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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

百合の華

作者: 灰色の猫


 視覚から得る現実より、時には言葉から発生する仮想現実の方が価値があることが多い。




 私は彼女を好いた。友としてではなく一人の女性として。なんと言葉を並べたらいいか分からない。男女の垣根を超えて、生涯の伴侶として、いずれの表現も結局は相対的に価値を下げるだけの様な気がして嫌悪感すら抱く。そもそも、生涯とか一生愛するとか、期間限定の愛情なんて私達には要らない物。


 よく人は愛してる、大好きだとか大きな声で囁くだけで濡れるみたいだけど、私には滑稽なロードショーでしかない。


 先程述べた、彼女を好いたという言葉も、私の感情に失礼があるかもしれない。




 彼女は精神的にも肉体的にも自らの膜を溶かし、私の居場所を提供してくれた。


 彼女が私を受け入れたと同時に私はワタシではなくなった。彼女と一つになれたという事は喜びでもあり、また悲劇でもあった。あなたとワタシ、ワタシとあなた。1という数字が2で割られた瞬間でもあった。



 私があなたを感じる様に、あなたも私を感じている。恥ずかしさという感情が促進剤となり、さらに融け合う。






 私は女として育てられた。髪を伸ばし、スカートを履かされ、部屋にあった人形と同じように。その考えは間違ってはいないと思う。男性器もないし、定期的に血も吐き出す。分類学的には確かに女だった。



 ただ、男を好きなさいとはただの一言も言われなかった。女である母親からも、男である父親からも。隣に住んでいたどっちつかずの老人からも。


 人は年齢を重ねれば胎児に戻るのかもしれない。生まれたての人は性別で容姿が別れない。死に際の老人も性による容姿もたいした差異はない。産まれた時に近づく事によって土に還りやすくなるのかもしれない。



 その過程である私はどちらなんだろう。トイレの便器に座る前にいつも小一時間悩む。そのせいなのかかなりの頻度で後ろから催促のノックをされ、ようやく本来の目的を達成する。私が実家にいた頃の両親は、私の生理現象の守り人だったのかもしれない。



 彼女を好いた頃からこの悩みも無くなった。無くなったというのは過剰な表現かもしれない。実際は発症前のエイズの様に人知れず潜伏していたのだけれど、私がワタシで無くなった瞬間から全てを彼女に委ねる事にした。


 喜びも悦びも悲しみも哀しみも。全てを。おかげでトイレという閉鎖的な空間で悩む事は無くなった。場所は彼女の膣内に変わった。たまに考えすぎて「ねぇ」とノックされるが、私は悩んだままでも許された。代わりに彼女が「お先に」と言わんばかりに鳴き声をあげる。私はその声を聞いて本来の目的を思い出している。全てを委ねて良かった。



 女が女を好いてはいけない理由を語れる人は多いが、好いていい理由を論文にできる人はまだ少ない。



 私はもう少しでまとまりそうだ。私より先に彼女が提出しそうだが。

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