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市子さんは流浪する  作者: FRIDAY
参:ひとならずして
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25.過去③

 

 

 少女と女性の訪問から数日が経った。あれからあのふたりは見かけていない。


「…………」


 カリカリ、とシャーペンがノートに文字をつづる音だけが部屋に鳴り、中空にしみ込むように消えていく。

 電灯は最小にしてあり、スタンドライトだけが確かな灯りだ。そのもとで、計算式が踊る。


「…………」


 夜、である。とはいえまだそれほど遅い時間ではないが、朝の早い祖父母は既に就寝しており、未だ起きているのは浅沼だけだ。

 いや、この小さな村のこと――生活事情はどの家も同じであるから、村全域を含めて浅沼ひとりかもしれない。


「…………」


 ふわ、と細く開けた窓から生温い風が入り込み、カーテンを揺らめかせる。

 そして浮いた布地の隙間から、差し込む。

 月光。

 夜闇の青を塗りつぶすような金色。

 それも、今までにないほどに強く――


「……ああ」


 そう言えば今日が、満月だったか、と。

 あの二人組は、山を登っているのだろうか。……別に、どうでもいいのだけれど。

 世界に食われる。

 その光景は、恐怖は、今でも脳裏に焼き付いている。

 けれども、それが現実だったのかどうかは、今では怪しいとも思っている。

 本当にそんなことがあったのか。


「…………」


 いずれにせよ、同じことだ。

 母も、そして弟も。

 どうしたって、帰って来ない。

 それなら――事の真相が神隠しだろうが、ただの失踪事件だろうが、現状は変わらない。

 だから、


「……別に、どうでもいいんだけれど」


 つぶやく。

 けれども、ノートの上に置かれたペン先は、そこからもう動かなかった。


 喪われた母と弟の名は、後になってから父から聞いた。

 想起する。

 母の名は、浅沼・陽子。

 弟の名は、浅沼・慎太郎。

 ふたりはそういう、名だったのだそうだ。

 

 


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