02.変な客
「おー、美月ちゃん、こんにちは」
休憩室から出るとすぐにカウンター裏だ。のんびりと椅子に座って新聞を読んでいた店長が、こちらに気付いて片手を上げた。
それから、壁にかかった時計を見て、
「……遅刻?」
「いえ時間的には裏から入っていたのでギリギリセーフです」
「えーでも」
「………」
「……せ、セーフだね! ギリギリセーフ!」
無言で凄んでみせると、店長はあっさりと迎合した。簡単だ。
ざっと店内を見回す。
もともと、某大型チェーンなどとは違う個人経営であるため混み合うことなどない店であるが、この日も例にもれず客はまばらだった。
会社員らしきくたびれた中年男性。
近所の高校の制服を着たカップル。
そして――奇妙な二人組。
一目見て分かった。
先輩が言っていた『面白い客』というのは、間違いなくあの二人だ。
何がどう面白いのかはまだわからないが、変であることはすぐにわかった。
少女がひとりと女性がひとり。
女性の方は、見るからに一級の美人だ。金とも茶ともいえない、強いて言うならば狐色の髪を長く伸ばしている。
前にはコーヒーを一つ置いて、目を伏せて微動だにせず座っている。
そして、着物。
白を基調として、水色の紫陽花が染められている。
彼女の存在だけでも、十分に人目を惹くのだが。
もうひとり。
中学生くらいだろうか。
黒髪でショートボブの女の子だ。痩せ形で手足もすらりとしている。
純白のYシャツに、水色の膝丈のスカートを身に着けている。
夏らしい、清涼感のある様相だ。
しかし、ひとつ、明らかに人目を引く奇異な点があった。
●
背の高いパフェグラスから、ひょいひょいとロングスプーンでパフェを食べ、一口ごとに至福の笑みを浮かべている、その顔。
両目にかけて、包帯が巻かれていた。
目の病気か、怪我でもしているのだろうか。遠目に見てもそれはきっちりときつく巻かれており、明らかに前が見えているはずがないのだが、女の子は全く淀みない動きで的確にパフェを摂取していく。
美月が見ている間にも、パフェはみるみるその量を減らしていき、とうとうグラスは綺麗に空になった。
カラン、とスプーンをグラスに落とし込んで、ふう、と女の子は満足げに吐息した。
そして、ぴょ、と手を高くこちらへ上げて、
「店長さーん、次、『ショコラーテのぐるぐるパフェ』くださーい」
「あいよー」
既に新聞を畳んで立ち上がっていた店長が応え、グラスなどを用意し始める。どうしたものか、と見ている美月に気付いて、
「ん、とりあえず空いた器さげて、伝票に追加してきてもらえるかな」
「あ、はい」
言われるままにカウンターから出て、窓際の席にいる女の子のもとへ向かう。
女の子は、はなうたまじりにメニューを見ていた。当然の如くデザートのページだ。
しかし、目は包帯で密閉されているのだが。
「――失礼します」
一言断りを入れて、伝票を取る。追加注文を入れるためだ。
……うわ。
伝票は、徹頭徹尾スイーツで埋められていた。
ざっと見るに、メニューの左上から一つずつ、デザートを制覇しようとしているようだ。
甘党である店長の趣味で、喫茶店のくせにコーヒーよりスイーツの方がバリエーションが豊富なのだが、この女の子は既にその半分程度までを完食しているらしい。
和洋混合でざっと十。
胸が悪くならないのだろうか。
●
ともあれ、とりあえず伝票に注文を追加する。
「……空いた器、お下げしますね」
声をかけると、女の子は「あ、はーい」と答えて器をこちらへ押し出してくれた。
普通に見えているのではないかというような自然な動きだ。
さりげなく確認するが、この至近距離でも目に巻かれた包帯は完璧だ。
内心では大いに疑問であるところだが、おくびにも出さずにグラスを回収。カウンターへ戻る。
カウンターには既に、『ショコラーテのぐるぐるパフェ』が威風堂々と鎮座していた。
「お、有り難う。じゃあそのままコレよろしく」
実に機嫌良さそうに店長が空の器を受け取った。この『ショコラーテ(略)』などは喫茶店では滅多に注文されない品だ。他のも大概そうだが、それらが次々と注文されているのが嬉しいらしい。
同志でも見つけた気分なのだろうか。
『ショコラ(略)』を盆に載せる。
重い。
構造はこうだ。
まずグラスの底にチョコレートソースが注がれ、その上にヨーグルト、バニラアイス、チョコレートアイス、生クリーム。最上部の生クリームにはリンゴやらバナナやらパインやらキウイやらが遠慮なく差し込まれ、板チョコの断片を差し、最後にそれらの上からぐるぐるとチョコレートソースでコーティング。
制作過程にこそ『ぐるぐる』が含まれているが、最終的に出来上がったものはチョコレートで完全カバーされたチョコレートの山脈であり、ぐるぐるは何処にも見当たらない。
平たく言って、ただの糖分の塔だ。
そもそも作っている過程を見ているだけで胸が悪くなりそうなものであり、こんなものを好き好んで作る店長も店長だが、注文する女の子もまた、正気の沙汰とは思えない。
●
よっこいしょ。
と声には出さずに内心にとどめ、パフェタワーを女の子の前に据えた。女性の方はやはり微動だにしない。
女の子は、見えないはずの視線をタワー最上部へ向け、飛び上がらんばかりに興奮している。
「……お待たせしましたー」
「わっははぁ! 待ってました有り難う!」
実に嬉しそうにスプーンを構える女の子。それを見届けることなく、一礼して美月はその席を離れようとしたが、
「あ、すいません、ちょっと待って」
パフェにスプーンを突き立てた女の子が、こちらに顔を向けて声をかけてきた。
「……はい?」
まさかさらに追加か、と内心のけぞりつつ戻る。
と、女の子は緩く首を振った。
「あ、違う違う。注文じゃないよ」
ん? と思う。私、今、言葉にしていただろうか。
まあ、客に声をかけられた店員が思うことくらいはそれなりに予測も立つかな、と思い、気に留めない。
なんでしょうか、とテーブル横に立つ。すると、女の子はにっこりと笑った。
目に包帯をきつく巻いている顔は、何だか妙に迫力があるのだが、それを相殺して余りある屈託のない笑顔だった。
「美月・涼子さん。ちょっとあなたに訊きたいことがあって」