17.浅沼①
強引に母屋に上がられた。
「すみません、無理を言って上げてもらって……」
「え、あ、いえいえそんな、お構いなく」
ひとりだけ本気で申し訳なさそうなレディーススーツの女性に、浅沼は慌てて返す。どうぞ、とグラスに注いだ麦茶を置くと、スーツの女性は恭しく受け取り、その相方の少女は受け取るなり遠慮なく飲み干した。
本当に遠慮がない。
先頃、呼び鈴を連打していた少女である。
そして強引にずかずかと踏み入ってきた張本人でもある。
「えっと……それで、あなた方はどちらの方で?」
こうして向き合ってみてもその正体がさっぱりわからない。問うと、あ、という表情を女性がして、
「申し遅れました。私、こういうものです」
ス、と差し出された名刺を受け取る。名前と所属が書かれただけの、飾りげのない実用一点張りの名刺だ。しかも名前も、姓なのか名なのか漢字一字のみで、それによれば、
「はあ、狐さん……え……K大学の研究者さん、ですか?」
「はい、民俗学を専攻させていただいております」
にこ、と狐という不思議な名の女性は感じよく微笑んで見せた。へえ、とやや印象を改める。K大学といえば、西側屈指の名門大学だ。浅沼の第一志望でもある。そう思って改めてまじまじと見ると……美人だった。
まずスタイルがいい。細身でありながら健康的でもあり、何より脚が綺麗だった。腰の位置もかなり高い。パンツルックの黒いスーツで襟も正しく、端正な顔立ちも相まって実に凛々しい。正座でありながらすらりと伸びた背筋も美しく、狐色というのか、黄と茶の中間のようなつややかな長髪を後頭部で、簪で纏めている。目鼻立ちも端正で、切れ長でややつり気味の目も、にっこりと微笑むと不思議な包容力を生んだ。
研究者というより、モデルをやっているといった方が違和感がない。というか、モデルをやっていないという方が違和感がある。
研究者、というが年齢が知れない。就活中と言われても信じられそうだ。
で、それはいいとして、もうひとり。
「どーもどーもこんにちは。突然押しかけて御免ねえ。私は市子。市街戦の“市”に、子は親の鏡の“子”で、市子。イチコじゃないよ、イチゴだよ。よろしくね、おねーさん」
妙に馴れ馴れしくて遠慮がない。
見たところは、せいぜい中学生くらいだろう少女だ。身長は年相応。痩せ形。夏らしく、涼しげな服装をしている。履物はなぜか草履だったが。
顔立ちは恐らく整っている方だろうと思われるが、確かなことは言えない。なにしろ、顔の半分が窺えないのだ。
包帯。
目に怪我でもしているのだろうか……この市子と名乗る少女は、両目にかけてきつく包帯を巻いていた。目隠しをしているようにも見えるが、よくわからない。というかこの少女、その目隠しをしたままひとりで飄々と歩いていた。
「あの、この子は……」
「私は狐さんのお手伝いだよ。夏休み暇だから無理言ってついてきたんだ」
それはお手伝いとは言わない。狐を見ると、彼女もやや困ったような笑顔で、
「親戚の子で、しばらく預かることになったのですが、私も仕事がありまして……やむなく」
「ああ、そうなんですか」
「ペットのゴザル君も一緒だよー」
無邪気に笑う市子を横目に、言外に大変ですねという意味を込めると、狐も小さく笑った。
ゴザル君、とかいうこれまた奇妙な名前の犬は、今は縁側に寝ている。見たところ犬種は柴犬のような雑種だろうか。しかし毛並みが真っ白であるところが奇妙だった。両の瞳も赤く、何だろう、自分の知らない種類なのだろうか。
「……私は浅沼・南波、です。それで……えっと、うちには何の用で」
「ああ、はい。では本題に」
何はともあれ、さっさと帰ってもらうに越したことはないだろうと本題を促す。狐は手提げの鞄から手帳とペンを取り出して構えた。
「私が民俗学を専攻しておりますのは先程お伝えしました通りですが、わけても私は民間伝承の類を専攻しておりまして。それにまつわるお話を御存じないかとお聞きして回っております」
「民間伝承ねえ……」
何だか曖昧過ぎてぴんと来ない。それが顔に出ていたのか、狐はひとつ頷くと、
「どんな些細なことでもいいのです。例えば伝説、伝記、妖怪、怪異譚。幼少時に聞いた不思議な寝物語や、わらべうたのようなものです。土地の由縁などでも何なりと」
「そんなこと言われてもなあ……」
曖昧に返し、考えている素振りを見せながらも、浅沼は腹の底に何か冷たいものが澱むのを感じた。
非常に遠回しではある。物腰も穏やかだ。だが、
……まさか、この人。
それは予感、言うなれば嫌な予感だ。
……私から、“あの話”を聞き出そうとしている?
確信はない。現時点ではまだ勘ぐりに近い。民俗学の調査、民間伝承、妖怪、怪異譚といった言葉から連想してしまっただけだ。だからひとつ、訊いておくこととする。鎌かけというほどのものではないが、
「――その……調査、ですか? それって、もう村の他の家にも聞いて回りました?」
「ええ、そうですね」
「それじゃあ、もう私から新しいことは聞けないと思いますけど……」
言いながら、内心に思う。
……それじゃあ、多分知っている。
多少なりとも、知っているだろう。
この村では“あの話”はタブーだ。誰も語りたがらない。巷間の上らせないことが黙契となっている――だから恐らく、詳細は誰も語っていないだろう。
だが、全く触れない、ということも、ない。
多少は――その概観程度は、聞いているのだろう。
だから、こちらからそれに触れなければ、相手から触れてくることだろう――そういうものだ。ましてや研究者であるというのなら、“あの話”は格好の標的であるはずだ。
浅沼は知っている。
初めてではないのだ。こうして“あの話”を聞きに来る者は。
あのときは自分もまだ幼く、自失してもいたため、まともなことは話さなかった。
……あの人たちの、関係者?
わからない。だが、誰も語らない“あの話”をどうやってか聞きつけてきたらしい、今思えば怪しげな人たち――幼いながら、その人たちの目の鋭さはどこか恐ろしかった――とは全く関係ないとも、言えない。
まあ、K大学の研究者という肩書が本当であるのなら、また別の話だが……本当に偶然民俗学の調査に来て、偶然浅沼に当たっただけなのかもしれないし。
腹の探り合いめいた芸当など全くできたものではないが、やってみるしかあるまい。
「いえ、特に新しいことですとか、珍しいことを聞こうというわけではないのですよ。何でもいいのです。そうですね、具体的なところを申しますと、例えば……」
思案する仕草を見せる狐に対し、浅沼は内心でそうと悟られぬ程度に身構える。




