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#1 かくて大罪人と少女は出会う

 男は少女と出会った。ただ暗い夜の森で。


 男は見上げた。ギロリと鋭いだけの眼光で。

 少女は尋ねた。どうしたのかと。


 男は乞うた。腹が減り喉が渇いたと。

 少女は答えた。少し待っててと。


 男と少女は互いに知り合いではなかった。ここで初めて出会った。


 男は待ってみることにした。信じた訳ではない。

 少女は森を歩いた。木の実を探して。


 男は息をついた。座ったままで夜空に目をむけて。

 少女は戻ってきた。少々時間は経っていた。


 けれども男にも少女にもそれがどれくらいの時間だったか知るすべがない。


 男は再び鋭い眼光を少女に向けた。さっきと変わらずただ鋭いだけの眼光を。

 少女は差し出した。集めてきたのだろう木の実と半分限りのパンとを。 




「ありがとう」


「いいよお兄さん、困ったときは助け合いが大切なんだってお母さんが言ってたもの」


 男は少女から受け取った木の実をありがたく頂戴した。男にとっては久しい食事だった。

 中には水分の多い木の実も混じっていて。喉が渇いたと言ったからだろう。


「それにしてもこのパンは?」


 まさかパンが木になっていた訳ではないだろう。そう言うと少女はクスリと笑った。


「ええ、もしそんな木があるのなら、見てみたいわ。それで、これはお母さんから貰ったの」


 そうか。男は言う。

 しかしそれならば。不審に思って尋ねた。


「その母親はどこに?」


 少女は男の隣に座った。その背丈はまだまだ成長を予感させるほどしかなく、少なくともこんな森を1人で歩くには小さすぎる。

 その上夜と来た。さらにおかしい。


「わかんないの」


 質問の答えに、迷子だろうかと男は思った。


「お母さんは私にこのパンをくれて、それからここに連れてきてくれたの。それで、この森にいなさいって」


 男は耳を疑った。少女は淡々と続ける。


「そうすればご飯がなくて困ってる村の皆を助けられるからって」


 驚いた。男は目を見開き、横にいる少女を見た。


「お母さんはそのままどこか行っちゃったの。待っても待っても帰ってこなくて」


 男は何も言えないでいた。あんまり驚いて顎が動かなかった。


「でも、皆が困ってるから助け合わないとでしょってお母さんが」


 少女はあんまり無垢に言うので、ある意味で酷く呆れた。


「お前の名は、何と言うんだ?」


「名前は無いの。でも、村ではイミゴって呼ばれてたから、もしかしたらそれが名前なのかも」


 イミゴ、忌み子。つまり、この子は。

 男の脳裏によぎった言葉は“口減らし”だった。


 次いで“生贄”という線も浮かんだが、そういう風習は数えるほどで、ほとんど聞いた覚えがない。


 先程までは空腹やらで視界がぼんやりしていた男だったが、今ではそれなりに回復しているようで。

 改めて少女を見ると、足は裸足。服だってワンピースかと思っていたのに、実際はかなり継ぎ接ぎされている大きいボロボロのシャツだった。


 少し考える。この子に、本当のことを伝えるべきかと。

 迷ったが、伝えた。


「お前に1つ教えてやる。母親が、迎えに来ることはない」


 一瞬少女の目が大きく開かれ、しかしすぐに普通の大きさになって。


「そ……うなんだ、なんとなくわかってたけど」


「泣かないのか?」


「……うん、泣いたら怒られたから」


 これは、ひどい病だ。男は思った。

 どこか空っぽな声が、木々の間に虚しく消えた。




「でもね、お母さんは最後にとってもいいものをくれたの」


 少女は小さなパンを齧る。

 男は少女の話に時々頷いたりしながら聞いていた。


「こんなパンね、私ほとんど食べたことなかったの」


 ん、と。喉にパンを流した。少女は次を齧る前に言う。


「いつもは焦げてたりカビが生えてたりするのだっから、こんな美味しいパン食べるの久しぶりなの」


 男はその内容にギョッとした。

 つまり、この少女にとっては、男が普段何気なしに食べているようなパンでさえ、貴重で特別な物だったのだろう。

 もちろん、今2人が食べているパンも然り。


「そんなものを俺が半分も貰ってしまってよかったのか?」


 男は残り少しになってしまったパンの欠片を。いま最後のひとかけを食べようとしたのをすんでの所で止め、聞いた。


「うん、だって1人で食べても美味しくないじゃない。私、誰かと食べるご飯もとても久しぶりなの」


 少女が残ったパンのかけらを口に放り込んだのを見て、男も自身の残りを口に入れた。


「そういえば、お兄さんの名前はなんて言うの?」


 少女はそう訊いた。男は少々渋ったが、名乗る。


「俺は、俺の名前はエアハルトだ」


 エアハルトさん。少女が名前を呼ぶ。男――もといエアハルトはポリポリと頬を掻き、むず痒そうに言う。


「あー、エアでいいぞ」


 そう言うと少女は「エアさん」と言うので、当の本人は苦笑して「呼び捨てでいい」と言った。


 ふと思い出して、エアハルトは腰のあたりを弄る。しかしすぐに額に手を当て、ため息をつく。


「忘れてた、全部無いんだった」


「どうしたの? エア」


 そんな様子だったエアハルトに、少し心配になった少女は訊いた。


「ああ、ただ今のパンと木の実との礼になるものは無いかと弄っていたんだが、ここに来るまでに鞄をなくしてしまって」


「そそそ、そんな! 私はそんな礼を貰うようなこと!」


「いや、俺は腹が減った喉が渇いたって言った。お前はそれに応えてくれた。礼くらいさせて欲しい」


 あんまり真面目にそう言うので、礼を受け取ることに少女は了承した。


 が、しかし「礼はさせて欲しい……んだが」と、言葉を濁らせる。

 そう。先のとおり、エアハルトは礼をする手段を持ち合わせていなかった。


 顎に指をかけて、考える。あんまり長く悩んでいるようで、心配に思ったのか少女はエアハルトの顔を覗き込んだ。

 しばらく見つめられていたのだが、集中していたのだろう、気づかない様子で。それから考えが纏まったのか、声を出した。


「そうだ、えっと、名前はないんだったな。とりあえず少女……でいいか?」


 エアハルトがそう訊くと、少女はコクリと頷いた。


「少女は、まだ歩けるか?」


 またもコクリと頷かれる。

 エアハルトはこの場でできる、少女への返礼を1つ思いついていた。


「それなら、今から最寄りの軍に行く」


 エアハルトはそう言った。少女は理解できていなさげに首を傾げる。


「こんなんだが俺は札付きだ。捕まえて引き渡せば報奨金が出る。自分で言うのもなんだが、そこいらの悪党よりかはずっと高額の自信はある」


 エアハルトは、色々考えた。この子に連れられ、村へと向かうことも考えた。

 札付きの罪人を捕縛したとなると村での少女の立場が変わるかもしれない。

 けれどそれはやめた。金は全部村のものになってこの子はまた捨てられる。その可能性があったから。


 エアハルトは少女に恩はあるが、少女がいた村に恩がある訳ではない。


「おそらく、俺を引き渡せば困らない程度の金は手に入るはずだ」


 エアハルトが以前見た手配書と変わりないなら、一般人の生涯年収より随分と多い額のはず。


「こんな状況では、礼として返せるのが俺自身しかない。好きにするといい」


「お兄さんは、悪い人なの?」


 少女はそう訊く。エアハルトは頷き答えた。


「ああ。訳あって人を殺したし、略奪もした。それに何より――魔法使いだ」


 魔法使い。超常の力を扱う、大罪人。

 その殆どは天賦の才として能力を得るというのに、不徳の方法により得たとして罪にされる。


 古きを重んじ、大衆を“普通”とし。

 新しきを拒み、異端を善しとしない。


 そんな人間社会の慣習だった。

 まあ、実のところは魔法使いの存在が認知され始めた頃に起きた魔法の暴発により甚大な被害が出て、これが差別を加速させた。

 ゆえに、大罪人なのである。


 少女はエアハルトが魔法使いであると知り、目を張った。


 まあ、当然だ。エアハルトは目を閉じる。

 魔法使いは畏怖嫌厭される存在。エアハルトもこれまでに魔法使いだとバレて、幾度となく態度を変えられてきた。


「魔法使いって、あの魔法使い!?」


「ああ、そうだ」


 故に慣れっこであった。そもそも、エアハルトは少女と軍まで行き、引き渡されて。それまでの関係だ。

 だからエアハルトにとって、少女にどう思われようが構わないことだった。恩を返せたら、それでいい。

 罵詈に蔑視、何が来てもいいと覚悟を決めた。しかし向けられたのは、ずいぶんと違っていた。


「凄い! 私、魔法使いって初めて見た!」


 暗い中でもはっきりとわかる程にキラキラとした眼差し。

 少女の反応は、エアハルトには殆ど初めてだった。


 少女はさっきまでの会話を思い出したようで。


「そうそう、お礼なんだけど、せっかくだけど私はお金なんて欲しくないの。貰っても使い方がわかんない」


 唇の下に人差し指を置いた彼女は、視線を上げなにか考えていた。


「ところで、私は帰る場所がなくなっちゃったんだけど、エアは?」


「俺も、随分と昔になくした」


 少女はそれ聞くとタッと立ち上がり、満足げにエアハルトに向いた。


「ふふふ、お揃いね。ところで、エアのことは好きにしていいのよね。なら私と一緒にいてくれない?」


 暗い中で、少女はしっかりとエアハルトを見つめた。


「私がエアの帰る場所になるの。だからエアが私の帰る場所になって」


「それでいいのか?」


 告げられた内容に、エアハルトは驚いた様子だった。


「だって1人じゃ何も楽しくないもん」


「……そうか」


 確かにもっともらしい少女の理由にエアハルトは立ち上がり、少女の隣で《光球ルミナスフィア》と呟いた。

 何も無いところから、人の頭ほどの球が現れて辺りを照らし始める。少女からは歓声が上がる。


「少女……いや、これから一緒にいるのに少女ではやりにくいか」


 そうだな。エアハルトはしばらく考えた。


「即興で悪いんだが。ルカ、でいいか?」


 ルカ、ルカ。少女は繰り返す。


「ルカ……! ありがとう、エア」


 少女、ルカは嬉々として言う。

 エアハルトは向き直した。


「で、ここからが本題なんだが、ルカはこれからどうしたい? 行きたい所とかやりたいこととか」


「行きたい所なら沢山あるよ! 海って所とか、山って所とか」


 指折り数え、左全部と右2本が折られた所で止まる。


「あと、やりたいことは、静かな所で野菜とか育てて、誰か……エアと一緒に暮らしたい」


「そうか、わかった」


 願いは了承された。

 悲運にも望まれずして生まれてしまった、しかし無知ゆえにか、はたまた目をそらしたゆえにか、それに気づかずに気丈に生きてきた、そんな少女の、小さな願い。


 それなら――まず手始めに。


 何をしようにも、札付きであるエアハルトの姿は目立ちかねない。それにルカの服装もそのままではいけない。

 とりあけずは、ルカの靴と服。それから2人分の外套を手に入れに行くとしよう。


 男は歩き始めた。少女はそれに続いた。

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