22.過去①
市子らが帰り、再び浅沼ひとりになった屋敷の中で、浅沼は縁側に寝転がっていた。明るいが陽は直接当たらない陰のところだ。
そこで、ぼんやりと、先程までいた来客のことを考える。
結局何者なのか、わからなかった。
12年前にやって来た人たちと、関係者ではないが、無関係でもない立場。
それは市子が自ら言った立場だったが、確かにそれ以上のことは、それ以外のことは、わからなかった。
「――ちなみに」
去り際、玄関で靴を履きながら、ことのついでのように市子は訊いてきた。
「あなたは山の中で、誰かに会ったことがある?」
何だか妙な問いかけだった。だが答えること自体は難のあることではないので、浅沼はこれにはあっさり首を振った。
あの山中で誰かに行きあったことは、ない。一度も。
「じゃあ、誰か、あるいは何かの気配を感じたことは?」
これにも浅沼は首を振った。
それで市子も気が済んだのか、そう、と言ってやっと屋敷から出ていったのだった。
質問の意図が、こればかりは本当にわからなかったが……
「――お母さん」
小さく、呟いてみる。
母の名は父や祖父母に聞いて知っている。
母の顔は昔の写真などを見て知っている。
だが、記憶はない。
浅沼自身の中の生きた、生のままの母の記憶は、存在しない。
母についての思い出は、ない。
だから、浅沼の中に母はいない。
「……どんな人だったのかな」
いなくなったのは、浅沼が5歳の時だ。物心の、未だ成熟しきっていない時分。記憶が、思い出が、心に根付くにはまだ足りなかった時期。実態が失踪だったにしても、神隠しだったにしても、浅沼にとっての現実は変わらない。
母は、いない。
「……でも」
わずかに覚えていることが、ある。それは、まるで夢でも見ていたのではないかと自分自身を疑ってしまうような、一瞬の記憶だ。
そしてそれが、恐らくは。
母が神に隠された瞬間なんだろう。
「…………」
容易に言葉で表現できるような映像ではなかった。10年以上が経過してしまっている今ではもうほとんど劣化し、摩耗し、改変すらされてしまっていると思われるが、それでも強烈な、そして不可思議な現象として、焼き付いている。
母が隠される瞬間に、幼い浅沼は居合わせていたのだ。




