかったのに、ピンポイントで名前を当ててきたあたり、知り合いで間違いないだろう。
「まあ、アイツのほうが俺のことを覚えてるかは知らないが。昔にちょっとな」
「そう……」
男は、表情ひとつ変えずに、飄々とした様子でそう言い放った。
まるで、これ以上は今回したい話にも、あるいは、お前たちに対する信用を獲得する上で関係しないから話すつもりはない、と。そうとでも言いたげな様相で。
まあ、当人がいない時点で。昔の話をいくら掘り出したところで、確認のしようがないのも事実ではあるだろう。
いくらでも、嘘をつける。
「……それで? 精霊王の代理人サマがどういう要件でこんなところに来たのさァね?」
「そうそう。その話だよな」
よっ、と。男は姿勢を整えながらに、ルーナ、ゼーレへと視線を動かしていって。そして、ルカまで動かしたのち、ジッと彼女を見つめる。
「……?」
「お前さんだな、たしか、名前はルカ、だったか?」
「うん、そうだよ! ……ってなんで知ってるの!?」
まだ名乗ってないのに、と。ルカが目を丸めながらにそう言う。
「まあ、お前さん。ちょっとした有名人だからな」
「えっ、そうなの?」
たしかに、なにやら捜索願的なものが出ている、という話をミリアから聞いていたけれど。アレは有名人、と言うには少し違う気はする。
それ以外で有名になる可能性があるとするならば、魔法使いとして指名手配される可能性だけれども。今のところはまだ魔法使いだと周知されていないはずだし。
ルカが首を傾げながらにそう言っていると。ため息をつきつつ、ゼーレが隣で補足してくれる。
「……あれだよ。人間世界で有名ってわけじゃなくて。精霊や妖精の間で有名って意味だよ」
「精霊たちの間で……? あっ、もしかして」
「そう。精霊たちの力試し相手になってるだろう? 今のところ全戦全勝だけど」
「あれに勝ちとかあるのかなあ……」
ぽかんとしながらに、ルカがそう言う。
当人があまり気にしていないが。そもそも契約云々については精霊にとっては自分たちの舞台であると認識していて。そんな存在たちが腕試しとしてやってきている以上、結構な自信を伴いながらに来ている。
それをことごとく契約不成立……という名の敗北に叩き落としている時点で、ルカの勝ちでいいだろう。
「まあ、それはともかくとして。こんかいはちょっと、ルカに用事があってな」
「……私に?」
「ああ。ちょっといろいろと事情とか情勢とかがややこしくて、そのせいで面倒なことにはなってるんだが。ひとまず、単純に結論だけ言おうか」
男はそう言うと、ルカとアル。そしてゼーレへと視線を回して。そうして、言葉を続ける。
「ルカ、一度ユーグナシルに来てくれ」
「ユーグナシル?」
文章的に、どこかの場所なのだろうか。と、ルカが首を傾げる。どうやら、ルーナなんかも知りはしないようで、こちらも特段反応はなさそうではあったのだが。
しかし、その一方で。
「ユーグナシルって。嘘でしょう!?」
驚いた声を出したのは、ゼーレだった。
「嘘なわけあるか。精霊王たっての希望だ」
「たしかに、魔法使いにしてはルカは珍しい方だけど。でも、ただの魔法使いといえばただの魔法使いよ?」
魔法使いの素質としては、これまでの経歴から考えるとかなり強い方ではあるが。しかし、それについては間違いなくルカの師匠であるエアハルトが優秀であるがゆえのものが大きく。魔法使いとしての素養自体は平凡な方ではある。
それこそ、ゼーレが言ったように、魔法使いとしては、ただの魔法使い、という言葉になにも間違いがない。
「でも――」
「詳しいことは、精霊王から直接聞いてくれ。俺はアイツからルカを連れて来るようにとしか言われてない」
食い下がろうとしたゼーレを、男はそう突っぱねる。
「ねえ。そのユーグナシルってどこなの?」
「それについては、私も気になるところさァね。さっきからの会話の流れで、なんとなーく察しがつかないでもないが」
ルカに同調するようにして、ルーナがそう質問を重ねる。
この場で、男とゼーレだけが詳細を知っている様子を見せていて。かつ、会話の中に精霊王という文言が現れた。
そして、ゼーレは精霊であり、この男は精霊王代理の紋様を腕に持っている。
「ユーグナシルってのは、私たち精霊や妖精の住んでいる場所……あなたたち人間が言うところの精霊の里ってやつのひとつ」
ゼーレは、そう、説明をする。
精霊の里自体は、各地にいくつか点々と存在しているが。ユーグナシルは、その中でも中心都市にあたる。人間世界で言うところの、王都のような存在であり。
「つまるところが、さっきから名前が出てきている精霊王ってやつがいるところってことさ」
男は、小さく笑いながらに、そんな言葉を言い放った。




