19.浅沼③
「で、ではその、他にああいった石碑のようなものがあったりはしませんか? 石碑でも、お地蔵さんのようなものでもいいのですが」
狐の動揺は一瞬だったが、一貫して狐を注視していた浅沼にはそれがわかった。柔和な微笑みがやや引きつっているし、言葉もわずかに震えている。だが、決定的瞬間を見ていなかった浅沼にはいまさら市子を見たところで市子が行儀よく座っているようにしか見えなかったし、市子と浅沼では彼我の距離がやや遠い。この距離では市子の寝息は浅沼にまでは届かない。
幸か不幸か。
幸だろうか。
いや、不幸かもしれない。
「他に、ですか……」
石碑、あるいは地蔵、といったものに、心当たりは残念ながらない。これ本当だ。
だが、それとはやや異なり、しかしよく似たようなものであれば、それがあることは知っている。
けれども、
「……いえ、ないですね。すみませんが」
そう言った。
そうですか、と狐は頷いて返した。何だか、その美顔に浮かべられた微笑みが先程よりも引きつってきている気がする。視線もせわしなく泳いでいるし。どうしたというのだろう。
「えと……あ、暑い、ですね。それにしても」
「え、あ、はい。そうですね」
急な話の切り替えに戸惑いながらも応じる。正直なところを言えば、そっちの方面から話が逸れるのは望むところだ。
「浅沼さんは、ええと、高校生ですか?」
「あ、はい。二年生です」
「高校へは、どのように?」
「村はずれにバス停があったでしょ。それに朝早くに乗って、役所前まで行ってから始発の電車に乗るんです」
「ああ、成程……でもそれも、毎日ですものね。大変ではありませんか?」
「ええまあ、大変ですけど、慣れればなんてことありませんよ。それに今は夏休みですし……」
話の流れが完全に他愛のない世間話に向かっていったことで、浅沼は内心に安堵する。これで当面は、“あの話”に近づかなくて済むだろう。願わくば、このまま帰ってもらえるとありがたい。
「御両親は、何をされている方で?」
が、――なかなかうまくもいかないらしい。
狐としても、何気ない話の一環なのだろう。深い意図があっての問いではあるまい……無下に突っぱねるのも、不自然だ。
「――父は中学校教師で、今は別の地方に単身赴任してます。母は……母は、いません」
「いない……?」
「その……私が小さい頃に、ちょっと……」
「あ……」
具体的なことは何も言っていない。だが、そこまでで察するところはあったのだろう。狐は、申し訳なさそうに目を伏せた。
「すみません、不躾に……」
「あ、いえ……気にしないでください。昔の話、ですし。……この家は、母の実家なんですよ。祖父母が農家で。父が転勤族ですんで、中学までは私も何度も転校していたんですけど、高校はさすがにそうもいかないということで、こちらに厄介に」
気まずさを払拭するように、訊かれてもいないことを話してしまう。だがそれでも多少の効果はあったようで、狐も、眉尻は下がったままだが表情に笑みを戻す。
ようやく、落ち着いた空気になってきた。弛緩した、と言ってもいい。
だが、
「そのお母さんのお話、もうちょっと詳しく聞いてもいいかな」
空気を全く読まない声が、唐突に、斬り込むように差し込まれた。
狐はぎょっとした顔になっているし、こちらもこちらで表情がひきつりかけた。
母の、話?
「そう。あなたのお母さんの話。私、興味あるなあ」
いきなり何を言い出すのだ。




