08.調査⑥
診る。
観る
視る。
見た。
「――ふうん。成程ね」
言って、市子は手を離した。
ふ、と吐息して、立ち上がる。
「……市子殿?」
「大体わかった。けれど……何というか、面倒だね。煩雑だ。それに徹底している。私でも核心だけは見えなかったよ」
霊視。
市子の霊視だ。およそあらゆるものを見通す、生来肉眼を持ち得ぬ市子が有する“眼”。市子のその特異体質の原因の一端をも担うほどの強力なもの。
しかし、その市子の“眼”からも隠し通すことができるということは、
「やはり只者には御座らんな。守護連の手の者に御座るか?」
「確証はない。――けれど多分、違うと思う。そういう匂いはしなかった」
考え深げに顎に指を添えながら、市子は応じる。
「――となると、カクレの魔術師」
「それは、先日この仕事を請け負う際についでにゐつ殿から聞いたという話に御座るか? しかし、原則的にカクレの魔術師など」
「そうだね。そのはずだ。この世界で――この極東では、魔術師の才能を見初められた者は必ず守護連にスカウトされることになっているし、実際にそうなっている……けれど、例外のない規則はない」
白犬や狐のもとに戻りつつ、市子は続ける。何事かを考えながら。
「守護連の目を逃れた者がひとりもいないとは限らない。実際、私やゐつさんなんかがいい例だしね」
「しかし市子殿やゐつ殿は話が違うで御座ろう。ゐつ殿はひとりで極東守護連を圧倒できる程の傑物で、市子殿はそのゐつ殿の弟子にあたり、しかももとを辿れば恐山の出。そうでもなければ守護連の手から逃れられる魔術師など」
「確かにそうなんだけれどね。魔術師としての才覚に目覚める前に引き入れられるのが通例なんだから――でもそれは、ちょっと思考が固まっちゃっているよゴザル君。“そんなわけがない”っていう思考でやめてしまえば、柔軟性も失うし、応用も利かなくなる。とはいえそれも屁理屈のきらいがあるけどね。守護連の抜け目を通るなら、少なくとも個人では無理だと思う。それなりの力のある誰かの庇護を得ているか、守護連とは系列の異なる組織に取り込まれるか」
「しかし、守護連以外にこの極東に魔術結社など……隣国の華国や、西洋に行けばありはすれども、他には御座らんのでは」
「だから、カクレの魔術師なんだよ……うん、でもそれにしても、ちょっと情報が錯綜している感じがするね。守護連に対抗できるだけの基盤をもった組織が仮にあったとして、目的は何だろう。守護連の打倒なら、それでどんな得があるかは別として、これに手を出すのはやっぱりお門違いだ。これは守護連とは違う、ゐつさんの管轄だ。……守護連の味方どころか、むしろ好き好んで守護連と喧嘩したがるゐつさんに手を出しても、徹底して報復されるだけなわけだし」
「ゐつ殿に火をつけて、ゐつ殿と守護連の抗争を目論んでいるというのは?」
「漁夫の利ってわけだね。でもそれもどうなんだろう……多角戦争なんてそれこそゐつさんの独壇場だ。西洋のパワーバランスをひとりで滅茶苦茶にしかけた人なんだよ? それを知らない魔術師ならそれはモグリだってくらいに……っていうか、これだけのことをやってのけながら、そんなことも知らずに、ゐつさんの恐ろしさを知らずにゐつさんに喧嘩を売ってるっていうのも考えにくい」
石碑を振り返って、市子は言う。
「それに、他にも情報があるんだよゴザル君――最近、守護連の人たちが忙しく駆け回っているのは知ってるでしょ?」
「それは、まあ。極東各地で異変が多発しているとか……」
「それも、誰かによる介入の線があるかもしれないって、守護連の総長連は考えているらしい。確かに、同時に複数個所で龍穴が決壊することはなくもないんだけれども、それにしては不自然に多過ぎる」
だからどちらかというと、と市子は続ける。
「むしろこれも、その龍穴への干渉の一環と考えた方がいいかも知れない」
「龍穴への干渉……しかし、一体誰が何のために」
「それは、今の時点じゃ何とも言えないね。とりあえずこのことをゐつさんに報告して、それからだ。――今は先に、御仕事を済ませちゃおう。ゴザル君、一応これ、精査してもらえるかな。何度も来たい場所でもないからね、ここは」
言って、市子は白犬に道を開けた。応じて白犬も前に出る。そして石碑の前に向き合って座った。
「……まあ、確かに何度も来たい場所じゃーないわな。夜に来ようもんなら、100回は死ぬんじゃねェか。ここまでの道のりとすると」
ホントにシャレになんねー危ねェ場所だぜ、とぬいぐるみが息巻く。術式を精査し始めた白犬の身が魔力の光に覆われていくのを見ながら、市子も頷いた。
「確かにそうだね。月明りもろくに届かないだろうね」
「っとに信じらんねェぜ。こんな道を使ってた奴らの気が知れねェ」
「昔は全国どこでも大概はこんな感じだったと思うよ。山林の、峠道なんていうのはね。――それに、それだけじゃない。ここは……よく似てる」
「似てる? 似てるって、何にだ」
「ここも一応は、スポットだっていうことだよタヌキ君。名のある場所じゃあ全然ないし、御山なんかには比べるべくもないけどね」
「御山……ってェと、恐山のことか。オレサマは行ったことねぇけど、似てんのか? ここは、そこに」
「ちょっとだけね。龍穴の直上じゃないから魔素は薄いけど……“集まりやすい”ってところはおんなじだ」
「集まりやすい?」
「いろいろだよ。いろんなモノたち」
言って、小さく市子は笑った。そうなのか? とぬいぐるみは周囲を見回す。
「なんもいねーぞ」
「目には見えないよ、そりゃあ。私だって、今はもう“眼”も閉じてるから見えない。――でも、肌には感じちゃうよねえ」
肌にねえ、とぬいぐるみは自分で自分の腕をこする。
「まあ、タヌキ君の肌はフェルトだからわからないよねえ」
「フェルトとか言ってんじゃねェ」
「まあ、タヌキ君の肌はやっすいフェルトだからわからないよねえ」
「やっすいフェルトとか言い直してんじゃねェ!! 気にしてんだぞ!! つか誰のせいで……!!」
憤慨するぬいぐるみに対し、市子は声を立てて笑った。
「イイモノともワルイモノとも言えない、その境界線上を彷徨う……けれども妖ほどの存在の輪郭も保つことのできないモノたちだよ。霊と言ってもいいし、魑魅魍魎というのがもっと近い。そういう彼ら。――人間よりも世界に近く、魔術よりも魔法に近い、根源の周囲を移ろうモノたち」
「ああ? 何言ってんのかよくわかんねェぞ?」
「わからなくてもいいんだよ。少なくとも、今はね。――っと」
と、ふと市子が口をつぐんだ。一瞬だけ笑みを消す。けれども、すぐに笑みは市子の口許に戻った。
ただしその色合いは、先程までとはまるで違う――酷薄さを。
柔らかさなどとはかけ離れた、冷酷な、笑み。
「これは、ちょっと驚いたかな……想定外かな。対応範囲外ではないけど。招かれざるお客さん、か」
市子がそう小さく囁くと同時、市子の傍らに立つ狐も、未だ術式を精査している白犬も、わずかにその身を固くした。
狐はさりげなく市子に半歩身を寄せ、白犬はそれと気づかれないように市子を窺う。
「――市子殿」
「いい。続けて。今はその時じゃない」
白犬には端的に言葉を返し、狐にも小さく頷きを見せる。市子のいう“その時”とは果たしてどのようなときなのか、それが明示されないながらも、狐も白犬も一切の反問なく従う。
気配。
先程までの、山林に特有の濃厚な木々鳥獣の気配ではなく、微かに漂う魑魅魍魎の薄弱な存在感でもない、
濃密な、濃厚な、生きている者の気配。
それも、ひとつやふたつではない。
無数。
いつの間にか一行は、姿を見せないままの何者かたちに完全に囲まれているようだった。
その者たちは、今のところは一定の距離を置いて市子らを包囲しているだけで、すぐに何か仕掛けてくるという様子はない。が、穏やかな様相でもなかった。
恐らくは、市子らの何らかの行動を引き金として、一斉に迫ってくるであろう剣呑な雰囲気。
剣呑な。
正体不詳、総数不明の何者かの渦中にあって、しかしながら。
「さて……いや、招かれざるお客さんは、私たちの方かな?」
市子はひとり、静かに笑んでいた。




