01.滑り込み
遅刻ギリギリでバイト先である喫茶店『偃月堂』に裏口から滑り込むと、休憩室でバイトの先輩がコーヒーを飲んでいた。
息も絶え絶えにロッカーに飛びつくこちらに気付いて、先輩は悠々と片手を上げる。
「や、今日もギリギリだねえ美月っちゃん」
「今日も、って何ですか! 一昨日はヨユーで来てましたよ!」
「その前とさらにひとつ前はギリギリだったよねえ」
しし、と笑う先輩に対し、美月はもう何も言い返さず制服をひっつかんで更衣ブースへ飛び込んだ。
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音を立ててブースの扉を閉じ、抜け目なく鍵をしっかりと閉める。以前、同じく急いでいたときにうっかり鍵を閉め忘れたら、乱入してきた先輩に揉まれたことがあるのだ。
どこがとは言及しないが。
同性でもセクハラは適用されるのではなかったか。
訴えてやろうか。
その後店長に言ったら「いいなあ……」と本気で物欲しげな顔をしてくれやがったので差し入れのプリンに醤油をかけて出して泣かせてやった。
先輩の場合は同性で歳も近いから冗談で済むが、中年男性である店長のそれは完全にセクハラだ。
醤油プリンで勘弁してやったことを感謝してほしいくらいだ。
ベルトを解いてジーンズを一息に落とす。足首にまとわりつくそれから足をやや乱暴に引き抜くと、そのまま制服にまっすぐ突っ込む。
一気に制服のズボンを引き上げると、チャックを上げ、ボタンも留める。
次に上着を脱ぎ捨てると、裾を掴んでがばっとTシャツを頭から抜く。
大学から全力疾走でやって来たため、肌が汗でべたついて気持ち悪くなっている。
いっそシャワーでも浴びてやりたいところだがそうはいかない。
しかしこのまま制服を着るのも乙女的にどうだろう。
というわけで、ブースに駆け込む際にひっつかんで来た鞄からペーパータオル式の制汗剤を一枚抜き取り、荒々しくではあるが一通り汗を拭った。
多少、主に気分的に涼しくなったところで制服の上着に袖を通す。
ボタンを自身最速で留めていき、一番下まで留めたところで腰巻のエプロンを巻き、縛る。
「――よし」
ブースの壁にかかっている姿見で、正面、右、左と確認し、一つ頷いた。
最後に床にとっちらかったジーパンやら上着やらをわちゃっと丸めると鞄に突っ込み、ブースを出た。
歩く勢いのままに鞄をロッカーに突っ込み、店へ出ようと戸に手をかけたところで、
「あ、そうだ美月っちゃん」
先輩が実に暢気な声をかけてきた。
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「なんですか」
若干のイラつきを隠さずに、美月はドアノブに手をかけたまま肩越しに振り返った。先輩は、コーヒーカップから立ち上る湯気の向こうでにやにやと笑いながら、
「今、面白いお客さんが来てるよ」
「面白い?」
そ、と先輩は頷いた。
口許に添えていたカップから悠々と一口すすり、ソーサーに置く。
こちらは急いでいるのだが。
「……それで?」
それっきり何も言わない先輩にさらにいらだちを募らせながら、先を促す。
年長者を立てるということも一応あったが、『面白い客』というのが少し気になった。
どう面白いのかわからないが、『迷惑な客』だったら困る。
んー? と先輩は、やはりのんびりと答える。
「まー、面白いお客さんだね。あ、大丈夫。迷惑な感じじゃないから」
美月の思考を読んだかのように、先輩が言う。
美月はそれを聞いて、頷いた。
「そうですか」
「――あれ、気にならない? もっと知っておきたくない?」
淡泊に返して店に出ようとした美月を見て、慌てて先輩が声で追いかけてきた。
対して美月は、もはや振り返ることもせず、
「出ればわかるでしょう? 先輩は意味もなくもったいぶるので……面倒です」
一応は言葉を選んだつもりだ。大丈夫。私は気遣いのできる女。
あ、はっきり言いやがったなーという声を無視。後ろ手に戸を閉めて遮断。
店に出た。