#127 ルーナの価値
「おお、さすがだねェ。ここまで結構距離があったろうに、速い」
「礼なら俺よりもゼーレに言ってやれ」
獣の姿――ゼーレとしては本来の姿になった彼女の、その背中に乗せてもらっていたルーナがケラケラと笑いながらもちゃんと礼は伝えて、ゆっくりと地面に降りる。
あと少し歩けば、ルカの待つ家にまで到着する。既に、エアハルトの張っている結界の中には入っていた。
「まあ、たしかにここが、仮に戦争が起こったとしても安全ではあろう場所、だろうねェ」
「魔法使いの側からであれば、襲撃できなくもないだろうが。現状、魔法使いが魔法使いを攻撃する理由がない。というか、その余裕すらない」
この結界は、認識阻害の魔法がかけられている。それゆえに、一般の人間には存在の看破が不可能な上に、万が一迷い込んだとしてもそのまま来た道を引き返すことになる。
それらが突破できるとするならば、それはエアハルトに匹敵する魔法使いであろう。まあ、極々稀にいるイレギュラーは、その限りではないかもしれないが。
戦争で人間と戦うというのに、その余剰が準備できるかというと、そうはいかないだろう。
魔法使いと人間とでは圧倒的な個の戦力差こそあるものの、人間の側にはその代わりに、強大とも言える人数の多さがある。
無論、募集の規模などを考慮すれば、精鋭の軍隊のような連携は無く、ある意味では正しく寄せ集めという表現が適合するのだろうが。しかし、それも良くも悪くもという話である。
数はまさしく力である。
それに対処しようとすると、やはり格段に違うレベルでの戦力が必要になってくる。そのためには、わざわざ他の魔法使いに対して喧嘩を売るような真似はできないだろう。
「まあ、それを十二分に理解しているくせに。孤軍で超大量の相手に抗おうとしている阿呆を私は知ってるがねェ」
「…………」
「それも、倒せば勝ちの単純な勝利条件を持っている相手に対して、こちら側の勝利条件は超難易度ときた」
「なにが言いたい、ルーナ」
ニヤァッと笑いながらにそう言ってくる彼女に、エアハルトはジッと視線を投げる。
「いんや? 私の性分としてはただ単純に、分の悪い賭けはしないってだけさァね」
「それじゃあ、俺に賭けるってのは賢い選択じゃないのかもしれないな」
「クケケケッ、言うじゃあないか。よく自覚をしているこった」
たしかに、この戦争。エアハルトやその周囲の人物が生き残る、ということだけに注力するのであれば、エアハルトの実力や、現在ではゼーレやルカがいることもあって容易であろう。
だがしかし、エアハルトがやろうとしていることは、そこに留まらない。なれば、その分だけ難易度が跳ね上がるわけであって。
「まあ、なにはともあれ、ここが最も安全なのは間違いないだろうからね。……ありがたく居させてはもらうよ」
「ああ、俺の立場からしても、そっちのほうが助かるしな」
エアハルトからしてみると、ルーナの存在がなにかしら大きく助かるなにがしかを与えてくれるというわけではない。彼女がやれることのうち。ある程度の範囲は自力の魔法で代用することができるからだ。無論、調薬などの技術や知識面で大きくルーナがまさる面もあるが、しかしそれをエアハルトが必要とするかというと、微妙なところになら。
だが、ルーナが、人間側に。あるいは魔法使いの側に協力する。……というか、させられてしまうことになると、厄介なことになる。
ルーナは、魔薬の研究に於いて大きな活躍をしている。正確には表現が正確ではないが、おそらく魔薬について有している知識の範囲で言えば最高級であろう。
特にこの知識が魔法使いの側に持っていかれてしまうと、それこそ大惨事を引き起こしかねない。
ルーナは絶対に反対するであろうが、一部の魔法使いたちが現在研究しているであろう魔薬。依存性のある薬、というシロモノではなく、強引に魔力上限を引き上げ、かつ、身体の中に魔を宿す薬。
かつてバートレーに使われたあの薬についてを、より強力に、あるいは、より支配権を維持したままの薬として補強されてしまうことがあれば、魔法使い側の戦力が跳ね上がることになる。
あるいは、人間側であったとしても、筋力強化の魔薬などを制作することも理論上は可能であろうことを考えると、やはりこちらについても強大な戦力増強につながるだろう。無論、依存性については完全に無視することになるだろうが。
「まあ、互いの利害の一致ってやつさね。私は安全に過ごせりゃ、それで構わないのさァね」
「ああ」
「ついでにルカやミリアに適当にちょっかいかけながら遊んでやるかねぇ」
「……程々にしてやってくれ」
とはいえ、少なくともルカについては、一旦調べたいことがあるとのことだったので、それについては彼女に我慢してもらう必要があるだろう。
(まあ、その。頑張れ)
応援する他にできることはないので、とりあえず彼女の無事を祈りながら。木々の間を抜けて、ようやく家が見えてきた。
ちょうど、そろそろ朝になろうかと言うくらいの時間帯であった。
* * *
「ねえ! ルーナさんに捜索願が出てるんだけど――」
「ああ、出てるだろうな」
「クケケケッ、久しぶりさねェ、ミリア」
「って、いるーっ!?」
翌朝。息を切らしながらにやってきたミリアが、室内にいるルーナのことを見つけて目を丸くする。
「なんで驚いてるんだよ。ルーナのことを連れてくるって言ってただろ?」
「言ってたけど、そんな矢先に捜索願が出てるから、失踪しちゃったのかって」
「失踪はしたさァね。だから、ここにいるのさね」
「…………あっ、そうか」
ポン、と。ミリアが手を打ち鳴らす。
大きく慌てていたこともあってどうやらいろいろと失念していたようだが、そもそもここは世間から隔絶された場所であり、そこにルーナが来たということは、一般から見てみれば失踪したということになる。
「でも、無事なようでよかった。エアハルトがルーナさんのことを迎えに行くって言ってた矢先に、こんな通達を見ることになったからさ」
「しかし、捜索願、ねえ。札が付いたわけじゃないみたいさァね」
ふうん、と。ルーナは興味深そうにミリアの持ってきた紙を見る。
たしかにあのとき、ルーナは警備隊に罪状を突きつけられながらに連行されそうになぅた。だからこそ、てっきり指名手配されるものかと思っていたのだが。
「やっぱりあのときの罪状は、ルーナを連れていくためだけのものだったということだろうな」
「そうなるねェ。余程余裕がないように見える」
そして、しかしながらに一般の人たち、あるいは魔法使いの側に、準備をしているということを悟らたくないというような、そんな雰囲気を感じる。
「しかし、昨晩の頃に出ていったはずなのに、もう帰ってきてるなんて。……本当に早いわね」
正直、ミリアが大きく焦っていたのはその理由もある。そんなに早いと思っていなかったから、エアハルトと合流するよりも先に行方不明になったのかと。
そんなことを話していると、ちょうどガチャリとドアが開かれて、眠たげな目をこすりながらにルカがやってくる。
彼女の手にはアルの手が繋がれていて、仲良く起きてきたようだった。
「ほう、その子が新入りってわけか。面白そうなこだねェ」
「手を出すなよ。少なくとも、本人とルカの許可なく」
「わかってるわかってる。見たところまだ子供みたいだからねェ」
クケケケッ、と。そう笑うルーナ。はたして本当にわかってるのかどうか。
その独特の笑い方を聞いて、ちょっとずつ覚醒してきたルカがルーナがいることに気づき。ちょっと遅れてから挨拶をしていた。
隣のアルも、それに倣うようにして挨拶。なかなかにかわいらしいものである。




