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疾走!あの丘を越えて Ⅲ




 人の噂というのは早い。とくに女同士ともなれば恐ろしい勢いで広がることはどこの世界にも変化がないようだ。

 もっとも、俺にとって決して喜ばしい噂じゃない事だけは確かだったが。


「ねえ聞いた? フィオナ先生、捕まったんだって」


 家を出て炊き出しの手伝いに向かった俺は、当然のようにヴィオラからそんな話をされる。


「……そう」


 嫌だった。そんな話をされることも、何も出来なかった自分が。変身してしまえばよかった。後先全部投げ捨てて、大暴れしてでも動けば良かった。

 だけど、父さんと母さんは? 俺が何か動いても、二人が無事でいられる保証はない。ただ強いとか、腕が立つとか。一人で竜を倒せるということは、そういう次元を超越していた。


「でも、何で捕まったんだろうね? 何か悪いことでも」


 昨日俺を褒めてくれたおばちゃんが、スープをかき混ぜながらそんな事を言う。


「先生は悪くないよ」


 だから、つい口を開く。そんな事ないって、否定したくて。


 失言だった。皆の視線が俺に集まる。


「……先生が、悪いことするわけないじゃん」


 そう答えると、ヴィオラはゆっくりと頷いてくれた。


 恐らく、ここにいる人たちに事の顛末を説明しても理解されはしないだろう。竜鱗症イコール死というのは、言わば社会通念のようなものだ。竜鱗症から快復しましたなんてものは、まだタチの悪い冗談としてしか受け入れられはしないだろう。


「そうえば、あんたは見たのかい? ヴィオラも見たっていう、黒騎士さんの事を」


 気を使ってくれたのか、おばちゃんが話題を変えてくれる。ただ悲しいかなその話題は俺にしてみれば先生並みに触れられたくない話題だった。


「ヴィオラ『も』って、他に誰か見たの?」


 だから俺も最大限気を使い、当たり障りのない話題に舵を切ろうとする。


「そりゃ大勢に決まってんでしょ? それにしても技術ってのは凄いねぇ、五年の間軍も寝てたわけじゃないんだねえ」


 彼女がそう言うと、みな首を縦に振った。昨日軍人が来てた時もそうだったが、どうやらアムドブレイバーXは帝国軍所属の謎の騎士って事になっているらしい。恐らく当初はもっと色々な憶測が飛び交っていたのだろうが、一番無理のない落とし所だと俺も思う。


 まあ俺なんだけどね。


「リュート、何笑ってるの?」

「え? そんなことないよ?」


 まずい顔に出ていたようだ。


「私らみんなあの黒い騎士さんに助けられちゃったね。だって今までだったら、この街に着くのはどんなに早くても朝ぐらいなんだろう? せめて名乗り出てくれたなら、スープの一杯でも飲ませてやりたいよ」


 おばちゃんがそんな事を言うもんだから、俺は少し欲を出して尋ねてみる。


「後で俺もこのスープ貰っていい?」


 するとおばちゃんは口元を歪め、呑気な声で答えてくれた。


「余ったらね」

 



 炊き出しの手伝いを終えて家に帰ろうとしたところで、珍しい人に声をかけられる。父さんだ。


「リュート、帰ろうか。あんまり遅いと母さんが心配する」


 よくよく考えれば、父さんと家の外で会ったのはこれが初めてだったかもしれない。


「今日はどうしたの?」

「アンジュ先生を解放して貰えるよう頼みにね。駄目だったけど」

「そっか」

「一応ね、上申書とかも出してみたんだ。結果はまあ駄目だろうけど」


 父さんは浮かない顔をして、そんな夢のない事を言う。だけど、事実なのだろう。

 竜を倒してはい終わりなんて、それこそ画面の中の話だけ。


「ねえリュート、仮にアンジュ先生がひどい実験をされて……その結果、竜鱗症の予防薬が出来たとしよう。そしたら、父さんは悪人になるのかな?」


 そうなる可能性は、ゼロじゃない。むしろただ先生を元の生活に戻すより、余程効果が期待できる。確か予防接種だってそういう原理だ。


「ひどい実験は決まっているんだ」

「決まっているさ」


 吐き捨てるように父さんは言う。それ以上、俺は追求できなかった。


「ごめん、リュートに聞かせるような話じゃなかったね」

「気にしないよ、別に」


 そう答えると、父さんが俺の頭の上に優しく掌を乗せてくれた。


「……早く帰ろう。母さんが待ってる」


 それから俺達は並んで歩く。何も言わなくたって、わかる。俺と父さんは、どうしようもないぐらいに悔しいんだ。




 夜は更けて、父さんと母さんは隣の部屋で横になって寝息を立てている。俺は自室の窓を開けて、着替えもせずに外に出る。


 空を見上げる。今にも降り出しそうな曇り空は、人目につきたくない俺には好都合だった。

 ヒーローは孤独であるべきとか、秘密にするべきとか、そういう理由はどこにもない。俺自身、褒められたら嬉しいことはきっとこれからも変わらないだろう。

 だけど先生には、どこか静かな場所であっても、笑って生きていて欲しいから。


「……変身」


 俺は征く。夕暮れに父さんがくれた問いの答えは、もう胸の中にある。


 街を駆ける。屋根を跳ね、天井を飛び越え進んでいく。正義の二文字を胸に刻んで。





 先生が捕らえられているのは、この街にある留置所みたいな物だった。とりあえず悪人を放り込んでおいて、釈放するか別の場所に放り込むか決めるだけの簡単な施設。


 先生を助ける方法は幾つかある。

 一つは建物丸ごと粉々にして、走って逃げる事。却下。騒ぎが大きくなりすぎるし、何より折角みんなで協力したおかげで減ってきた瓦礫を増やすなんてしたくなかった。

 二つは先生以外を皆殺しにして、走って逃げる事。これも却下。別に俺は殺人をするためにこの世界に来たわけじゃない。

 だから、三つ目はこっそり先生を連れ出して、走って逃げる事。


「……いないな」


 俺は建物の天井を手摺代わりにしてぶら下がり、牢屋の壁に開けられている窓を一つづつ覗いて中を確認していた。残念、ここも誰もいない。

 まあ地道だけど仕方ない。


 ついでに牢屋だけでなく、目を凝らして中を探る。見張りは二人で、昼間来たあの偉そうな魔術師の姿は見えない。


 結局端から順に一つ一つ中を確認して、最後の最後で先生らしき人影を見つけた。体温がまだある。良かった、生きている。


 一度天井の上に戻り、少し考えを巡らせる。捕まっているのは先生だけ。牢の鍵はぶち壊すとしても、二人の見張りが邪魔だった。ただ殺すつもりもないし、かと言ってこんな竜を倒せる腕力で漫画みたいに当身で気絶させる自信なんて無い。


 なんて考えていると、一番上手くいきそうな方法を思い付いてしまったわけで。それは恥も外聞も捨てなきゃならない事だったけど。


 仕方ないさと笑ってみせる。先生に比べたら、吹けば飛ぶほど軽いものだったから。




 俺が思い付いた作戦。大人だったら絶対にできない、最強の作戦。


 それは。


「ゔぇぇぇえええ”え”え”ん!」


 嘘泣きだった。


 変身を解除して子供に戻り、とりあえず二人の見張りの前で泣く。


「ど、どうした坊主」


 よし、釣れた。


「おど、おど、おどうざんがああああああ!」


 家で寝てる。じゃなくて。


「わるいびどにおぞわれだあああああああ!」

「お、おい良いから泣き止め」


 ここで直ぐに泣き出すのはしろうとの仕事。一瞬なきやんで肩をふるわせて、少し溜めてまた泣き出す。これが正解だ。


「うええええ”え”え”えん!」

「参ったな、俺たちの管轄とは外れるんだが……」

「こっちは俺が見てるから、お前行ってやれ」


 わかっている、一人に行かせてもう一人はここで仕事を全うしようって魂胆だろ?


 ――させるかよ。


「すごいぶぎもっだびどにおぞわれだああああああ! すごいおおぎがっっだああああああ!」


 俺はそれとなく架空の敵の情報をリークする。思い描くのは武装したクマ。月の輪じゃなくてヒグマとかグリズリー。しかもでかい斧を持っている。まあそんな生物いないけど。


「……どれぐらい大きかったのかな?」

「……おにいさんの……ばい、ぐらい。ぶきは、そこのとびらぐらいのおの……」


 適当な扉を指差し、説明する。見張り達はお互い顔を見合わせる。


 しまった、盛りすぎたか?


「……お前、一人で行ってこい」

「え? いや無理だろ! お前もこいよ!」

「ば、馬鹿俺はここで見張りをだな」


 見張りの一人が口を滑らせる。その言葉を待っていたぜ。


「……ぼく、ひとりでるすばんできるよ」


 命令されていた男が笑い、もう一人の腕を掴む。


「よしじゃあ、お兄さん達に任せてくれ!」

「あ、ちょっとまて!」

「大丈夫だって! だいたい女一人しかいないんだから問題ねえよ!」


 小さくなった二人を見送って、俺は中へと進んでいく。悪いねお人好しのお二人さん、これから一つ問題を起こすんだ。


「変身」


 子供の姿は消えてなくなり、誰かが呼んだ黒騎士になる。

 それから先生のいる牢屋に向かって走る。どうか無事でいて下さい。そんな不安が俺の足を、前へ前へと突き動かした。

 



 鉄格子に向けて一歩進む。


「……先生?」


 ここに充満する鉄の匂いに、気づくべきだった。

 足元を濡らす感触に、気づくべきだった。


「……どちら様、ですか?」


 震える声が石造りの壁に響く。優しさなんてどこにもない、ただ怯えるだけの声。

 彼女は両手を鎖で繋がれ、一歩も動けなくて。


「ああ、あなたは」


 仮面越しに見える先生の顔は、もう別人のように変わり果てている。こけた頬に、くぼんだ目。全身を襲った裂傷や火傷の跡は、生きているのかが不思議なぐらいで。


「私を助けてくれた人」


 鉄格子に手をかけ、こじ開ける。鉄が軋み歪に曲がり、俺はその中へと入る。


「ねえ、お願いです……たった一つでいいんです。それだけでいいんです」


 先生の顔にそっと手を延ばす。爪のある鋭いその手は、今はどうしようもないぐらいに憎らしくて。その涙を拭えたらと、願っても。


 戦うためのこの右手なら、そんな気の利いた事はできやしなくて。


「私を」


 膝をつく。耐えられなかった。どこにも救いなんて無い。

 俺のした事なんて、全部。




「殺して下さい」




 全部、無駄だった。

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