第一章 tikai
「おはよう、諸君。昨日の入学式でも言ったが改めて紹介しよう。今年一年の間に君達の担任となった七海ルシウスだ。よろしく頼む。担当教科は社会科と体育の二つだ。まだ君達全員の顔と名前が一致していないが、近いうちに慣れたいと思うので仲良くしてくれ」
校舎の二階にある教室に着き暫くすると、すぐに担任が来る。
昨日は両親のこともあり忙しかったため注視することはなかったものの、改めて見ると七海先生は背丈が高く、がっしりした肩幅から見るに流石は体育担当、といったスポーツマンのようだ。少し雰囲気が棚木に似ているような気もする。いや、あいつは超のつく馬鹿だから一緒にするのは失礼か。
この学校は個性的な教師も多い学校であり、教師にも当たり外れが当然ある。警戒はしていたが、今年の担任はその佇まいを見るに当たりのようだ。と、いっても授業が始まるまでまだ安心はできないけれど、全く毛色の違う二教科の免許を持っているのだからきっと優秀なのだろう。
――それよりももっと、重要なことがある。
僕は少し、視線を横に動かす。
今、自分の席の二つ隣の窓際の席には、朝のあの男が座っていたのだ。もちろん、あの毛糸玉のような猫を肩に乗せて。
よく僕がくるまでの間に、先に来れたものだ。事務室に寄って尚僕よりも早くこの教室にくるなんて、俊足にも程がある。
彼の猫は物珍しそうに、あちこちをきょろきょろと見回している。
先生が来るまで周囲の生徒は彼の猫を好奇の目線で見ていたが、彼の雰囲気が怖いのか男女含めて一言も構おうとはしなかった。
「そうだ、肥後…… 肥後、瑞樹君ははいるか?」
「は、はい」
その時唐突に七海先生に名前を呼ばれ、少し驚きながらも、そっと右手をあげる。なんで自分が呼ばれたのかは全く心当たりが無かったが。
「肥後は中等部の時に生徒会で、手腕を振るっていたらしいな。今年から生徒会の顧問も私になるので、よかったらサポートしてくれると助かる。役を頼めるか?」
「……あ、はい。わかりました」
不意の頼みは断れず、思わず頷いてしまった。まぁ頼られるのは気分の悪いことでもないし、どうせ今年も生徒会の仕事をするつもりだったんだ。どちらにせよ同じことか。
「とりあえず1限が始まるまで時間がある。自己紹介は……昨日したから、早速委員会でも決めておこう。プリントを配っておくから家に帰ったら読んでおいてくれ。内容はこの教室からの災害時の避難経路と学校の昨年度の収支報告だ」
七海先生は先頭の生徒達にに五枚ほどのプリントを配り、後ろに回すよう指示した後、黒板に白いチョークで板書する。
「……俺の学生時代は吸い込むと有害なチョークがあったんだが、最近のチョークは無害らしいな。この前初めて知ったよ。科学技術ってのは日々進歩してるんだねぇ」
それから先生は各委員会の名前を書き、おのおの入りたい場所に自分の名前を書けと指示する。
志願制だが10分ほどで決まり、僕は前のように生徒会、あの男子――葉桜君というらしい、は生物委員になった。
「にゃん」
少しして、不意に猫が一鳴きする。
その鳴き声に、七海先生は少々眉根を寄せて、葉桜君を見る。
「ーー分かっていると思うが、学校に猫を持ち込むな、などという校則は確かに生徒手帳に明記されてはいない。しかし、常識的に考えれば大変問題のある行為だ。おとなしくしているうちはいいが、もし授業中にそこらをうろついたり、暴れたりして授業を妨害することがあったら……退席してもらうぞ。私は大目に見るが、他の教師がどう考えるかは分からないからな」
少し脅かすかのような口調だ。長身かつ鍛えている七海先生だからこそ言えるのだろうけど、よく注意できたな……。
「……大丈夫、こいつは小さい時からちゃぁんと躾けてあるからな。邪魔はしないさ」
七海先生の忠告に、葉桜君は真面目に聞いているのかいないのか、猫の喉を撫でてやりながらそう答える。
すると、猫は気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
「まぁ一応、忠告はしたからな」
七海先生は一つ、盛大な溜息をついて、メモを取っていた冊子を閉じた。
「ーーそれでは後十分ぐらいで一限の予鈴が鳴る。各自準備をしておくように、解散」
七海先生はそう言って立ち上がると、黒板に書いたものを消して出ていったのだった。
「にゃー」
七海先生が見えなくなると同時に猫は葉桜君の肩から飛び降りて、机に乗った。
まるで人の話を理解しているかのようなタイミングの良さだ。葉桜君の言っていた、ちゃんと躾けているというのはあながち間違いではないのかもしれない。
「珍しいな。どうしたんだ?」
葉桜君は猫に話しかけながら、耳の後ろを親指の腹で軽く撫でてやる。猫はにゃーんとまた一声鳴いて、嬉しそうに目を細めた。
こう見ると彼は少々風体は変わっているものの、僕たちとなんら変わらない年相応の人間に見える。背も、初めてみた時は威圧感のせいか大きく見えたが、よくよく見てみると僕とそう変わらない。
「あの……」
勇気を振り絞って声をかけてみる。
「ん……あ、お前は朝の。あの時はどうもな」
葉桜君は一瞬怪訝そうな顔をしたものの、直ぐに思い出したようでお礼を述べてくれる。
「いえ、事務室へはたどり着けましたか?」
「ああ、お陰様で」
そう言って葉桜君は笑顔を見せる。彼は意外と友好的な人間なのかもしれない。
「そういや名前聞くの忘れてたな。俺は葉桜 明。お前は?」
「肥後 瑞樹です」
「肥後って言うのか。ん? もしかしてさっき先公に呼ばれてたのは……」
とたんに葉桜君の顔が険しくなる。
「僕ですけど……何か?」
「……ふん、やっぱり気が変わった。俺は優等生(いい子ちゃん)って奴がでーっきれぇなんだ。おととい来やがれ」
葉桜君は吐き捨てるようにそう言って、そっぽを向いた。
「な……」
露骨な態度の変化に戸惑う。えー?
「あーシッシッ! 聞こえなかったのかよ? 失せろって言ってるんだ」
「ど、どうして急に……」
「うるせぇな……」
言葉を遮りつつもガタンと椅子が倒れる音がして、ふいに視界が暗くなる。
「何度も同じこと説明させんじゃねぇよ。優等生のくせしてんなことも理解できねぇのか? あ?」
鼻先同士が触れるか触れないかの距離で葉桜君は僕を睨み服に手をかけ、ドスの利いた声で脅しつけてくる。視界が暗くなったのは葉桜君が顔を近づけたせいだったのか、などと、頭の中でどうでもいい分析をしてしまう。初めて出会った時以上の圧力が、僕の頭の上からつま先まですっぽり包み込み、恐怖が僕の身体を支配する。
怖い……逃げたい……!
葉桜君は相対すると威圧感がある。そりゃもう、人をびびらせる事に特化しているのかとも言えるくらいだ。もしも朝にもうちょっと水分を取りすぎてたら失禁までするかと思ったその時、くるぶしにふわりとした感触が乱入してきた。
「にゃー」
「アナスタシア? 何故庇うぅ?」
怪訝そうな葉桜君の視線を追って自分の足元を見ると、葉桜君の猫が僕の足元に寄り添うように立っており、そのロシアンブルーの瞳を葉桜君に向けている。まるで睨みつけるかのように。
「にゃーぅ!」
猫は葉桜君が何もしないともう一度鳴いてくる。その声は何かを訴えかけるかのようだ。
「お前……。チッ、わーかったよ」
葉桜君は身体を離し、倒れた椅子を直した。
「……邪険にしてわるかったよ」
そうして葉桜君は渋々、謝罪をしてくる。
――なにが起こってるのかさっぱりわからない。
「なぅん」
彼の猫、アナスタシアはどや、とでも言いたげに仰向けに転がって腹を見せる。
「撫でてやってくれ」
直した椅子にどっかりと座りながら、葉桜君はそう促す。
「う、うん」
言われるがままに片膝をついてしゃがみ、恐る恐るアナスタシアの腹に触れる。背中よりも若干薄い体毛の下に感じる鼓動と温かさが、先ほど恐怖に高ぶった僕の心を落ち着かせていく。
「にゃあ」
ひとしきり撫でさすった後、アナスタシアは急にムクリと起き上がり、僕の膝と腕を踏み台にして素早く僕の肩へと飛び乗った。
「うわっ!」
「何故か知らんがお前、本当に肥後が気に入ったんだな」
頬杖をついた葉桜君は興味深そうに僕とアナスタシアを見比べる。
「あの……そろそろどういうことか説明してくれないですか?」
落ちないようにアナスタシアを支えてやりながら、僕は尋ねる。
「やだよ面倒くせ……」
「にゃうん」
棘のある鳴き声が耳元から聞こえる。
「……あーもうやりゃあいいんだろやりゃあ。おい、お前何から聞きたいんだ?」
さも面倒臭そうに、椅子にふんぞり返りながら葉桜君は言う。
……うう、聞きづらい。
「……えーと、なんでさっきは急に怒り出したんですか?」
「言ったろ、優等生が嫌いだって、憎らしいって」
葉桜君はバツが悪そうに目線を逸らす。
「いや、もう少し詳しく……」
「……付け加えると、生徒会だの学級委員長だの、ただの餓鬼のくせに権力翳して、正義の押し売りしてくる奴が嫌いなんだよ。あいつらちょっと脅せばすぐチビっちまうくらい意気地無しのくせして、先公にチクることだけは一人前だからな。お陰で何度も停学くらって、二留する羽目になっちまった」
忌々しそうに葉桜君は言う。
あーうん。通りで初めて見た時変に大人びて見えると思ったら、普通に年上だったのか……。
「じゃあ、僕もそういう人間だと思った訳ですね」
葉桜君の経歴に少々引きながらも、僕は言う。
――僕は自分を優等生だとも思ってないし、生徒会の仕事だって、なり手がいなくて仕方なくはじめたのが慣例化しただけ。正直、そんな人たちと一緒にされて心外だった。
「ああ、調子こき始める前に脅して黙らせようと思ってたんだが……アナスタシアがお前を庇ったからな」
「この猫が?」
「にゃっ」
この猫呼ばわりしたことに腹を立てたのか、アナスタシアに爪を立てられた。ちょっと痛い。
「そうだ。言っておくが、俺は猫の言葉が理解できる。そしてアナスタシアが俺以外の他人に懐くなんてほとんどないんだからな? その彼女が認めたんだ、だからお前は悪い奴じゃねぇ。だからその……驚かすようなマネして悪かった」
葉桜君は恥ずかしそうに人差指で頬をポリポリ掻きながら言う。
「……そっか」
僕は納得半分呆れ半分と言った感じでひとりごちる。蓋を開けてみればなんて単純な理由なんだろう……。
「な、何だよその反応は……」
「いや、別に何でもないですよ」
猫の声が分かるというのもアレだが、色々と興味深い。
「ちくしょう、俺だって恥ずかしいんだからな」
色々考えて自爆したのか、机に突っ伏しながら葉桜君はくぐもった声を出す。自分でも短慮だったと自覚はしているのだろう。
「にゃうん」
そんな葉桜君の姿を見て、アナスタシアは一声鳴いて葉桜君の机の上に飛び乗った。そして、葉桜君の耳に頬擦りする。
「あ、アナスタシア……やめろ、俺の面子が台無しになる……」
まるで慰めるようなアナスタシアの様子に、葉桜君はより一層ショックを受けたようだ。頭を抱えてしまう。
「ま、まぁ、僕としては誤解が解けただけでも嬉しいですし、べつにさっきのことは気にしてません」
とりあえず、フォローをしておく。
「お前、いい奴だな」
するとむくっと起き上がり、葉桜君はこちらを見てきた。なんというか物事すべてが一々オーバーリアクションなのが、面白い。
「いえ、人並みですよ」
「そうか? ……あとさ、いい加減その敬語やめてくれねえ? さっきから痒くてしょうがないぜ」
葉桜君は頭の後ろをバリバリ掻いた。
「え、でも年上ですし……」
僕は少し遠慮しつつも、口ごもる。
「気にしねぇよ。そもそも二留も俺の都合だし、一応同じクラスの人間なんだから他人行儀にすることもないさ」
そう言って、葉桜君は右手を差し出す。
「ま、今後ともよろしくってやつだな、頼むわ」
不敵に笑う、葉桜君。
「……うん」
僕は差し出されたその手を握り返した。
一時間目の教科担当は、ここ数年頭髪が寂しくなってきた男である、伊藤である。
年齢は50代前半。中等部時代にもいた数学教師で、気難しい性格だ。
彼は教室に入るなり葉桜君の姿を見て、眉をひそめた。
「……葉桜君」
「あぁ?」
予想通りというか、案の定呼び声がかかる。というか教師に呼ばれて『あぁ?』で返す葉桜君も葉桜君だよ。
「その猫は?」
伊藤はしゃがれ声で葉桜君をねめつけた。その額には青筋が浮かんでいる。
「ア・ナ・ス・タ・シ・ア」
葉桜君は頬杖をつき、やる気なさそうに答える。
「そうではなくて……」
「なんか文句あんのか? あ?」
ドスの利いた声で葉桜君が言った途端、伊藤はヒッと小さな悲鳴を上げて青ざめる。
「……ま、まぁいい」
ややあって、そう絞り出した伊藤は、咳払いを一つして、何事もなかったかのように出席を取り始める。
もしかしたら教師の間でも葉桜君のことは話題になってたのかもしれないな……
冷や汗で光る伊藤の額を見て、僕は何となくそう思った。
(えらい人と仲良くなってしまった……)
「しかし大胆不敵ですね……これは」
「なぁに、若者はこれくらい元気がいいくらいで調度いい。テストとして襲わせるにはこれくらいがな……」
「……襲わせる、ですか?」
その頃七海ルシウスは教頭と共に、職員室の奥にある教員コミニュティ室で待ち合わせていた。
窓際にある机の上には、リアルタイムに教室の中の様子が写る10インチの小型テレビが置いてある。
それを二人で覗いているという、訳だ。
「あぁ、外部の団体を金で雇ったからな。葉桜 明の力を見るにはそれでいい」
腕組みをしている教頭は落ち着いてそう言ってのけると、ごほんと咳払いをした。
「自作自演のようで気が進みませんが……」
ルシウスは気難しい表情をして、うぅんと唸る。
「なぁに、君が悩むことではない。ここで終わるようならそれまでの男だ。逆に成功すれば一応私の目に狂いはなかったと証明するだけだよ」
そこへ教頭はふっと笑うと、言ってのけた。
「良心は痛みますがそこまで言うなら。……因みに、誰に彼を襲わせることを頼んだのですか?」
「あぁ、『酒場』さ。個人的に彼に恨みがあるものや腕っ節に自慢があるものを集めてもらった」
「……っ。酒、場?」
すぐさまルシウスは言葉を詰まらせる。
『酒場』とは、平たく言えばヤのつく素敵な自営業を兼ねた求人場だ。
自身も武力を持ち、総会屋の真似事もする。金さえ払えば、どんな人間でも要求に合った人物を取り揃える。
興信所よりもさらに広い情報ネットと人脈がある、恐ろしい組織だ。噂では大手人材総合サービスよりもさらにでかい規模らしい。
それでいて得体の知れないところから人間を雇ってくるものだから、始末に終えない。
一時期ニュースで話題になった派遣の孫受けなどよりも怪しい、色々ときな臭い噂もある。
ルシウスも一介の自衛官時代にそこの人間から恨まれ襲われたこともあったが、中々相手は手強かった記憶があった。
「子供相手に、そこまで手荒な事をするとは……」
ルシウスは少し、戦慄をした。
教頭は、自分が考えているよりも本気でいるらしい。
「時刻はそろそろだ。さぁ、くるぞ。私の作った箱庭の演出に目を向けたまえ」
横の教頭は口元に年齢には不似合いそうな悪戯じみた笑みを浮かべ、カメラに視線を送った。
「邪魔をさせてもらおうか」
「ホールドアップしてもらおう」
「貴様達の死に場所だ」
「もうお前は逃げられない」
「依頼の場所は此処だな?」
突然、過剰なまでにバラバラな名乗りをあげ、名前も知らない柄の悪い5人の闖入者が突然教室に入ってくる。警備の人間は何をしていたんだ?
そんな騒がしさに教室は騒然となり、
「なんですか君達は!? 授業中ですよ!」
伊藤も驚き、闖入者達に掴みかかって声をあげて抗議した。
「うるせぇ! 黙ってろ!」
だが2m近い体格の1人の男が伊藤の胸に体重を乗せた前蹴りを食らわせると、伊藤は勢いよく後ろに吹っ飛ばされてしまった。
「ぐわっ!?」
ズドンと大きな音を立てて伊藤が倒れる。
教卓の角に頭をぶつけて悶絶をしてしまっている。流石に歳なのか、腰が抜けたのかだらんとなって立ち上がれないようだった。
「先生、大丈夫ですか!?」
すぐさま一人の生徒が教師に駆け寄るが、伊藤は動けないでいる。
「ぐぐぐ……」
どうやら起き上がって反撃する気力すら持てないようだった。
「静粛に。この中の生徒に、一人超能力者がいるという話が入った。我々は『酒場』……いや、とある機関のものだ。今の教師のように痛い目に遭いたくなければこちらのいう事を聞いてもらいたい。この通り、銃も持っている。妙な考えはよして貰いたい」
5人の中の1人……一番体格のいい男が、突然そう告げてくる。
男の目からは威圧感があり、クラスの中にいる運動部系の人間でさえも視線に射抜かれて動くことが出来ない。
「んん、制圧は完了のようだな。フェイズ1、終了だ。チェック」
男が横の人間に向かって確認を取る。
「チェック。フェイズ2に移行」
二人目の男はそう言い、手元のメモ用紙のようなものに確認らしき文字を入れた。
「な、何が目的なんだ」
伊藤はしゃがれ声になりながらも、そう反論する。
「とりあえず一匹、拉致ってこいとのお話でね。おい、おまえ。ちょっと立て。貴様には素養がありそうだ」
男はそう、胸ポケットから取り出した変な機器を向けつつも葉桜君の方を見る。
教室の中で明らかに目立つので話しかけられるとは思ったが、まさかいきなりくるとは。
「ああ? ヤだよ」
だが問いを受けた葉桜君は首を横に、振った。
しかしその瞬間、『酒場』の人間と名乗った男はいきなり豹変してみせる。
「ほぉ、痛い目に遭いたいようだな! 見せしめにあってもらおう!」
突然男は眼をカッと見開くと葉桜君の顔面に向かい、位置的に近くの机の上にあった黒板消しクリーナーを掴むと、勢いよく投げつけてきた。
学校にいれば分かるものだが、あれは結構な重さがある。あの勢いで当たれば顔面骨折ものだ。
「ひっ!」
瞬時の攻撃だ。葉桜君の一つ前の席にいた水色ボブ髪の女子生徒が投げようとした動作にびっくりして伏せる。あれを避けるのも凄いが……これは危険だ。
「葉桜君……!」
咄嗟に僕が彼を庇おうとするが、盾になるには障害物となる席も多く距離が足りずに叫ぶことしか出来ない。
人が大怪我するのなんて見るのは真っ平なのに。
「うるっせーなぁ……危ねぇだろうがッ!」
……だが、次の瞬間に見たのは、予想を外れて爆音と共に砕けて空中で四散する黒板消しクリーナーだった。
「何!?」
男が呆然とする。
粉が舞って、周囲の生徒に掛かった。
「……舐められない為に暴力を振るうってのは理解できなくもないが……てめぇ、俺とやる気かよ? ……周りの生徒はどいてろよ。肥後ぉ、アナスタシアを頼む」
猫にチョークの粉が少しかかったのを見て、葉桜君がいまいましそうに言って猫を降ろすと、半身を起こしながら自分の椅子に手を掛ける。
その服の袖には、黄色いチョークが付いていた。
「お前ら伏せてろ!」
そしてそう叫んで目の前に伏せていた女子生徒をどけると、徐に自分の椅子をむんずとつかんで仕返しのように乱暴に男に投げ付けた。
「ぶがっ!? ぎぃひぃぃぃ!?」
一瞬で男の顔面に椅子がクリーンヒットする。男は口を切り、顔面を押さえて逃げ出す。これは……痛そうだ。
速い!?
そう思った次の瞬間に新たな動作が始まっている。葉桜君は飛び上がると一とびに教卓の前に着地し、すぐさまナイフを取り出して臨戦態勢に入ろうとする2人目を正拳突きとひじ打ちでとどめを刺して首根っこを掴み、空いていたベランダから投げ落とす。
「放置したら人質とか取り出すかも知れねぇからな。……捨てさせてもらった」
「ひぃ!?」
水色髪の女子生徒が粉だらけのままで腰を抜かしたので、僕は慌てて彼女を引きずって退避させた。
「ちょっとっ」
「ごめん、でもこのままじゃ危ないから」
大きな胸に手が当たったが、この際スルーしておこう。
「てめぇ! やりやがったな!」
教室の出口を固めていた一際筋肉質そうな男がロッカーから持ちだしたモップを振り回し、虚勢を張りながら葉桜君に勢いよく振り下ろす。
「そんなもんが効くかよ! 俺はスマートにはやってやらんぜ!」
だがモップを片手で弾いた葉桜君は、さらにカウンターで男の頭を掴むと黒板に思い切り叩きつけて穴を開けた。
「ぐがぁぁ!」
轟音と共に瓦礫が飛ぶ。まるでトラックでも突っ込んだかのようだ。
「黒板に穴が!? すげぇ力だ!」
生徒の一人が声をあげた。
なんて腕力だ。恐ろしい。
「野郎ォォォァ!」
別の男が銃を構え、葉桜君に狙いをつける。だが、
「エイヤーッ!」
「ぐわっ!?」
葉桜君は近くの花瓶を掴むと投げつけ、銃を叩き落した。
「ッチ……闘争心が凄いわね、ここは引かせてもらうわよ! この化け物!」
男達といた1人の女性が、慌てて号令を掛けると教室内の3人と共に窓から飛び降りて逃げていく。見事な引き際だ。
「……次にきたら全員まとめて磨り潰して猫の餌にしてやるからな。 俺はやるとなったら容赦しねぇぞ」
葉桜君は吐き捨てるかのように苛立ちながらそう言うと、ひしゃげた自分の椅子を回収してからまた戻ってきて、自力で曲げて直してみせる。
「……ふんっ! ……ちょっとまだ歪んでる気がするが、問題ないか……」
彼は怪我もなくそう言いながら自分の席に戻って座ったので、アナスタシアを葉桜君に返却してから僕は伊藤のところへ行った。
……うぅ、この事態をなんとかするには、一応生徒会だし指示を請わないと。
これじゃ非日常すぎて自分だけでなんとかなりそうな事態じゃぁない。
ベランダから落ちた男も何処かへ逃げたようだが、このままじゃまた仲間でもつれて向かってきた時に不安だ。
「せ、先生、大丈夫ですか?」
「……す、すまんが、肥後。手を貸してくれんか。腰を打ったようだ」
弱弱しく言ってくる伊藤。えぇい、頼りにならない。
仕方がないので担架係として保険委員を呼び、まずは二人がかりで伊藤をつれていくことにした。
「……見事な正拳突きだ。あれほどの戦闘能力とは……予想以上だな」
教頭の驚きの声と一緒に、ルシウスは職員室で監視カメラのリアルタイム映像を見て興味の溜息を吐いた。武道の心得があるであろう酒場の人間5人を、難なくあしらうとは。
「腕力と反射神経に秀でているようですね、葉桜君は」
「うむ、投擲物を打ち落としたあの力は、素晴らしいな」
教頭の賞賛の言葉を受けつつも、ルシウスは補足の言葉を掛ける。
「えぇ、空中であれをほぼノーモーションで破壊するのは、並みの人間の腕力じゃ無理でしょう。2キロほどの重さもありますし。というより、その後の椅子を自力で修理するという時点で、我々の常識を超えてませんか? 現役時代の私の腕力でもちょっとあれくらい簡単にやるのは無理ですよ」
ルシウスは落ち着いた様子で計算する。あのパワーを察するに、軽く見積もってもゴリラ並みの力があると考えてもいいはずだ。
「……うむ、確かにな。そこに関しては色々と制御方法も考えなければなるまい。……それでは伊藤が戻ってくるので、七海君があとの教室の始末はしてくれたまえ」
そんなルシウスに対する教頭の言葉。……処理はこちらなのか。
「……花瓶とクリーナーの備品代は出ますかね? それと、伊藤先生の方は大丈夫なんですか?」
「1万前後のものだ、積立金から送るから問題ないだろう。……伊藤はレントゲンとMRIを取らせるからいい」
教頭は頷く。
「もしかしてこうなること、予想はしてませんでしたか?」
「……想定はしていたよ、対策はしていなかったがね。……行ってもらえるか?」
教頭は落ち着いた様子で話す。
「え? 対策、しなかったんですか?」
「全てが予定通りに運ぶとは限らんよ」
教頭はルシウスの言葉をそういなすと、ふふっと笑みを浮かべる。どうやら楽しんでいるようだ。こんな上の下で働いていていいものかとも思ったが、その言葉を飲み込んで頷く。
「……了解しました。それでは肥後達と合流します」
立ち上がったルシウスは少し呆れつつも職員室を出て、徒歩3分の教室へと向かっていった。
「……伊藤先生、どうしたんですか?」
僕が伊藤を保険委員と一緒に保健室へ輸送する途中、七海先生と偶然あった。
先生は缶コーヒーを片手に、休憩の途中だったようだ。
「すみません、七海先生。新任早々にこんな事になってしまって。私にも何がなんだか分からないのですが、酒場の者だと名乗る五人組の暴漢に襲われまして。……本来なら生徒を守らなくてはならない立場なのに面目ないです。警備の方にも言うつもりですが」
伊藤は申し訳なさそうに告げた。
「ーー酒場の者、ですか?」
「えぇ」
「ーー仕方ないですよ。五人ともなれば。しかもその暴漢達のいう事が正しければ……酒場というのは前職で聞いたことのあるアウトローの手慣れです。命があるだけよかったと思いましょう」
そう言って七海先生は唸る。
「そう言っていただけるなんて恐縮です。……そうだ七海先生。授業の引継ぎと自習のお願いをできないでしょうか? 何分私はこのザマでして……教卓に置いてあるプリントを配っていただくだけでいいので」
「ルシウスでいいですよ。もちろんです。ですが、とりあえず警備の電話と先に病院を手配するよう保健室の藤川先生のところに行きましょう。皆も付いてきなさい」
七海先生は伊藤にそういわれ、礼儀正しく頭を下げると小走りに駆けていく。
僕たちはその後を追い、保健室へと向かった。
「ーーそれでは藤川さん、伊藤先生をお願いします」
「わかりました、それでは七海先生は授業をお願いします」
保健室の養護教員と話を終えて七海先生はふうと息を吐くと、戻るぞとこちらに一言だけ言う。
「七海先生」
僕はその背中を呼び止めてみる。
「何だ?」
「結構、落ち着いてましたね。酒場の人間と名乗る連中の正体を知ってたり……もしかして荒事は慣れてるんですか?」
カマを掛けるわけではないが、そう言っておく。まだ知らない人にしては、色々と手馴れているようなのが少し怪しくも思える。しかも、新しく学校に入った教師なだけに。
「……一応教師になる前に社会に俺は出ていたからな。新任というわけでもないし、大人が落ち着かなきゃ生徒がパニックになるからさ。まぁ、本音を言えば俺も驚いてはいる訳でもあるが。んじゃま、戻るぞ」
七海先生、いやルシウス先生は、こっちの質問に対して作ったような笑い顔で返してきた。
なんだか先を歩く歩幅は大きく、油断していると置いてかれそうであった。
「……ふぅ」
伊藤を送り届けてから教室にルシウス先生と戻ると、配列のずれた机などは元に戻っていた。
葉桜君が砕いた黒板消しクリーナーの粉を頭から被った水色髪でボブヘアーの女子生徒は不機嫌そうな顔をしていたが、どうやら頭を洗ったようだ。
彼女の頭を見ると首にタオルが巻いてあり少し髪が、濡れていた。
「……さっきはありがと。少し驚いたけど助かったわ」
席に着く前に向こうから、話しかけられる。
その表情は知的で、相当成績も高そうに思えた。
「あ、ごめん」
驚かせたのもそうだが、女子を腕力で引っ張るというのは少し乱暴過ぎただろう。
軽くそう思い、謝罪をしておく。
「別に良いよ。……私は礼こそ言っても謝られる事じゃないし。私は寸沢嵐 茉莉。貴方は肥後君よね?」
「……えぇ」
そこまで言ったところで授業中という事もあり気まずくなって席に戻るが、それを横目にアナスタシアがくしくしと顔を洗っていた。
しかし改めて教室内を見ると妙に凹んだ黒板が、痛々しく思える。
「……まるでダンプでも突っ込んだみたいだな。初日から変な事がおこったが、警備会社には連絡をしておいたから安心しなさい。もしも君達の言う不審者がきたら次は私が相手をするからな」
黒板を見てルシウス先生は頼りになりそうな顔でそう言って、それからプリントを配り始める。
「それでは授業を再開するぞ。皆、勉強の時間だ。気分は悪いだろうが、平常に戻ろう」
「しっかし、学校にテロリストだなんて驚いたなぁ、こんなド田舎でそんな事が起きるとは思いもしなかったわ」
授業後にばったり会った棚木に聞くと、そんな様子で腕組みをしながら信じられないという顔をしていた。
「お陰で午前は3限まで見事に授業が潰れるんだってね。酷いねぇ」
周囲の噂を耳にした僕は、そう言う。
「俺らは野次馬に行こうとしたが担任に止められていけなくてな。お前を少し心配したわ。何か事故とか事件とか聞くと妙に飛び出したがる性格だからよ」
「そうかい? 心配はありがとうだけど」
「しかしなー。どうせなら午後まで授業を潰してくれればいいのによぉ。学校もケチだなぁ」
「それ台風のときもいつもいうよね、棚木って」
「おうよ。授業は嫌いだしな。俺は部活が大好きで学校にきてるようなもんだしなー」
眉をしかめる棚木の愚痴は、喧騒を吹き飛ばすかのようにも思えた。
災害は忘れた頃にやってくるというが、人災だけは時間を問わないらしい。
その日の4限の体育の時に、唐突に朝の酒場の男達は再び襲撃をしてきた。
「フハハハハハハハ!」
いい天気なのでルシウス先生が引率をして皆で体力測定の為に校庭で200mの測定をしていたところ、空中から突然バラバラと爆音が聞こえたのだ。
「何だ? ……はぁ!?」
ルシウス先生は音のする上空を見上げ、そして直後に驚いてみせた。
「ルシウス先生?」
「皆、離れろォ!」
先生が突然叫ぶや否や、グラウンドに地響きが起こる。
何かヘリのような物があり、そこから人型巨大ロボットがグラウンドに降ってきたのだ。
勿論警報も前触れもなしに、だ。それまで気配は無かったというのに、いつの間にここまで近付いたのだろう。
地鳴りと共に衝撃でグラウンドを大幅に陥没させ、そのまま威圧的な動作でこちらを指差してみせる。
ロボット自体は人型作業機械がニュースにも出るような時代なので驚きではないが、この場に居合わせるとなると話は別だ。
その身長はおよそ10m。校舎と比べても謙遜の無い背丈がある。
足から煙を出す全身鋼色のその機体は、まるで中世騎士のようだった。
「……あれは一体なんなんですか!? 教頭先生警察を呼んでください! このままじゃ新聞沙汰になりますよ!」
慌てて携帯電話を取り出したルシウス先生が近くで取り乱して、どこかに電話をかけている。
「これは予測外……。まさかあそ……までや……くると……な」
僕の耳はいいので電話の言葉が途切れ途切れながら聞き取れたが、電話相手はなにかを知っているのだろうか。
体操着を着た葉桜君は少し気だるそうな顔で、ロボットを見上げている。
因みに直射日光が当たるのが厭なのか、アナスタシアは朝礼台の下の陰にちょこんと座っていた。
『ドィムュパ伍式、旧式とはいえカスタムした酒場のロボだ。このままでは面子に関わるのでな。俺は酒場のエリート、メタリウム藤原だ。朝はよくもやってくれたな? クソガキだけは殺す!』
ロボット内から大声が聞こえる。スピーカーでも使ったのだろうか。
いずれにしろ、朝のあの男達は洒落にならない。ーー正気じゃない。
『ガキ、お前と……勝負をしたい。命を賭けてのな』
「やなこった。エリートだかカルートだかしらねぇが鬱陶しいんだよ」
葉桜君はロボットを見上げ、態度悪くそう答える。
『ほざくな! こちらの沽券に関わるのだ! このままでは姐御に叱られてしまう!』
だがドィムュパ伍式は頭部に内蔵された回転ガトリングを発射し、いきなりグラウンドの土を歪ませた。
「うわぁぁぁあ!」
「こっわ!」
「逃げろー!」
威嚇射撃であったろうが、その攻撃に生徒は蜘蛛の子を散らすように散り散りとなる。
「発砲だと!? こんなところでふざけるな!」
『うるせぇ!』
ドィムュパはさらに頭部からガトリングを乱射し、咎めたルシウス先生を威嚇する。
狙いをつけたわけではないのでブレで攻撃は全く当たらないが、あれだけの体躯。生身の人間を制圧するには十分すぎる威力があった。
「くっ……これでは手が付けられない。せめてハチキューとは言わんが銃、いや、あれでは無理だ。戦車の主砲クラスがあれば……」
そう唸る先生を尻目に兆弾や空薬莢が1階のガラスを割り、その破壊力の痕跡を残す。
人間なんかがあれをくらったら、掠っただけでも身体のどこかしらが吹っ飛んで、一撃で死んでしまうだろう。
「この場でやりあったら校舎があぶねぇか……お前ら離れてろよ、絶対俺の後を着いてくるなよ!」
その時周囲の生徒にそう告げた葉桜君は決心するような顔をして一人のまま、ロボットから遠ざかるように走り出した。
「待て! 勝手な真似を!」
ルシウス先生が静止させようとするが、葉桜君は聞かない。
「このままじゃ奴らの思い通りにさせるだけだろうが! 俺は出る!」
『逃げる気か!』
ドィムュパ伍式は右手に拳を作ると巨大な腕を思い切り振り下ろし、葉桜君目掛けて繰りだしたが葉桜君には当たらず垣根に刺さる。
葉桜君の身体能力は流石と言ってもいい。あの朝の光景を再び思い出させる程の動きだった。
『避けられたか! 小癪な!』
恐らく葉桜君は他の生徒への被害を抑えるために走ったのだろう。
「大人の品格も落ちたもんだな、ガキ相手にロボかよ! 身体だけデカいだけの子供以下じゃねぇか!」
そのまま葉桜君は不満げにそう煽るとロボを引きつけながら校門を出るところまでいき、横の建設中の敷地に飛び込んでいった。
「何だね君は!?」
不法侵入に近い状況、だが建設現場は今、昼飯時である。
「ちょっと物を借りにきた……請求は学校に頼むぜ!」
すぐさまそこの現場監督に葉桜君は咎められるが、そんな事は気にしないかのように敷地に積んである鉄骨をいきなり掴むと、むんずと難なく持ち上げる。
「なっ!?」
その様子に度肝を抜かれたかのような工事現場の監督が腰を抜かす。
「8mのH型鋼を……自力で持てるのか!」
近くの若い茶髪の作業員が手拭いで額をぬぐいながらマジぱねぇと小声で言った。
その重さは、推して知るべき。鉄骨の規格は日本では決まっているが、まさに莫大な重量である。
「工事のオッさん、少し借りるぞ! でやぁぁぁ!」
赤い鉄骨を徐に掴んだ葉桜君は、意気揚々と片手でそれを持ち上げると校庭に戻る。
「追ってきたかよ! ご苦労さんだぜ、追いかける手間が省ける!」
そして背後から追いかけてきたドィムュパに立ちふさがると、鉄骨片手に構えてみせた。
「兄貴ぃ、これもしかしてやばい奴に喧嘩売っちゃったんじゃ……」
狭い5人乗りロボの中、机を顔面に食らった男がそう弱気でメタリウム藤原の服を引っ張る。
「馬鹿いうんじゃねぇよ、このロボを倒せる人間なんていねぇよ。仮に怪力だろうがこっちはスーパーロボットだ! 鉄骨如きにやられてたまるか!」
「それを言うなら一人で鉄骨を持てる人間もいないんじゃ……あれ重機で運ぶサイズですぜ」
そこで後ろの筋肉質な男に言われて、メイン操縦士の男も顔色を変えた。
「ぬぬ、そういわれれば、そうだな……だがしかし、負けぬ!」
ドィムュパは言いながら襲い掛かり、右腕を振りかぶる。
「そんなポンコツじゃぁなぁ! 俺を殺すには足りねぇよ!」
だが時は既に遅い。
「だぁりゃぁ! 壊れろッ!」
葉桜君はそれからロボットの背丈と同等まで飛び上がると、思い切り鉄骨をロボットの脳天に振り下ろした。
『ドゴォ!』
弾けるような音と共に一撃でロボットの頭部の装甲が陥没し、内部のカメラなどの機構がむき出しになる。
『うぉぉぉ!? バランスがッ!』
「冗談じゃないわよ!? ガトリングで消し炭にするしかっ!」
ロボットは慌てて体勢を整えようとするが、その行為には意味がない。
「失せろ! 死にやがれぇ!」
さらに葉桜君がロボの横面に空中で鉄骨をもう一撃決めると、何処かがショートして引火したのか、ドィムュパ伍式は沈黙して膝と肩から黒煙を吐き炎上した……。
煙に紛れて何か脱出したように見えたが、気のせいだろう。
「俺はな、責任転嫁をする奴と筋を通さない奴ってのが大嫌いなんだ。真正面からくりゃいいものを!」
着地と共に少し曲がった鉄骨を捨て、そう吐き捨てた葉桜君は見るからに不機嫌そうに悪態をついた。
「……やれやれ、全く! 人型兵器を返り討ちにしたとはどんな事なんだ? 本当に、人間なのか? 目を疑うよ、あいつは……」
その様子を見ていたルシウス先生は開いた口がふさがらないといった様子で、額に冷や汗を掻きつつも呆然としていた。
周りの男子生徒も、あの男は桁違いだ、人間じゃないといった様子で葉桜君を恐れの目で見ている。
「マジなのか……」
「あいつ、やばくねぇか?」
「番長か何かかよ?」
酷い言葉が飛び交う。だが、僕の眼から見たところでは葉桜君は格好いいと素直に思えてしまう。
凄いレベルの怪力だ。まるで生身で強い……昔の改造人間みたいな、特撮の主人公みたいだ。横から見ているとあれだ、いきなり鉄骨を抱えて10m近く飛び上がりロボットを薙ぎ倒したって事だよ。……自分なんかとは全然違う、高い身体能力をみて背中に身震いが走る。
憧れに近い感情すら湧かせる人間離れした身体能力、一体彼は……何者なんだろう?
僕は少し、いや、かなり不思議に思った。
その後昼休みの間にパトカーが校庭に来たが、特に機体を調べても分からなかったようで、すぐに帰ってしまった。
その場に残されたものはグラウンドに刺さった鉄骨と、半壊したロボットである。
頼りにならないが、国家権力だから何処かからでも圧力でも掛かったのだろうか。
流石に今回は他のクラスにも見付かり野次馬が相当出たが、先生からの緘口令でマスコミが来ても話さないように口が止められてしまう。
棚木も流石にさっきの話を信じ、酒場ってのはおっかねぇなと驚いていた。
学校は機体を解体して調査をすると言うが、恐らくこの件は明日までにはネットで拡散されてしまうだろう。
しかし……酒場とは、一体何なのだろうか。携帯で検索をしても、文字通り居酒屋くらいしか出てきやしない。
心当たりもないし、思い足る節も無い。
そんなどうしようもない詮索を余所に、調書を警察にとられて疲れ気味のルシウス先生による5限の現代史が20分遅れで始まった。
疲労困憊な様子で事実を話しても受け入れられないので、骨が折れたよとルシウス先生は溜息を付いていた。
「周辺国と比べ、この日本では年々情報媒体の普及と共にリテラシーが下がってきて、大人が大人の自覚を保てていないという統計が出た。諸君の中でも分かっているものはいると思うが、これは由々しき事態だ。古くは団塊の世代からだが、しらけ以降昨今の人間のマナーの悪さは眼に余る。このクラスの男子は見ていると思うがロボットで学校に乗り付けるなど君達は大人になっても絶対やらないこと。よってカリキュラムも考慮するが俺としては各自生徒が自身を鑑みてしっかりと世の中を考えられるように自力で思考することを学習目標として重視させていきたいと思う。俺自身はむしろ修身を復活させるべきであると思うくらいだが、今の時代になってまで高校生に御天道様が見ているだのという説教をする気はないので、程ほどにしておこう……君達の良心を、信じて」
「……では、現在の国を取り巻く状況を説明する。4年前の事件が我々国民に開示されたのはつい最近のことだが、教科書を見てもらいたい」
ルシウス先生のそういった言葉の後、部屋が暗くなり壁に世界地図がパワポで表示された。普通の生徒が聞いたら眠くなるような話だが、正直個人的には先生の話には興味がわく。
所謂バカッターやら近頃話題になる癇癪でゲームを破壊するような子供じみた輩にはうんざりしているので、こういう真面目な話は好きだ。
「今から4年前に、4つの隕石が落下した。正確には元々は3つであったが、そのうち1つが大気圏突入時に割れたのは周知の事だな。割れたものの片割れはインド東のベンガル湾。もう一つは中国雲南。そして残り二つが北極海付近とメキシコのやや南東にある、コスタリカ付近に落ちたんだ」
上着を脱いで上はワイシャツになったルシウス先生は手持ちのレーザーでスクリーンを指差す。
日本の北西にはソ連、米国満州州といったものが書いてある。
米国満州州とはかつて何十年前も前にエドワード・ハリマンによる中国本土の鉄道権益が認められた後、その後徐々に実行統治をして日本を追い出した結果になる。現在はソ連や共産圏との対立の最前線だ。
「隕石の中には既存の枠に入らない生物が埋まっていて、やがて活動を開始した。『生物L』そう呼称されたそれらは近海の船を沈め、徐々に勢力を増していった。……宇宙人のようなものだ」
写真が変更されると、コールタールの化け物のような黒い塊が写る。グロテスクさに少し吐き気を催すが、一見するとナマコにも似ている。
ルシウス先生は真面目に話を続ける。
「こいつのサイズは目視すると30mから70mになる。ベンガル湾付近にでたあの勢力はわが国に関しての石油シーレーンを封鎖するに至り、アメリカ側にもコスタリカ付近からパナマ運河を封じられるという痛さがあった。……さて、ここで高校一年の諸君に少し意地悪をしてみようか。ベンガル湾を塞がれた事により日本の石油事情はほぼ駄目になったが、パナマを塞がれたアメリカはどんな痛手をこうむったと思う? ……寸沢嵐茉莉さん、答えてみなさい」
朝にチョークの粉を被った生徒を指差してそう回答を促すルシウス先生。
「パナマですか? ……うーん、経済とか時期を考えると生産物である半導体とかが輸出できなくなるとかですか?」
寸沢嵐さんが立ち上がってそう答える。
「少し惜しいな。それもあるが重点としては正式にはシェールガスの通り道、そして空母の通行を塞がれるという事だ。彼らの主力とするニミッツ級空母は2020年の運河拡張により物理的には通れるようになったが、あの生物のお陰で手当たり次第に通行する船や上空を飛ぶ旅客機は沈められている。空母の類もその例を出ない。それが今の問題なんだ」
ルシウス先生はまるで自分が見てきたかのような顔をして、そう語る。
「……でもアメリカなら独自の正義感で出張るんじゃないですか? ミサイルとか撃つんじゃないですか? 彼らが利己的だってのは僕達でさえ理解してますし」
「もっともな話だ。彼らは空爆を決断し、いつものように仕掛けている。石油利権がないところだが、自国の船を脅かすとなれば話は別だろうしな」
「……結果は?」
「無理だった、という事だ。米軍のミサイル……SLAMじゃ奴らの装甲は抜けなかった。あくまで人間の作ったものを破壊する範疇である空対地ミサイルでは威力不足だったという事だ。流石に特殊兵器は使うと大気に影響が出るから使えなかったそうだがね。逆を返せば環境に影響さえなければなんでもつかうだろうが」
身振り手振りと共にそう言葉を吐く。
「でも、地形が変わるくらいなりふり構わずやれば倒せるんじゃないですか?」
「……色々と難しい話があるのだよ。まぁ、そのケースで言えば、隣国の話が参考になるだろうな」
ルシウス先生はあごを片手で掻く。
「……隣国?」
その時、葉桜君が首を傾げる。
「ベンガル湾、そして中国雲南の方だ。さて、まずベンガル湾については諸君の中では認知度が低いだろうが、我々基準の世界地図で言えばインドの南東にある。日本からは旧世代の飛行機ならば近いが、結構遠い位置だ」
「成程」
「これらについては日本との位置関係を考えれば微妙となる。ベンガル湾に落ちたものは幸い、インドや中国に攻撃を仕掛けているからかこちらへの直接攻撃は向いてこない。もっとも、日に日に勢力としては拡大を続けているだけに憂慮は出来ないが」
「ふむ……」
「むしろ国内としては皮肉だが、数年前よりは日本は安全になったとも言える。中国国内山東省にあった2000発余りの対日、対米国満州州へのミサイルが数を減らして奴ら、つまり『生物L』相手に配置転換で狩り出すことになったからな。この国にとっては皮肉だが、奴らにより特定国家のこちらへの威嚇はマシになったとも言える。幾らなんでも攻められている方面から軍備を減らすというのはまずしないであるからな」
「……そんなに『生物L』ってのは、危険なんですか?」
水色のあの子、寸沢嵐さんが口を開く。
「あぁ、さっきの話だが、中国は彼らに核攻撃を行ったという噂もある。もっとも対して効果があったとは聞いていないし彼らは認めてないがね」
「……あの国じゃやりかねないですからね。事故った電車を埋めたりニュースで公害の水を小豆とか言い張ってたのを聞いたことあります。想像できない選択肢を取るというあたり、ある意味怖いかもしれません」
「実際問題ガイガーが一時期上昇したからな。修身斉家治国平天下という大切な考えを忘れてから、あの国は酷すぎる。それに、あの国は文……ゲフン。あまり悪口を言うとあの国に行った瞬間空港で拘束されるだろうから止めておこう。まぁうちの国だって電力関係の汚職を考えれば偉い人はとんずらして後々になって実は黙っていたけれど何とかでした、とか言ってくるふざけた連中だから人のことは言えないが、何処の国だってタブーはある。西側諸国、自由の国だってタブーは多いしこの国だって表だって言えない事はいくらでもある。大事なのは君達次世代を担う人間がどれだけ考えられるか、それだけだよ。教育者として現実にある事に対し盲目になれ、という事は口が裂けても言えん。それと、何かをダシにする人間もな」
そう告げた後、少し考えて口を開く。
「学生諸君は何かの意見に染まりやすいという事がある。だから親や周囲の媒体に左右されず自分で調べて、ソースに基づいて考えて判断する、そういったものを身につけていただきたい。ま、俺は公務員で教師だが2世代前の学生運動みたいなのはナンセンスだと考えているからその辺は安心してくれ。むしろあいつらには総括とかで汚いイメージしか湧かないんでな。君達には次世代の為に勉強をして欲しいと思っている。今の若者の多数は無関心なようだが、世界の動きに全く気付かないようでは不味い。君たちはインド哲学におけるジャイナのような、相対的に物事を見れるように、政治にしろ経済にしろ、自分が生き残る為に渦にまみれることで聡明な人間になるといい。勉強が大切だと言いたいのは、そういった汚い人達に何も知らずに使われて欲しくないという意見からだ」
「……さて、大きく脱線しすぎたか。個人的に見解を述べさせてもらうと、ソ連横に『生物L』が落ちなかったのだけが幸いだな。彼らには特殊兵器があるんだが、AN602、Царь-бомбаというやばい兵器をフルパワーで使われた日には日本列島まで被害がある」
七海ルシウス先生は歯痒そうにそう言うと、一つ大きな咳払いをした。
「……いずれにしろ周囲に脅威は多い。こういうモヤモヤした問題をどうにか出来ないのは、俺たち大人の責任なんだよ。所詮人間は、人間だからな」
そして悲しげな眼から気を取り直すかのような動作をすると、ふぅと息を繋げた。
その顔からは、色々と押し殺したような思いが見て取れたのだった。
それから教卓の上にあるバッグに手を取ると、中から出した水筒から水らしき飲料を飲む。
「少し喋りすぎてのどが渇いてな、すまない」
ルシウス先生はそう言い、そして振り向きつつも、話を続ける。
「そう言えば君達は、我々の国にはどのような兵器があるか知っているか?」
「Fー15J」
「Fー35」
「10式戦車」
次々にミリタリー系に造詣が深そうな男子達の言葉が掛かる。
「私よりも既存兵器についてはよく知っている人も居そうだな。……だが、人型兵器が2大大国ではなくこの国でも本格運用されていたのは知っていたか?」
「え?」
「アメリカからの払い下げの重作業機体、ガーネット。さっき体育の時に運動場に現れたドィムュパとかいうクソ発音しにくいロボットと素体は同じだ。 そしてそれを叩き台に逸見人空が作り上げた国産機、スピネルが本命になる。頭頂高13mという機体ながら戦闘機の武装を流用し、サイドワインダー空対空ミサイル等を搭載しつつ3000キロ以上の距離をフル装備補給なしで単独飛行出来るという化け物でもある。この学校のスポンサーとはライバル会社なので正直宣伝はしたくないが、性能だけは認めざるを得ない。左巻きの人は軍国主義だ何だというが、今の日本など関ヶ原で負けた後の島津家、外様大名みたいなものだ。ペリーなどより遥かに脅威な生物Lという黒船相手には、目を覚まさなければならない時がきている、そういう事だよ」
言葉と共に画質の悪い写真が載る。
「まぁ、少なくとも今の流れなら君達が大人になる頃に人類は滅亡しているという事はないだろう。安心できると断言出来るよ」
それから先生は言い終えたところでプロジェクターを消し、部屋のカーテンを開けた。
その顔は自信に満ちていて、明るい未来を確信していた。
……だが、その時はまだ皆、知らなかった。
数百キロを離れたその位置。雲南から湧いた『生物L』の偵察団がマカオを経由し、台湾沖の海底を通っていたことを。