温泉といえば
夕飯の時間になり、大部屋へ戻ると既に全員が集合していた。
そこで僕は気になっていたことをふと口にする。
「ところで柊は荷物移さなくていいのか?」
「はい?」
意味が分からないといった表情で首を傾げる柊。まさかお前、平然とした顔でこのハーレムに残るつもりだったのか? 僕が別室を用意したことで叱責を受けているときも静観していたし、こいつ可愛い顔して図太い神経してやがるな。
「ほら、今夜どこで寝るつもりだよ。僕の部屋が嫌ならもうひとつ部屋を用意してもらうけど?」
「何言ってるんですか先輩。寝言は寝て言ってください」
どうして小鳥遊に噛みつかれたんだろう? 僕、何か変なこと言った?
貞操がどうとか言っていたくせに柊が同じ部屋で寝ることは許容するのかよ。どんだけ僕のこと嫌いなんだよ、お前。
「だって柊がそっちで寝るわけにはいかないだろ。男子なんだし」
その場にいた全員が凍りついた。柊は俯いてしまい、肩が少し震えているように見えるが、その表情を見ることができない。
沈黙を破ったのは小鳥遊だった。
「はぁ?! 何言ってんの、サイッテー! 柊さんは女の子ですよ!」
「えっ?!」
驚いて柊に振り返る。柊は諦観のような薄い笑みを浮かべて遠い目をしていた。
マジかよ、知らなかったの僕だけかよ。確かによく見れば胸にささやかな膨らみがあるし、考えてみれば学園から移動中の車内で一番後ろの席はほとんど押し詰め状態だったにも関わらずこういうことに口うるさい小鳥遊が大人しかった。僕が後ろにいたら間違いなく文句を言われていたはずだ。
つまり僕は本人の前でとんでもなく失礼な誤解を告白したことになるのか?
「初対面の人には大体間違われるんですよ。自分のことオレとか言ってますし、誤解されるような振る舞いをしていたオレにも原因がありますから、気にしないでください」
気にしないでと言いながら絶対傷ついている。柊が力なく自嘲するような笑みを浮かべているのを見ると罪悪感で胸が張り裂けそうだ。
「悪かった! 本当にごめん!」
土下座した。土下座では足りない。もういっそこのまま畳をどけて地に埋まりたい。
ということは、今回の旅行って男が僕一人しかいない完全ハーレムの企画だったってことか?
柊を男子と勘違いしていたから僕は平静を保てていたのに、これじゃこの嵐の中、僕は飯時以外完全にぼっちじゃないか!
その後、夕飯の間、柊が僕と視線を合わせてくれなかったことは言うまでもない。
何ていうか、これ以上謝ると反って怒らせてしまうだけだろうし、どうしたらいいのか分からない。まぁ、自業自得なんだけど。
今にして思えば昼食前のガールズトークの際に、柊もその場にいたじゃないか。
仲居さんと一緒に入ったときに全員が揃っていた時点で、僕はガールズトークに参加していた柊の性別を知る機会はあったのだ。
自分の愚かさにつくづく嫌気がさす。
食後、温泉に入る前に一汗流しましょうという可憐さんの提案で、僕らは卓球に興じることにした。
八人いるので卓球台を二台使ってAブロックとBブロックに分けて、二セット先取の勝ち抜き戦を行った。
Aブロックは可憐さん、柊、桜庭、釘宮の四人で、Bブロックは残りの僕、秋葉、小鳥遊、新宮寺先輩となった。
まず、Aブロックのトーナメント表は可憐さん対釘宮、柊対桜庭。Bブロックは僕対新宮寺先輩、秋葉対小鳥遊となった。
第一試合に出場した僕は卓球には少しだけ覚えがあり、そこそこいけると浅はかな考えで挑んだわけだけど。
「うふふ、それじゃいきますよ」
スカーン。
「え?」
ちょっと、聞いてねぇぞ! 王子サーブの使い手がここにもいた!
万能な先輩だとは思っていたけれど、僕とはそもそものスペックが違いすぎた。小学生がトップアスリートを相手にするような試合展開で第一試合、僕はストレート負けを喫した。
二セットやって一点も入れられないなんてさすがに自信なくすぜ。
あっという間に決着がついてしまって、時間を持て余した僕は隣のAブロックが気になって覗いてみると、こちらも第一試合が終わったようだ。
浴衣を着崩して肩で息をする釘宮に対して涼しい笑顔で「良い汗かいたわね」と汗ひとつ見せない可憐さん。
何となく予想はできていたけれど、やはり決勝は可憐さんと新宮寺先輩になりそうだ。
釘宮を介抱してやり、ベンチに寝かせてから「このまま抱いてー」と冗談を言う余裕が出てきた彼女を置いて、僕は第二試合の様子を見に行くことにした。
両グループともラリーが続き、なかなかの接戦だ。
僕なんてラリーに持ち込むこともできなかったのに。釘宮の疲労から見て、彼女は可憐さんの魔球に必死で食らいついたのだろう。そう考えると、今回の卓球大会で僕だけ良いとこなしじゃないか?
もう少し死ぬ気で食らいついておけば良かったと今さら後悔しても遅いか。
「柊さん、なかなかやりますわね」
「会長こそ、今日初めて卓球やったとは思えないです」
マジか。桜庭は卓球したことないのかよ。お嬢さまとはいえ、中学のときの体育とかで普通やるだろ。もしかして、紅白学園付属中学校って体育で卓球しない学校だったの?
高等部では選択式でたしかに卓球を選ばない選択肢もあるから分かるけど、中学だったら一回くらいやってるだろ。
あ、そうか。そういえば桜庭って中学時代は海外に留学していたんだっけ?
海外は文化が違うから、卓球に触れることがなかったのかもしれない。偏見かもしれないけどね。
たどたどしい動きだけど、それでも一生懸命やっている桜庭には好感が持てた。柊も手加減はしてやっているようだけど楽しそうだ。思えば問題児だから生徒会で監視したいと言っていた当初では考えられないくらい親睦は深まっているように見える。
まぁ、柊は僕たちが思うような問題児ではなく、誤解で悪い噂が流れていたこともあるだろう。
というのも、夕飯の際に誤解されやすいという話題からもしかして他にも僕たちが彼女に対して誤解をしていることがあるんじゃないかという話になり、入学時の暴力事件についての詳細が明らかになったのだ。
きっかけは入学式の帰り道、校舎裏で子猫でキャッチボールをしている不良生徒がいたそうだ。
柊はこう見えて(って言ったら失礼だけど本人も言ってたしいいか)動物が大好きで、その光景を見て激怒した。宙を舞う子猫を空中キャッチして保護したところ、まぁ予想どおりの展開で不良たちは柊に絡んだのだ。
三人がかりだったそうだが、柊はそれを撃退。その後、仲間を連れて報復にやってきた不良どもを返り討ちにしているうちに気がつけば全員を倒していたそうだ。
どんだけ強いんだよ、お前。
その件で数人の退学者が出たのだけど、事情聴取もとい拷問を行った鬼の生徒指導、如月渚先生が一部の不良から真実を聞き出したことによって柊の処罰を軽減できたとか。
先月、僕が暴力騒ぎや乱入騒動を起こしたときも渚先生にはお世話になったけれど、傍若無人で問答無用に裁いているように見えて、生徒のことをよく見て正しい判断をしている人だ。
正直、僕も渚先生には頭が上がらない。うちの学園で唯一、僕の正体に気がついていたくらいの人だもんな。
まぁ、入学して一ヶ月で生徒指導室への呼び出しが既に三回ある時点で優等生とは言い難い柊だが、こうして見ると案外普通の女の子なのかもしれない。
第二試合は思いの外白熱して、スコアが拮抗したまま両ブロック第三セットへ。
初心者の桜庭がセットを取ったときの眩しい笑顔に不覚にも萌えてしまった。
その後、コツを掴んだのか桜庭が柊を倒して勝ち上がり、準決勝へ駒を進めてBブロックは小鳥遊が準決勝へ進んだ。
「あ、そうそう。最下位には罰ゲームを用意するから、負けた子たち同士で試合してね」
可憐さんが朗らかな笑顔でそう言うと、この罰ゲームが如何に恐ろしいものなのか恐々としてしまう。
予想どおり瞬殺で可憐さんと神宮寺先輩が決勝へ勝ち上がり、決勝の前哨戦としてAブロックは柊と体力が回復した釘宮、Bブロックはまるで良いところがなかった僕と秋葉で最下位決定戦という足の引っ張り合いが始まった。
「あ、それと姫島くんは経験者みたいだからペナルティつけてあげてね」
神宮寺先輩、あんな一方的な試合展開だったのにどうして僕が経験者だと分かった?!
まぁ、多少点差を与えたところでこの僕が秋葉に負けるなんてことはないのだけど。
くっくっく、現実というものを教えてやろう秋葉!
「じゃあ、政宗くんのラケットはこれね」
可憐さんが飲み干したコーヒー牛乳の瓶を僕に渡す。今だけはこの笑顔が妬ましい。
点差ペナルティだと思い込んでいたけれどまさかこんな超難度のミッションになるとは思っていなかった。
え、ちょっと待って。マジ意味わかんない。これ、どうやって戦えば良いんだよ。
まずどこを持てば良いんだ?
底の部分を握ろうとして、僅かにコーヒー牛乳が底に残っていることに気がついた僕は、このまま振れば台や床を汚してしまうと思い、口の部分に手を付ける。
あれ、これってさっきまで可憐さんが唇を付けていた部分だよな?
あの超絶美人が口を付けていた部分が今、僕の手の中にある。やべぇ、意味もなく緊張してきた。
僕が戸惑っている間に隣の卓球台では柊と釘宮が試合を始めていて、さっきは見られなかった激しい死闘が繰り広げられている。
釘宮って何事にも手を抜かない、一生懸命なところがカッコ良いと思う。
でも、卓球でここまで激しく動く奴はお前くらいだと思うぞ。どう見てもオーバーワークだし、無駄な動きが多すぎる。第一試合であれだけ疲労していたのはこれが原因か。
サーブ権を得た僕がなかなか試合を始めないから、台の向こう側から秋葉が早く始めろオーラを放つ。
はいはい、分かったよ。とりあえずこのセットは捨てても良いから瓶の扱いを覚えよう。円柱型というのは滑らかな曲線のせいで球がどこへ飛ぶのか予測不能だからね。
「よし、じゃあいくぞ秋葉」
「……ん」
スカッ。コン、コロコロ……
「あ……」
なんてこった、サーブミスで早くも一点を与えてしまった。この瓶卓球、思ったよりも奥が深くて難しいぞ。
「ぷっ……いくぞとか言いながら」
卓球台が二つしかないため、三位決定戦まで余裕がある小鳥遊が横で吹き出した。笑っては失礼ですわとか言いながら、桜庭の肩も小さく震えている。
「……ま、政宗、早く」
ここまで一ヶ月も僕の前で無表情キャラを演じてきた秋葉まで笑いを堪えていた。お前、せっかく素直になってきたんだからこういうときは笑っても良いんだぜ。っていうか、笑ってくれた方が今の状況としてはありがたいのだけど。
もう一度、気を取り直してサーブに挑む。これ以上失敗は許されない。秋葉や他の奴に笑われるなら良いけれど、特に小鳥遊に笑われるのだけはどうしても我慢ならねぇ。
先程よりも慎重に、ゆっくりと球を狙って確実に当てる。
コンッという音と共に今回は上手くワンバンさせて相手コートへ球は飛んでくれた。手の中に伝わる瓶の空洞による僅かな振動が心地良いとさえ思えるくらい、僕はこのサーブに賭けていた。サーブ如きでここまで神経をすり減らすことになるなんて思ってもいなかったよ。
先程の第一試合でコツを掴んだのか、秋葉は難なくリターンしてくる。ここからが本当の勝負だ!
神宮寺先輩との試合ではラリーを繋ぐことさえさせてもらえなかったけれど、今回も条件が難しいことに変わりはない。計算しろ、僕の得意な計算で瓶のどの部分に当てれば無事に返球ができるのか!
瓶底の直径は約七センチといったところだろうか。円柱という形の今回、比率は円周率に起因する。ならば側面の滑らかな傾斜の角度にも一定の法則があるはずだ。
秋葉のリターンを目で追うコンマ何秒の間に僕は思考をフルに回転させる。
「政宗くん、頑張ってー」
可憐さんの応援が背中を押してくれる。はずだったのだが、この状況で意識しないようにしていた可憐さんが声を出したことで僕の意識は完全に手の中にある瓶の口に持っていかれる。
そうだ、この瓶はさっきまであの可憐さんの口に……ちらりと一瞥した柔らかそうな唇が理性のメーターを振り切った。
体は反応していた。でも、腕を振ることができなかった。
この後、終始こんな感じで僕の集中力は可憐さんに乱され続けて結果は一点も取れずにストレート負け。
今日の僕、まるで良いとこないよ。これはさすがに凹むぜ。
こうして僕は罰ゲームへの階段を一歩上がった。いや、この場合は降りたのかな。どっちでも良いや。
隣の卓球台で試合をしていた二人の戦いはまだ続いている。一セットずつを取って、スコアは柊がややリードしている。序盤からあんな激しい動きをしていた釘宮だからさすがにバテたんじゃないだろうかと邪推したけれど、まだまだ元気に飛び回っている。僕にもあれくらいの執念があれば少しは見所を作れたのではないだろうか。
先にマッチポイントを迎えたのは柊。このゲームで点を取れば最下位決定戦は僕と釘宮の試合になる。さっき夕飯のときにとんでもない失礼があった手前、できることならこのまま柊に勝ってもらいたい。ほら、何か気まずいじゃん?
必死で食らいつく釘宮の体勢が崩れた。この好機を逃す柊ではない。一気に勝負を決めにスマッシュを放ち、釘宮の体が反応できない真正面に飛んでいく。
これは決まったな。
と、思いきや釘宮がここでとんでもない奇跡を起こした。
「ぬああっ、まだまだぁ!」
女子高生とはとても思えない声をあげて釘宮がラケットを真上に放る。絶妙なタイミングで釘宮が投げたラケットは球をとらえて柊のコートへ返球する。ただ当たっただけの球はネット際で柊側に落ちた。これは予想外だった柊は慌てて球に手を伸ばして返球。
この二人の反応速度、半端じゃねぇ。
しかし、その間に体勢を整えてラケットを空中でキャッチした釘宮が見事なリターンで点差を縮めた。
特筆すべきところはこの辺りかな。結果としては釘宮が大逆転勝利を決めたので、最下位決定戦は僕と柊が行うことになった。
「政宗くん、最下位決定戦出場おめでとう」
可憐さん、あんたわざと言っているだろう。ちくしょう、罰ゲームは絶対に嫌だ!
でも、相手が柊である以上、僕は夕飯のときの無礼に対する罰を受けるべきなのかもしれないと思うと、複雑な気分だ。
「最下位決定戦は最後に行うから、先に決勝と三位決定戦をするわよ」
言いながら可憐さんと神宮司先輩がラケットを手に卓球台へ、それに続いて隣の台へ桜庭と小鳥遊がついた。
どちらの試合も実力は拮抗しているように思う。
さっきコツを掴んだばかりの桜庭に比べたら経験のある小鳥遊がやや優勢だろうか。
可憐さんと神宮司先輩の試合に至ってはどちらが勝つのかも予想できない。
だって、どっちも凄すぎるんだから。