06.調査④
それからの行程、市子はほぼ全く何も言わなかった。黙々と、一定のペースで進む。
道程は、何度か難所があったものの、いくらかはなだらかな区間もあった。山頂の方向へしばらく向かい、どこからか途中で蛇行し、山頂に対して斜角で登っていく。
「――にしてもよォ」
鬱蒼と茂っているため昼間でも薄暗い山中で、時折差し込む日光に目を細めつつ、ふとぬいぐるみが言った。
「これ、もともとは一応、道だったんだろ? ほんとに使ってたのか? 日常的に使うにしちゃァ、ちと険しすぎるんじゃねェか?」
腕の内のぬいぐるみの言葉に、市子は反応しなかった。
「おい、イチゴ?」
「――ん、あ、御免。何だっけ?」
どうやら本当に全く聞いていなかったらしい。ぬいぐるみは呆れたように吐息すると、
「どうしたんだよオメェ。さっきからよ。何かわかったのか?」
「いやー、わかったっていうか、ね……まあ保留。それはともかく、何だっけ?」
「まァいいけどよ。――この道は日常的に使うにはちとキツ過ぎんじゃねーかって話だ」
「ああ、そうだね……そうかもね。でももともと、近隣の村との繋がりが強かったわけでもなかったみたいだからね。そんなに常用される道でもなかったんだよ。どうしても用があって峠を越えなければならないっていうときだけ、使われてたんだね」
「用って、どんな用だ?」
「さあ、それまではさすがに。まあいろいろあるんじゃない?」
市子の受け答えは平素とあまり変わりないようだが、それでもやはり、何か他のことに気を取られているようにも思われた。
「……なァおいワン公。イチゴの奴は、一体何を考え込んでやがるんだ?」
ぴょんと、市子から狐の肩を飛び越えて白犬の頭に着地するぬいぐるみ。それにもほぼ無反応な市子。対して着地された白犬は危うくまた足を踏み外しかけた。
「――タヌキ殿……」
「おう、何だ」
「……市子殿が何を考え込んでいるのかは、拙者にも測りかねるので御座るよ」
ぬいぐるみを胡乱な目つきで見上げた白犬だったが、何か観念したようにひとつため息をついて、また足元に視線を移しながら応じる。
「市子殿が何に反応したのか……恐らくは、どうやら妖に反応していたようで御座るが」
「それもだ。何だよ妖って」
「…………」
「何だよ」
また胡乱な目でぬいぐるみを見るが、今度はすぐにまた逸らした。
「先ほども市子殿が言って御座ったが、わかりやすく言うと妖怪のことで御座るよ。妖怪変化。天狗だとか、河童だとか、そういう者たちで御座る」
「ああ、成程な。天狗とか河童な……妖怪か。で、それがどうしたと?」
「いや、それは拙者にも何とも……」
「何だよワン公。オメェ、こういうときに役に立たねェでいつ役に立つんだよ。説明役がオメェの役回りだろーが」
「…………」
一度として役に立ったことのないぬいぐるみには言われたくない、と強く思う白犬だったが、あわや足を踏み外しかけ舌をも噛みかけたのでやめにした。
だが、しかしなあ、とぬいぐるみは何て事のないようにつぶやいた。
「妖怪ねえ……妖怪か。それがいなくなったっつったって……あ? いや、それっておかしくねェか? 妖怪がもういねェっつーんなら、オレサマやオメェは何なんだよ」
「何とは、それは、」
答えようとした白犬は、しかし答えられなかった。だがそれは、舌を噛みかけたためではない。
「……まさか」
白犬は、一瞬足を止めかけたが、一行に置いていかれそうになってすぐに足を踏み出す。
それきり口をつぐみ、無言で後に続く。
「……オイ、ワン公」
「…………」
「オイ、どーしたんだよワン公」
「…………」
「おいコラ」
「……まさか、しかし、市子殿」
「そうだね。ゴザル君。多分それは私と同じ考えだ。多分それで正解。――で、多分、ゐつさんが引っ掛かっているのもそこかな」
低い声で淡々と答える市子。それに白犬が、
「しかしそうなると、境界の区別は、曖昧な線引きで、いや」
「着いたね、ここだ」
白犬の言葉を遮るようにして、市子が言った。と同時に立ち止ったため、当然、狐も立ち止まり、白犬はまた鼻先から狐の背中に突っ込んで、そしてとうとう足を、
「お、あ、ちょ、市子殿、あ、本当に、落ち、」
滑落する寸前に伸びた狐の繊手が白犬の首根っこを片手で掴み取ってそれを阻止した。ついでに、白犬の頭から転げ落ちかけていたぬいぐるみも、同じ手の二指で絡めとっている。
「ぐぉ、キツネ、おい、死ぬ、息が、息が、」
「タヌキ殿は呼吸などしておらんで御座ろうが……いや、かたじけない狐殿。助かり申した。――しかし拙者、首根っこを掴まれて持ち上げられたのは、幼少のみぎり以来に御座る……」
何世紀ぶりに御座ろうか、とぼやくようにつぶやきながらも、降ろされた足場にほっと吐息した。
「――ふう、して、市子殿。見つけたというのは――いうのは……」
狐の脇から覗き込んだ白犬は、市子の前のそれを見て、しかし言葉を止めた。
「市子殿、これは……」
「あー……あ、うん、違った。間違ったよ。あはは、私としたことが、見かけに騙されちゃった」
両目をきつく包帯で締める市子の言葉だ。
誰も笑わない。
“見て”いる市子なのだから二重に笑えないのだが、だが実際に見えている白犬や狐には、それがはっきりと見える。それは、
「注連縄……に御座るな」
それを見た白犬が言う。
「注連縄。見たところ、ここら一帯にかけて結界としているようで御座るが……」
「うん。でも違う。これじゃない。これには何もない――ゐつさんには全く関わりない。これはそれより新しい」
「新しいと言っても、最近のものではないと思われ申すが……」
「まあ、それもそうなんだけどね。件の12年前、だろうね。ただし、魔術師も、霊媒師も絡んでいない――本命は、そうだね。こっちかな」
言って、市子は曲がった。といっても、一本道だ。曲がったって道などない。
ただの山林、藪の中だ。
そこを分け入って、市子は進む。
「――多分、そんなに離れてはいないはず……と、あった。これだね」
程なくして、市子は立ち止まった。崖っぷちの山道ではないため、縦に一列に並ぶ必要もなく、ゆえに皆で横に並んでそれを見る。
「……っかー、こりゃまた貧相な石だなあ、おい」
なんだこりゃ、とぬいぐるみが小ばかに仕切った物言いで言った。応じて、市子もふふっと笑う。
「ま、見た目だけなら確かに、さっきの注連縄の方が立派かもねえ……こっちは本物だけど」
それの前に一歩踏み出して、市子は言う。
「これぞ、半世紀も前にゐつさんが置いた術式。――“元”だけどね」




