28.競争
警告通り、そして市子の言葉通り、矢の柵から三歩目から攻撃が始まった。
鉄矢が森中の影の中から音もなく飛来する。それも一定の法則も傾向もなく、地中を除いたあらゆる方向から駆け回る。
……おかしい。
直線コースの矢は狐が弾き、実弾を弾いても術式が走るものは白犬が結界で防ぐ。
……何者に御座るか。
進行速度は明らかに落ちている。先の半分以下だ。それでも月が天頂に達するまでには十分間に合うと思われるが……
……誰が、どこから射って御座るか?
他にもわからないことだらけだ。
何人いる?
なぜ妨害をする?
武器はどこから調達した?
守護連と何らかの繋がりがあるのか?
市子は――
……市子殿は、一体どこまで理解して御座るか?
さすがに今は先頭ではなく、狐と白犬の間を歩く市子の背を見上げる。
市子はまだ何も語らない。黙々と歩いていく。
必要になれば、市子はきっと話すだろう。もったいぶる理由はわからないが、出し惜しみするような人物ではない――と思う。
村人か、とも一瞬思ったが、それはないと即断した。村を見て回った限り、そのような兆候はなかった。それに、守護連の魔装を所持している理由がわからない。
ならば守護連か、というと、先程市子も否定していた通り、白犬もそれはないと思う。
確かに降り注ぐ鉄矢に刻み込まれているのは守護役の使うものと同じものだ。だが、
……“それにしては”、術式が貧弱に御座る。
ついでに言えば、攻勢も大いに甘い。
もしこれが守護連であるのなら、もっと徹底しているはずだ。どうして守護連がわざわざこんなところを――まして一度ゐつが手を入れた場所を守るのかということを別としても、戦況があまりに雑すぎる。短矢であるのは山林での戦闘を考慮した上でのことであることはわかるが、その射線も同士討ちの危険が考慮されていない。
……まるで素人。
戦闘行為というものに不慣れな――ただ武器を得てしまっただけのような。
ますますもって、何者なのかわからない。
それに何より――
飛来する矢をときに落とし、ときに流しながら、白犬は注意深く周囲を窺う。
射手を捉えようとする。
……速い。
速度だけが、高い。
少なくとも、人の動きではない。
気配を探ってみても、同じだ。
至るところから矢が飛来するのだから、至るところに人員が配置されているのかと思えば、どうやらそうでもない。それぞれが高速で位置を移動している。その動きは全く人間の者ではないが……
……ならば、一体何者に御座るか?
魔術師ではない。
だが、ただの人間でもない。
当然、獣の類であるはずもなく――
「――見方がズレているんだよ、ゴザル君」
「は?」
唐突に市子が言った言葉を理解できなかった白犬は、周囲を探っていた視線を市子に向けた。
市子はこちらを振り返ることなく、足も止めることもなく、言葉だけを寄越す。
「見方だよ、見方」
「いや、市子殿、見方とは一体」
「見る方向を変えて見ましょう、って話」
「……いや、そうではなく」
「人間かそれ以外か、っていう見方じゃ、それでもまだ一面的だってことだよ」
何でもないことのように市子は言った。だから白犬も、成程、と頷いて考えようとしたが、
「……いや、しかし、市子殿、それでは」
「それで合っているんだよゴザル君。仮説としては、今のところね」
淡々と、市子は続けた。
「確証はさすがに私にもない。ゐつさんもまだ確信はしていない。でも一番有力な仮定はそれなんだよ――原因も理由もわからないけどね。あるのは結果だけだ。この場では彼らは私たちの前に姿を現すことはないだろうから、ここでこれ以上その仮説を補強することもできないし、今はさっさと当初の目的を果たしてしまおう」
思ったよりも時間がない、と市子は顔を空へ向けた。頭上は木々が鬱蒼と茂っているが、市子が確認しているのはそれではなく、その遥か上空――満月の位置だ。
「最初にかなりトバしたから間に合うと思ってたんだけど、ちょっと考えが甘かった。――彼らもどうやら必死だ。弾幕が濃い」
「確かに……これほどの矢を、一体どうやって入手したので御座ろう」
「もともとの数は、多分それほどないよ。多くてもせいぜい百本くらいだ。狐さんやゴザル君が弾いたり、完全に外れていたものをすぐに回収しているんだろう」
つまり、と白犬は考える。いくら動きが高速でも、少人数では地に落ちたり木に刺さった矢を抜き、即座にまた射るには限界がある。つまり、
……それなりの人数はいるはずに御座るな。
思い、対策を立てようとした白犬だが、それに反して市子は軽く吐息した。
「仕方ないから、もう一度突貫しよう」
「は」
「おいおいおいおいイチゴ、イチゴよ。何を言ってんだイチゴさんよ。オメエさっき同じことしてどうなったのか忘れたのか? あァん?」
「ここぞとばかりに突っ込んでくるけどねタヌキ君」
「いや、しかし今回は不本意ながらタヌキ殿に同意見で御座る。それはさすがに危険過ぎ申す。ここは一度、その“彼ら”を追い払うべきでは?」
「おいワン公、不本意ながらって何だ」
打倒も辞すべきではない、という思いで言ったのだが、市子は首を振った。
「そういうわけにもいかないんだな、今後のことを考えると」
「今後とは?」
「それはまた後で説明するよ。とりあえず今は、彼らを攻撃することなくこの先に進まなきゃいけない。注連縄のかけられた結界まで恐らくあと一合、そこから件の場所までは半合あるかないか、っていう距離だ。それを――まあ、あと20分くらいで踏破しなきゃいけない。このペースで行くとまず間に合わないんだよ。というわけで、狐さん」
具体的な指示はしていないのにも関わらず、狐は振り向きもせずに頷いて、降りかかる矢を払いつつその場にしゃがみこんだ。すかさず市子はその背中に抱き付くようにして乗る。
この間髪ない阿吽の呼吸は、ときどき白犬としても解しかねることがある。
「それじゃあ、作戦はこうだ。私を負ぶった狐さんは全速力で突貫。ゴザル君はそのすぐ後ろを追尾しながら結界を張って全員を守って。タヌキ君は御荷物」
「おいイチゴ、その扱いは否定できないがせめて言葉を選べ。さもなきゃ言うんじゃねェ」
「いい? ゴザル君」
「承知した。――しかし市子殿。ひとつ宜しいか」
うん、なに? と狐の背の上で振り返った市子に、白犬は率直に問う。
「この件、この襲撃者なども含めて――市子殿は一体、どこまで理解されておられる?」
白犬の、正面に据えた問いかけに、市子は一拍を呑んだ。
そしてその上で、応じる。
「半分――もわかっていないよ。仮説があるとは言ったけれど、それもまだまだ不十分だ。この襲撃者の見当はついているけれど、見当だけだし、正直私もまだ呑み込めていないところが多い。これからゐつさんとも連絡を取りながら考えていかなくちゃいけないけれど……それでも、調べなければならない事柄のアテはついている。そして、今この現状で私たちが取らなければならない行動も、ね。――どうかな?」
状況も相まってやや早口に述べた市子の言葉に、白犬は数秒を置いてから、頷いた。
「――承知した」




