24.分析
「満月の晩に、“逢坂”に行ってみよう」
狐、白犬と三角に座り、市子はそう言った。
「満月……に御座るか。もう数日、日があるに御座るな」
「そうだね。だからそれまでは適当に時間を潰そう。――浅沼さんは濁していたけれど、浅沼さんのお母さんと弟さんが“隠された”のは、およそ満月で間違いない」
「間違いねェのかよ」
「うん。月が、殊に満月が魔性、幻想に強くはたらくのは確かなんだよ。だから、直に霊脈の上ではないけれど神隠しみたいな怪異現象が起こるとしたら、専ら満月と考えてもいい」
「そんなもんかね……あ? じゃあ、満月なんかに行ったんじゃあオレサマたちも喰われちまうんじゃねーのか?」
「いやいやタヌキ君、それくらいは信用してほしいものだよ。私がいて、そんな簡単に隠されるとでも?」
「いや、試しにとか言ってオレサマだけ放り込まれそうな気がしてな……」
「ああ……」
「おい、何で濁すんだよ。軽快に否定しろよ。不安になるだろ」
ぬいぐるみが暴れるが、市子は笑って受け流す。
それにしても、とまた白犬が口を開いた。
「浅沼殿の話されていた神隠し――世界が母子を食ったという話は、市子殿」
「まあ、私も神隠しに行き遭ったことは一度もないからね。それ自体を語ることはできないけれど……多分、ゐつさんも神隠しに遭ったことは何度もないはずだし」
「いや、神隠しに遭ってたらゐつのばーさんはいなくなってるだろ」
「さて、どうだろう。ゐつさんなら力づくで戻ってきそうな気がするね」
市子の言葉に、ああ……と白犬もぬいぐるみも遠い目をした。
それぞれに思い当たる節があるようだ。
「……ゐつ殿はともかく、浅沼殿の母君と弟君は、やはりもうどうにもならないので御座るよな。浅沼殿も気にかけておられたようで御座ったが」
「そう……だね。そうなる」
「あん? さっきもそうだったが、イチゴ、オメェその辺り濁してるがどういうことだ?」
「私にも明言しかねるところなんでね。その辺りは」
いやはや、と市子は軽く肩をすくめて見せた。
「この間は話さなかったところだけどね……神隠しに遭った人たちは、果たしてどこへ行ったのか」
「どこへ行く――か。いや、待てイチゴ。イチゴよ。そもそも神隠しっつーのは、“どこかへ行く”ものなのか?」
うん? と市子は興味深げにぬいぐるみを見下ろした。
「どういうこと?」
「いや、だからよ、神隠しに遭った奴は、まあどこからも消え去っちまってるっつーのは確かなんだろうがよ。でもそれでも、“どこかへ行った”とは限らねェんじゃねーか?」
「つまり?」
「ただ単に、死んじまったっつーことだよ」
言葉通り、喰われちまったっつーことだ、とぬいぐるみは言う。
それは、市子が考えていたよりも、遥かに残酷な考えだ。
遥かに救いのない可能性だ。
だが、市子は全く否定しなかった。それどころか、より興味深げに思案する素振りすら見せた。
「成程ね……それは、ちょっと考えてなかったな。私としたことが、考えが甘かったと言わざるを得ないね。まさかタヌキ君に指摘されて初めて気が付くなんて、そんなことが起こり得てしまうだなんて」
「……おい、ちょっと待て。オメエ、ちょっとオレサマをバカにし過ぎちゃいねェか」
「うーん……うん。それは本当にいい考え方だ。前提を鵜呑みにしてしまうだなんて、ましてや自分で無意識に設定していた条件を丸呑みにしていただなんて、しかもそれをタヌキ君に指摘されてようやく思い当たるだなんて、これは生き恥さらしもいいところだよ」
「おい、だからオレサマをバカにし過ぎだろう、オメエ」
「でも」
うん、と市子は頷いて、そして首を振った。
「他の事例ではどうなのかは今回は保留するけれども、こと今回に限ってはそれは考えなくてもいいかな」
「えらく自信ありげだな。確証があるのかよ」
「あるね。何せ――“引っかからない”」
にやり、と市子は笑った。ああ? とぬいぐるみにはまだ腑に落ちていないようだったが、それでわかったらしい、白犬が顔を上げた。
「市子殿で引っかからないということは……つまり、そう言うことに御座るか」
「そう言うこと」
「おい、どういうことだよ。さっぱりわかんねーぞ」
市子と白犬だけで合点がいっていることに抗議して、ぬいぐるみが暴れる。
ちなみにこの間、狐は沈黙を保っている。というか、聞いているのかどうかも危ぶまれる程に無反応である。
聞いていることは確かなのだろうが。
「私がもともと、何になろうとしていたのかは、タヌキ君も知ってるよね」
「ああ。……えーっと」
「あれ、言ったことなかったっけ?」
「いや、知っちゃいるが、この場でうまいボケを思いつかなかった」
「そんなボケはこの場ではいらない……タヌキ君、ちょっと捻る?」
「冗談はともかく! ――オメエがもともと何になろうとしていたのかって言やあ、あれだよな。イタコだろ。恐山で、イタコのもとで修行していたんだから」
「そうそう、その通りだよタヌキ君。――そして、残念ながら私は皆伝とはいかなかったのだけれど、心得はあるからね。大部分が見様見真似の独学我流ではあるけれど」
「市子殿ではそれでも十二分で御座る。そして、その市子殿の探知に“引っかからない”ということは――」
「この世界にはいない、ということだよ、タヌキ君――他の世界の魂を呼ぼうとしたことがないから、絶対に生きていると言うことまではできないけれど、少なくともこの世界にはいない。この世界では亡くなっていない」
「世界、とはまた大きくなったな……いや、そもそも死んだ奴の魂、ってどっから呼んでるっつーんだ? あの世じゃねェのか? あの世っつーんならそれもやっぱ異世界だろうが、それ以外にも世界があると?」
「さて。その辺りはまたデリケートな、違うお話になってくるのだけれど、ここで話すにはいささか煩雑になりすぎるところなのだけれど……私が思うところを簡潔に言ってしまうのなら、恐らく浅沼さんの言う、そして浅沼さんの見た“世界に食われる”というのは、私に言わせてみれば“世界に落ちる”というものになる」
「“落ちる”?」
「“世界を落ちる”、と言ってもいいかもしれないね」
落ちる、と市子は手でそのようなジェスチャーをする。
「……なぜに螺旋を描く」
「落ちる、といっても世界に上位下位があるわけじゃないけどね。異世界が存在する、それも並行世界とかいったものだけでなく、無限に世界が存在する、と仮定する。この世界は普通、互いに干渉し合うことはないし、“門”が開くこともないんだけれど……極稀に、開いてしまうことがあるんだね。そしてその場に不運にも居合わせた誰かが、呑み込まれてしまうことがある」
「つまり神隠しというのは、異世界へ飛ばされてしまうということに御座るか」
「いや、少なくとも今回に限って、だよ。勿論他の事例を個々に検証すれば、他にも違う原因は考えられるだろうね――だから、とりあえずあの神域に入ってみて、“見て”みればはっきりするだろうよ」
「見る、って何を」
「“門”だよ」
言ってから、いや、と市子は小さく首を振った。
「正確に言うなら、“門”の痕跡かな。恐らく今の“門”には、異世界に誰かを、何かを送り飛ばせるほどの隙間はないはずだ。けど、過去に開いたという痕跡は見られるはずだよ」
「成程。つまり今回の仕事は、それを確認することで完遂するので御座るな。――しかし、市子殿」
白犬が市子を見上げる。
「ひとつ、忘れては御座らんか。もうひとつ、見逃すことはできないことが御座ろう」
「そうだね。大丈夫、忘れてないよ。――タヌキ君じゃないんだから、忘れないって」
「おいイチゴ、事あるごとにオレサマをバカにするのをやめろ」
「それの方も、考えていることはある。ただし」
一拍置いて、市子は唇の端を吊り上げるようにして笑った。
「いろいろと、先に確認しておきたいところとかもあるね……ゐつさんにも、ちょっと連絡を取ってみたいかな」




