#138 戦力の均衡
マルクスとテトラ、そしてグウェルと別れて。引き換えに、エアハルトと合流して。そのままクラテスの付近まで移動する。
「わざわざ乗せてもらってすまないな」
「いんや、こっちのほうが早いだろうから、合理的な判断さ」
アレキサンダーの言葉に、ゼーレはそう答える。
エアハルトからの魔力補助もあり、大きな狼の姿に変貌したゼーレ。彼女は現在、その背中にアルフレッドとクレア、そしてアレキサンダーを乗せていた。大人ふたりに子供ひとりで重たくないか? と尋ねるクレアに、大丈夫さ、と。
「まあ、気遣ってくれるってんなら降りてくれても構わないが。その代わり、このスピードについて来れるのなら、にはなるけどねぇ」
「うっ……」
ゼーレが面白がるようにしてそう言う。
大人ふたりは、その言葉にそっと視線をそらしながら、情けない、とでも言いたげな表情を浮かべる。
「まあ、これに関しては魔法使いがおかしいだけだから、気にしなくていいさ」
エアハルトやルカ。そしてゼーレは、魔力を使うことにより身体機能を向上させているため、アルフレッドやクレアなどよりもずっと運動能力が高い。ふたりよりもずっと小さな体躯であるルカですらも。
「まあ、あのふたりが……というか、正確にはエアハルトが、だね。こんなスピードで移動してるのは、早くに自分の拠点に到着したほうがいいだろうって思ってるからだろうから。そんな変に気負わずに、私に背負われてな」
「……ありがとうございます」
アルフレッドがゼーレとそんな会話を交わしつつ。その隣ではクレアがアレキサンダーに、大丈夫? 怖くない? と。
「ああ、どちらかというと、すこしワクワクしているくらいだ」
「そう、それならよかった」
アレキサンダーは、その性分としてはどちらかというと活動的な方だった。
だが、立場の都合もあって、あまり多くのことをすることはできず。悶々とした気持ちを抱えることも多い生活を送ってきていた。
今回、こうして外に出てきているのは、もちろんそういうことをしたい、という気持ちから来ているわけでなはい。間違いなく、アレキサンダーの身に迫っていた危険から逃れるため、というのが主目的ではあった。
ただ、それと同時に。外の世界で自由に動き回れている、という現状は。アレキサンダーにとっては非常に興味深い事柄ではあった。
なにせ、こうして高速で移動する、という経験も。精霊の背中に乗る、という経験も。アレキサンダーにとっては、初めてのことだったから。
「さて、もう少しで到着する。アレキサンダーたちは、絶対にゼーレから離れるなよ?」
エアハルトがそう忠告する。振り落とされないように、というように三人は解釈したが。実際のところは、ここから入る場所にかけられている魔法の都合、ゼーレの身体にしがみついての、事実上の案内がある状態でないと、そのまま領域支配の影響範囲外へと弾かれてしまうからではあった。
そんなことはつゆほども知らず、しかし、言われたとおりにゼーレにしがみついた三人は。程なくして、空気感が変わったことを察知する。
不思議に思いながら、三人が顔を上げると、そこには今まで見たことがないような、幻想的な光景。
妖精や精霊があちこちで遊び回っている、という。夢物語で語られるような、そんな光景がそこにはあった。
「なあ、また増えてないか?」
エアハルトは数日ぶりに戻ってきた自宅。その周辺に集まっている、出発前よりも明らかに増えた妖精と精霊の姿に、少々呆れ気味にそうつぶやいた。
ルカはいつものごとく楽しげな様子で彼らと交流しており。好奇心からそれについていくアレキサンダー。なんなら、アルフレッドやクレアも、物珍しさから、いろいろと見て回っている。
「私に言われても困る。あいつらが勝手に来てるだけだし」
「……そうか」
人間の姿に変貌したゼーレが、エアハルトの隣にやってきてそう答える。
まあ、アレキサンダーたちはこの光景に随分と驚いて、かつ、感動している様子だから、別に構わないといえば構わないし。なんなら、一部の妖精などは、エアハルトたちが今回のことで家を開けるという都合で、代わりに畑の世話についてを代わってくれたりしていたので、ありがたいことでもあるのだけれども。
「なんか、本当に妖精の溜まり場になってる気がするな」
「ふふっ、否定はしないよ」
エアハルトの言葉に、ゼーレがそう笑って答えた。
エアハルトたちがそんな会話をしていると、ちょうどそんなタイミングで家の扉が開かれる。
「おお、やあっと帰って来たか」
相変わらずの縒れた白衣に腕を通したルーナが大きなあくびを伴いながらに出てくる。
「言っても、ルカたちは王都までの往復をしてたんだから、早い方ではあるだろう」
「まあ、たしかにそれはそうさねェ」
クケケケケッ、と。いつもの笑い方を見せるゼーレに、エアハルトが小さくため息をつく。
「それで? 当の本人はどこにいるのかねェ」
「ああ、それならルカと一緒に妖精たちと交流してるぞ」
エアハルトはそう言いながらに、軽く顎で示す。
「事件の張本人だってのに、随分と呑気だねぇ。まあ、あの子の気持ちもわからんではないが」
「そういえば、そもそもにお前のところに連絡が来てたってこともあったが、ルーナはアレキサンダーと交流があったのか?」
「んあ? ああ、そういえば言ってなかったか。私は昔に、あの子の家庭教師をしていたことがあったからねぇ。なんだかんだで昔は宮廷抱えにはいたわけだから」
「……なるほどな」
宮廷薬剤師であった頃合い、様々な知識を有していたルーナが、アレキサンダーに教師としていろいろと教えていた、ということらしい。
無論、そういう立場になるのであれば他にも人材はいたのだろうが。アレキサンダーのような立場のある人間に対して物を教えるとなると萎縮する人物が多いだろうところに、そういうところを良くも悪くも気にしないルーナはある意味適任だったのだろう。
「ちなみに、私としては前も聞いたが、お前さんの方にアレキサンダーとの面識があったほうが驚きだったんだが」
「なんなら、当人たちは認識してなかっただけで、ルカにも面識があったぞ。助けに行く前に教えておけと怒られた」
「そりゃあそうだろうに。……しかしまあ、なんとなく事情は察したのさァね」
ケラケラと面白そうにしながら。ルーナは「それじゃあアレキサンダーんとこに行ってくるから」と。そう言って、手を振りつつ歩いていく。
「まあ、お前さんとしてはここからが本番なんだから。しっかりと準備を整えておくことさね」
ちらりと振り返ったルーナは、最後にそう声をかけてくる。
「……ああ、わかってるさ」
数日後。アレキサンダーが持っているひとしきりの情報についてを教えてもらい、エアハルトたちが持っているものと擦り合わせながらに、現状を確かめていく。
思ったよりも、事態が深刻である、ということも含めて。
「人間側の兵器として魔法使いを使ってる、ってわけだな
「……想定、してなかったわけじゃないが、想像している中では最悪に近い予想を引いたねェ」
エアハルトがルーナと意見を交換しつつ、あれこれを話していく。
人間側に、外部補助的にとはいえ魔法を使える手立てができるというのなら、それだけ被害規模が大きくなる可能性が出てくる。
元より人間と魔法使い側では数の差による違いがあり、そこのパワーバランスという意味での均衡が取れていたのは、ひとえに魔法という力関係によるものではあったから。
「ただ、魔法使い側にもあるだろう? 切り札が」
「……たしかに、あれを持ち出されると困るな」
ルーナの指摘に、エアハルトは渋面を浮かべる。
彼女が言っているのは、ブースト薬のことである。
魔法使いを魔人へと変貌させたあの薬。あれを持ち出されると、制御が効かない代わりに、魔法使い側に大きな力をもたらすことになる。
「……両側陣営に、想定外の戦力がある、ということさァね」
「まともにぶつかる前に、知れてよかったと考えるべきか」
「まあ、事前に対策を打てるだけいいことさね」
当事者ではない、とでも言いたげに。ルーナは軽く笑い飛ばしながらにそう言う。
ただ、いつもよりかは笑いの調子が低い。おそらくは、おどけてみせて、エアハルトの気を和らげようでしてくれているだけなのだろう。なんだかんだで不器用な人間ではある。
「……もう少し、厚めに準備をしておくべきかもな」
想定外が既に見えている現状、これ以上がどれだけあるかはわからない。
エアハルトは、そう、小さくつぶやいた。




