#100 薬剤師の過去
魔物素材の下処理をしているテトラの、その解説に耳を傾けながら、傍らで彼女の手際を観察する。
「この作業を開始すると、そこから先は可能な限りの手際が要求されます。そうじゃないと、素材本体が持っている魔力が大きく逃げてしまう可能性が高いので」
普段の彼女とは全くにつかない、ハキハキと喋り、テキパキと動いているその様子。
テトラにとってこれが、好きなことであり得意なこと。だかるこそ、これほどまでに滑らかに動けているのだろうと、そう確信する。
テトラは宣言のとおり、作業を開始すると手早く、黙々と行っていた工程を終えてしまった。
そうして、どうでしたか? と。そう言いたげな表情でミリアの方を見てくる。
凄かった。語彙が足りていないということは重々承知の上で、その言葉しか出てこない。
ただ、純粋な褒め言葉を投げかけられたテトラは。少し恥ずかしがりながらも、むふー、と。嬉しそうに息を吐いていた。
「そういえば、テトラさんはルーナさんに師事しようとしてるんですよね? 既にこんなにできるのに?」
「こんなにできる、って言っても今やったのはあくまで下処理だけだけどね。……まあ、実際問題として薬を作ることができるってのも正しいけどさ」
でも、と。テトラはそこで言葉を止めて、そして遥か遠く、届かない雲の上を見つめるようにして。
「ルーナさんは、とっても、凄い人なんです」
「そう、なの?」
「ええ。……正直、あんな悲劇さえなければ、あんな路地裏で未認可の薬屋をやってるような立場でもないんですけど」
テトラがキュッと拳を握りしめながら、少し語る。
「ルーナさんは、そのことを掘り返されるのをあんまり好まないんですけど。……知ってます? あの人、元、宮廷抱えの薬剤師だったんですよ?」
「宮廷ッ!?」
聞こえてきたその言葉に、ミリアは目をひん剝く。
それこそ、遠くの噂話でしか聞くことのない、その名前。王族やそれに連なる人たちが生活する、紛うことなきこの国の中心部。
雲上人の生活するその場で、薬剤師をしていた、と。そう言うのだ。
「あの人が!?」
「そう。今では見る影もない……というのは正確じゃなくって。実は宮廷にいる頃からずっとあの物言いだったらしいんだけどさ」
噂だけどね? と。そう言いながらにテトラはルーナの話をする。
ルーナなら、あの人間ならば、ワンチャンやっていてもおかしくない。そう思えてしまうだけの性格を彼女はしていた。
……いや、さすがに王族相手にそれはしないか。
「なんなら、当時はかなりやる気もあったらしくって。どこかやる気がない今の感じはあとからみたいなの」
「……へぇ、あの人がねぇ」
やる気のあるルーナ。ちょっと、ミリアには想像がつかない。
「でも、元ってことはやめちゃったの?」
「やめたっていうか、追い出されたっていうか」
テトラは少し悲しげな表情をしながら、自分自身が手元で抱えている魔物の素材へと視線を落としながら、語る。
「彼女の研究が、王族の意図に反するということで追い出されたの」
ルーナの専門分野は、魔物素材を用いた薬剤の研究だった。
ルーナの研究以前も、魔物素材を利用した薬の製作により、効果の高い、質のいい薬を作り上げられるということは、経験則で知られていた。
だがしかし、その機序がわからない。というのがそれ以前の常識だった。
だから、ルーナはそれを明かそうと研究を進めていた。
機序がわかれば、応用が効きやすくなる。新たな薬の作成も難易度がグッと下がる。
彼女の研究は、大きな実を結ぶと予想されていた。
いや、実際。大きな実は結んだ。
だがしかし、それが禁断の果実だということに。気づいたのは、その甘美な果肉を齧ってしまった後だった。
「ルーナさんの研究の結果、魔物素材を用いた薬の作成には、魔物素材が持っている魔力が作用していることがわかった」
「魔物素材の、魔力?」
たしかに、魔物素材は魔力を孕んでいる。それゆえの効果などもあるため、薬にそれが作用しているということ自体にはそれほど不自然な感じはしないが。
そういえば、先程のテトラが下処理を行うときにも、魔力が逃げないようにと工夫していたことを思い出す。ついでに、下処理の理由――素材を薬として利用する場合の目的の一つに、魔力の保持があることにも納得する。
だがしかし、それがどう追放と関連するのか。
「……まあ、簡単な話だよ。ルーナさんの研究で明らかになったのは、魔物素材を由来とする薬は、その魔力を利用している、ということ」
「魔力の、利用」
「そう。そしてそれを、国は魔法使いのそれと同義に扱った」
「――ッ!」
そのままルーナさんは勾留。だがしかし、慣習的に行われてきた調薬の手法なだけに、規制は困難。
しかし、そんなタイミングでトラブルが重なる。
王族のひとりが、病に臥せることとなる。
ルーナの研究以来、少なくとも宮廷では魔物由来の薬の利用を禁じていたこともあってか。また、ルーナが宮廷の中でも頭一つ抜けた腕の持ち主だったということもあってか、彼女の技術と、そして魔物素材を断った状態での治療は困難を極めた。
だから、国は苦渋の選択をする。
魔物素材の魔力による薬は、あくまで素材の力を利用しているだけであり、魔法の行使とは別物である。実際、通常、魔物素材を利用した薬であっても、魔法が発現するわけではない。あくまで、効力が補助されるとか、その程度。感覚として、ルカが扱っていた身体強化が認識として近い。
そういう理由付けに基づく、魔物素材の解禁。また、ルーナへの、治療と引き換えの拘束の解除。
全部、自分たちの身勝手の結果だったにもかかわらず。
「それで、ルーナさんは?」
「治療は成功。ただ、彼女のさらなる研究を危険視する声が宮廷中であがり、追放されることになった」
「……ひどい」
「まあ、ルーナさんはあんまり追放されたことについては気にしてないんだけど」
あっけらかんと言い放ってしまうテトラに、ミリアは驚きの声をあげる。
「えっ、でも。このことについて話すのを嫌がるって」
実際、ミリアもテトラが話しそうになってそれを無理矢理に言葉で遮ったシーンを見たことがある。
あれは、たしかに嫌がっている人間の素振りだ。
「うん。でも、ルーナさんが悔やんでるのは、このあとの話なの」
事情が事情だったといえ、事実上の認可が下ってしまったこともあり、ルーナの研究は時間が遅れたものの公開されることとなった。
公開されたそれは、たしかに薬の質の向上や新薬の開発に大きな恩恵を齎した。
だがしかし、それと同時に大きな問題も引き起こした。
「魔薬、ってしってる?」
「名前だけは」
禁止されている、違法薬物である、というくらいなら。
「魔薬はね、素材が持つ魔力を利用するだけでなく、素材が利用していた魔法の器官をうまく利用することにより、魔法を誘発させる、って薬なの」
「……つまり、飲んだ人の身体で、魔法が発動する?」
「大まかには、そういうこと。そして、この研究が加速した要因も、嫌な話がルーナさんの研究だったの」
それはそうだろう。今まではこの植物をうまく利用すると異常な快感を得られる、程度だったものが、その仕組みが解明されたのなら。
「ルーナさんは、魔薬の発展は自分のせいだ、と。そう悔やんでる」
テトラは、手元に視線落としながら。彼女自身も、ひどく悔しそうにしながらに言う。
「薬だって、使い方を間違えれば毒になる。結局は、使う人の使い方だってことは、誰だってわかっていて。それを一番わかってるのは、私たち薬剤師だというのに」
テトラの言葉で、少し確信を抱いた。
ルーナは、自分を罰しているのだろう。自分の研究が間違いなく益を齎した一方で、苦しむ人を生み出したという、そのことに。




