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疾走!あの丘を越えて Ⅳ




 力任せに鎖を破壊して、先生の手を自由にする。だけど、それが何だって言うんだ。


 浅はかだった。俺の考えは、ただの傲慢だった。


 俺は何一つ理解しちゃいなかった。ここから先生を連れ出せば、全部丸く収まるなんて甘い事を考えていた。

 この傷は癒えるのだろうか。四肢についた裂傷は、きっと消えることのない傷跡になる。鎖に繋がれこんな仕打ちを受けて、明日から笑って行きてくれなんてどれだけ残酷な願いだったのだろう。


 ――殺して下さい。


 先生の言葉が頭の中で反響する。嫌というほど覚えている。自分が全部嫌になって、人生を投げ出した事を思い出す。だけど、俺の悩みはちっぽけだった。まだ、なんとかなるって笑い飛ばせるものだったんだと今になって実感する。だから俺はこんな場所で、こんな事をしているのに。


 何を言えばいいのだろう。

 何をすればいいのだろう。

 この人のために、俺は何が出来るのだろう。


 出来る事はあったはずだ。こうなる前に尽くせた手は、山程あったはずだ。俺が下らない事に悩んでいなければ、目の前にいる先生はきっと今でも笑っているはずなのに。


「ごめんなさい、あのっ……困らせた、みたいで」


 なんで。


 どうして。


 この人は、こんな優しい言葉が言えるのか。


「ずるいじゃないか、先生」


 俺は呟く。声も大人になっているから、わかってくれるなんて思わない。

 だけど、それでいい。俺はどこかの誰かでいい。


 襟元のマフラーを解いて、先生の体にかぶせる。ケレン味たっぷりの長いマフラーは、先生の体を覆うには十分すぎる長さだった。


「……ここを出よう。それからの事は」


 先生を抱きかかえて、俺は仮面の下で笑ってみせる。

 それから邪魔な牢屋の壁を、蹴り飛ばしてぶち壊す。


「それから考えよう」


 俺のしている事が、正しいなんてわかりはしない。父さんの言うように、彼女のお陰で沢山の命を救えるかもしれない。


 だけど、俺はヒーローだから。

 そうなるって決めたから。


 目の前で泣いている人を、放っておくなんて出来やしなかった。



 

「うわっ! ……うわ、うわっ!」


 屋根を跳ねていく度に、先生が可愛らしい悲鳴を上げる。弱々しい手で俺の首に回して、俺は落ちないようにしっかりと抱きかかえて。


「……怖い?」

「ううん、驚いただけですから」


 それから、俺達は前へと進む。


「あのっ、一つお伺いしたいんですが……」


 不思議そうな声で、先生が尋ねて来た。


「……どうして、私が先生だってわかったんですか?」


 なるほど、そう来たか。


「それは、その……」


 街中を跳ねながら、考えを巡らせる。本当は俺リュートなんです何て言おうかとも考えたが、それは今ここで説明するには時間がかかりすぎるし、あまり先生を驚かせるような事は言いたくなかった。


「そういう雰囲気、しているから」


 適当に誤魔化す事にした。


「結構、話しやすい人なんですね」

「……俺の事?」

「もう、他に誰がいるって言うんですか」


 先生が、少しだけ笑ってくれる。それで俺の心は、ほんの少しだけ軽くなってくれた。


「……ごめん。勝手に君を連れ出した」

「いえ、良いんです。ちょっとだけ良い事がありましたから」

「良い事?」


 先生はもう一度笑って、街を見下ろす。そこから建物を指さして、あそこのパンが美味しいことや、そっちの花屋がよく一本おまけしてくれることだったり、あそこには生徒が住んでいるなんて教えてくれて。


「私、この街で生まれ育って……大好きだから」


 その言葉に偽りは無い。素直な、傷だらけな顔でなお、先生は優しかった。


「空のお散歩なんて、今すごく楽しいんです」

 

 だから俺は、屋根を強く蹴り飛ばす。レンガが少し剥がれるのはご愛嬌で、何倍も高く飛んでみせる。


 見える世界を一望する。


 知らない街の明かりがある。

 行ったこともない山がある。

 この街の先に俺の知らない世界があった。

 そこには知らない誰かがいて、きっと先生を暖かく迎えてくれる場所があるんじゃないかって、無責任な願いを望んでみたり。


「……どこか、行きたい場所は?」

「じゃあ……」


 一緒に空から見下ろしながら、先生が景色を選んでいく。あそこは行ったことがあって、あっちはいい思い出が無くて。


「あそこ! あの丘から見える景色が好きなんです」


 結局先生が指さしたのは、あまり街から離れていない小高い丘だったけれど。


「……了解!」


 俺は背中を広げて、赤い燐光を放出させる。痛いけれど、それでいい。


 あの丘に向けて走れるのなら、それだけで。






「さあ、到着しましたよっと」


 ゆっくりと着地して、先生を降ろそうとする。けれど、足の傷を見れば歩けるわけなんて無いから、俺はそのまま進んでいく。


 見覚えのある丘だった。以前父さんと母さんと三人で弁当でも持って来たんだっけ。結局万年運動不足の父さんが一番最初に音を上げて母さんに呆れられて。



 その場所を歩いて行く。先生を抱きかかえて、今はちょっとだけずるい背伸びをして。


 丘の上から見える景色は、お世辞にも綺麗とは言えなかった。雨雲から溢れる月明かりは、視界の先を照らしてくない。

 

 だけどそんな景色でも、先生は喜んでくれた。


「綺麗……」


 先生が声を漏らす。それから、凄く悲しいことを言った。


「最期にここに来れて、良かった」


 先生の考えは変わっていない。ちょっとだけ良い事があったって、これからの事全部吹き飛ばすのは不可能だ。


「……どうにか、ならないのかな」


 風に消えてしまいそうな小さな声で、俺は呟いた。


「はい、どうにもなりません」


 先生の言葉は正しかった。もう彼女は人間ではなく物で、これから先死ぬまで延々とこんな仕打ちを受け続けるのだろう。例えばどこかの誰かが気まぐれで助けに来たって、せいぜい空の散歩に連れて行くのが精一杯。


 もう、戻れない。


 それだけは確かで、それだけを彼女は望んでいる。

 普通の人生を描いていたのだろう。どこにでも転がっている、極普通の生活を。

 幸せな未来を思っていたのだろう。きっとどこかにある、ありふれた幸せを。


 それはこの灰色の景色のどこにもない。無くなってしまったものは、もう帰ってこない。


「このまま……ずっとこうしてくれますか?」


 俺は頷く。俺に出来る事はない、竜を倒せたって、時間は巻き戻せない。


「ねえ、知ってます? 明けない夜って、ないんですって。今がどれだけ暗くたって、絶対に日は昇るんですって」

「ああ、そうだね」

「どこかの誰かが、言ったそうです」

「知ってるさ……だって、俺の言葉だから」


 先生を励ましたくて、何とかひねり出した言葉。俺のどうしようもない人生で染み付いてくれた、子供向けのテレビの台詞。それでも、何だって良いじゃないか。誰かを励ませたなら、どうだって。


「なあんだ」


 それから先生は目を見開いて、一瞬だけ驚いて。やっぱり、優しく笑ってくれた。


「あなただったんだ」


 ゆっくりと仮面に手を伸ばして。


「どこかの、誰かさんって」


 その手を、俺は握り返す。


「……ああ」


 そうだ、それでいいんだ。どこかの誰かで良いじゃないか。

 何も出来なかった馬鹿な男に、立派な名前は必要ない。

 

 


 先生の手が零れ落ちる。血塗れのマフラーは、随分と重くなっていた。




 だから、俺は吼える。何度も、声の限り。


 日が昇る。


 ああ、アムドブレイバーは正しかった。

 当然の事を言ったのだから、当然の結果が返ってくるだけ。


 だけど、今日だけは間違っていて欲しかった。いつまでも先生と、明けない夜を見ていたかった。あの優しい笑顔だけは、いつまでも続いて欲しかった。


 声にならない叫びが、朝日に何度も響いていた。




 


 丘の上に、彼女の墓を作った。土を掘り、彼女を埋め、近くの林から二本の簡素な木を十字に縛り突き立てた。

 先生の血が滲んだマフラーを、首に巻く。鉄の匂いが染み付いている。だけどそれを俺は生涯忘れる訳にはいかない。


 墓標の前に膝をつく。本当に優しい人だった。楽しい人だった。


 だから何も出来なかった事が、ただただ悔しくて。




「おいおい、埋めたのか?」




 声が聞こえる。拳を握りしめ、俺は振り返る。


「困るんだよなあ……死体にも利用価値があるって、おたくわかってるんだろう?」


 魔術師がため息をつく。だから俺は拳を前に突き出し、構える。


「――させない」


 呟いたその言葉は、俺の決意。この場所を、あの人を守ってみせる。あんな惨劇を、絶対に繰り返させない。


「おい、魔術師に勝てるとでも思ってんのか?」


 大地を蹴り、丘を一瞬で下っていく。


 男が何やら呪文らしきものを口ずさめば、一瞬にして地面から大木が生えてきた。




 邪魔だ。




「あああああああああああっ!」


 力任せにそいつをぶん殴る。一瞬で砕け散れば、男の顔が見える。そこだ。



 描くのは杭。この男を磔にするための、頑丈な鋼鉄の杭。右腕に念じてそいつを作り、眉間めがけて投擲する。


「……くそっ!」


 悪態をついて男が咄嗟に両手で頭を庇う。軌道がそれて脳天には当たらなかったが、その両腕は貫いた。


 衝撃に耐え切れず、男が吹き飛ぶ。

 距離が空いたのが嬉しかった。




 こいつが、先生から一歩でも遠のいたのが。

 たまらなく嬉しかった。



 

「……来るな」


 男はまた、木を作る。出来の悪いそれを蹴り飛ばす。


「来るな」


 俺の周囲を木々が囲む。その隙間に爪をつきたて、両腕でこじ開けて粉砕する。


「来るなっ!」


 足元から伸びたそれを、手刀で裂く。二つに割れたそれは、中々悪くない長さになった。

 こいつの頭を潰すには、十分すぎる太さと鋭さで。


 

 

「……やめてくれ」




 男を見下ろし、仮面の下で俺は笑う。いい気味じゃないか。


「そうやってこの力で、どれだけ虐げて来たんだ?」


 その問に、男は答えない。


「何人殺したんだ? 簡単だっただろう! 人一人殺すのなんて!?」

「……頼む」


 命乞いをする男の足を踏み潰す。乾いた木の枝みたいに、簡単に折れ曲がった。


「何が違うんだよ」


 左手に持った折れた木を。


「俺と、お前は」


 その男の顔に。



 

 突き立てられなかった。




 木を投げ捨てて、俺は歩く。変身を解かずそのまま街へ向かって行く。


 許すとか、許さないとか。

 憎いとか、そういう事じゃなくて。




 そのまま突き立ててしまえば、永遠に見つけられない気がしたからだ。




 ――いつか、見つけてみせます。




 離れていく先生の墓標に誓う。


 先生みたいな人が、二度と生まれないように。

 夜が明けることを、二度と怖がらないように。




 自分だけの言葉を。


 借り物じゃない、本物の台詞を。


 いつか、絶対に。

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