そしてエンドロールは始まった
パサッと何かが落ちる音がして、目が覚めた。カーテンの隙間から差し込んでいる朝日を煩わしく思いながらも、体も起こさずに傍らに置いておいた携帯電話を手に取り、時刻を確認する。
……6時13分。セットして置いたアプリの目覚ましが鳴るには、あと1時間ほどの余裕がある。
それを確認するや否や、寝相でずれていた布団をつかむと——————————躊躇なく跳ね除け、固くなっていた体を軽くほぐした。その後、落としていた分厚い本を拾い、ベッドの隣に置いてある椅子に座ると、テーブルの上にその本を広げて、昨晩していた勉強を再開した。
そのうち起床予定時刻になり、目覚ましが鳴り響くと、即座にまずは飯の用意。レンジに昨日の夕飯の残りを入れ、スイッチオン。すかさず、着ていた服を脱ぎ捨てると、風呂に入ってさっぱりする。
その後いい感じにレンジの中で冷めていた朝食を食べ、余った時間でもう一度勉強すると、決めていた時間通りに家を出た。
家を出ると、数日前の暑さが嘘のように鳴りを潜め、涼しい風が吹き抜けていった。休みが終わったのか、学生達は制服を着て元気に通学路を歩いているし、蝉の鳴き声もまともなBGM位には小さい。遠くに見える山も衣替えに入ったのか、色違いの葉っぱをぶら下げる木もまばらに見えるようになった……などと、どうでもいいことを考える今日この頃。
朝のすがすがしい陽気に包まれながら、夏も終わりと秋の始まりを感じている俺、こと山城亮介は最高に————————最悪な気分だった。
えっ秋? 大っっ嫌いですけどなにか?
涼しくて過ごしやすくて、巷では『読書の秋』や『食欲の秋』、『スポーツの秋』とか言われているらしいが……すまん。俺にはそんなことは関係ない。
『秋』さんに非があるわけではないのだ。これはもはや俺の体質? アレルギー? もしくはトラウマ、あるいは病気だ。
この爽やかで涼しい風。これを浴びていると、どうしたってあの時のことを思い出してしまう。
「あの事故からもう5年も経つっていうのにな……」
症状はいたって単純だ。秋の風を浴びると、体調が悪くなる。浴びている限り、体から倦怠感が抜けない。一度見てもらった医者の話では、『フラッシュバック』という症状らしい。
周囲の環境が、両親を殺めた事故発生時の環境……つまりは『秋』に近づくほどに体が勝手に反応して、ストレスによって体調を崩す。
正直、事故当初の記憶なんてほとんど記憶に残っていない……のだが、5年たった今でも体だけは覚えているって言うのは、女々しくも両親の死に縋り付いているようでみっともないように思う。
催眠療法や精神安定剤などは効果が全くなく、あえてトラウマを刺激して無理やり克服————なども試してみたが、どうやら途中で気絶してしまったようだ。風にあたりながら、交通事故の映像見ただけなのにな……。
—————そんなこんながあって、効果がないのに通院するのも金の無駄だと思って、治療は諦めた。それ以降、もちろんこの病気が治ることもなく、結果『秋』が嫌いになったというわけだ。
なので、この季節は極力外出したくないのだが、社会人ゆえにそうは言っていられない。
「はあ……俺にとっての秋は、『読書』でも『食欲』でも『スポーツ』でも無いな。そう、言うならば—————」
—————『憂鬱の秋』だ。