02.調査①
「――神隠し、っていう怪異現象があってね」
先頭を歩く少女がふと口を開いた。
もはや言うまでもなく、市子である。
「古代から存在する怪異現象だね。古代王朝時代にも既に記録されていて……現代でもたまにある」
「――へえ」
市子の言葉に応じたのは、背後に従う美女でも、白犬でもなかった。
ぴょこ、と市子の腕の中から顔を出した、ぬいぐるみだ。
ファンシーなデザインのたぬきのぬいぐるみ。
ぬいぐるみが動き、喋っている。
「そいつが今回の仕事なわけか? この辺で神隠しがあったから、それを解決しろと」
「いや――ちょっと違うかな」
ううん、もっと違うかも、と市子は言う。
「どういうことだ?」
「確かにこの地域は古代から神隠しが多発していた――だからゐつさんが術式を施した。それが50年前」
50年? とぬいぐるみが疑問の声を上げる。
「そんならもう解決してんじゃねェか。ゐつのばーさんが手ェ入れたんなら、それからはもう神隠しは起こらなくなったんだろ?」
「いやー、それがそうでもないらしくってね」
「あ? ――するってェと何か、ゐつのばーさんがミスったのか」
「ゐつさんが失敗するなんてことは、この世界が終わることと同じくらいに考えられないことなんだけどもね。でもたった一度だけ、神隠しが起こっていたらしい」
「いつだ?」
「12年前」
私は生まれてるねえ、と市子は小さく笑った。
「12年前に、ただ一度だけ、神隠しがあった、というお話がある……ただし、その詳細は伝わっていない」
「あ? 詳細? 詳細っつーと、誰がどこでどうやって、って奴だよな。それが伝わってない?」
ぬいぐるみが疑問の声を上げた。苛立っているような口調は、このぬいぐるみの平常だ。
「ってことは何か、オメエは、オレサマたちは、12年前に誰かがどっかでどうにかして神隠しに遭ったっつーだけの、そんな曖昧な情報でこんな辺境にまで来たのか?」
「御仕事がなくたって、私たちは大体こういう辺境にいるんだけどね。都会はあんまり好きじゃないから……っとまあ、それはともかく。そうだね。その通りだ。“神隠しがあったらしい”っていう、ただそれだけの曖昧な情報で、私たちはここに来た。だから私たちの今回の御仕事は、地域の見聞調査」
フィールドワークというわけだ、と市子は言った。
「フィールドワーク。まずはゐつさんが張った術式を確認して、それからその12年前の神隠しについて聞き取り調査。――まあ全くアテがないわけじゃないからね。ある程度の目星というか、目標みたいなものはある」
だからそれをひとつひとつ見ていこう、と言い、市子は足を止めた。
「――っと、まずはひとつ。見ておこうか」
そう言って市子が立ち止まったのは、ひとつの小さな祠の前だった。参る者などまずなく、近所の老人が時たま花や饅頭を供える程度であろう、ささやかな祠である。その内に鎮座しているのは多くの場合、道祖神も兼ねる地蔵であるのだが、そこに据えられたそれは地蔵ではなく、切り出しの荒い一抱えもある岩だった。表は平たく加工され、どうやら何かの文字が彫り付けてあるようであったが、それも荒い上に古めかしく、さらには年季が入っているためにほとんどが掠れ、とても読めるものではない状態だ。
普段であれば、その前で立ち止まる者も稀な祠である。みすぼらしいと言ってもいい。
「これは……」
市子の横から覗き込んだ白犬がうなった。うん、と市子は頷く。
「これが例の、50年前にゐつさんが置いた術式のひとつ、なんだけれど」
「……壊れて、御座るな」
白犬の言葉に、うん、とまた市子は頷いた。
「これはまた、綺麗に壊れてるねえ……いや、壊れてるというよりも、解かれてるというか」
「それも、最近のことでは御座らぬな。ゐつ殿の言っていたのはこのことに御座るか?」
「いやー……でも、そういうわけでもないというか」
は? と白犬が市子を見上げる。だが市子もまた微妙な表情をしている。
「それは……それはつまり、どういうことに御座るか?」
「どういうというか……うーん、いろいろと複雑でね。まあ全体のことについてはおいおい説明していくこととして、今これについてだけを話すと――ゐつさんがここの術式がおかしいことに気付いたのは、どうやらつい最近のことらしい」
「つい最近……しかし見たところ、やはりこれはそんな最近のことでは」
「そうなんだけれどね。でもどちらも事実なんだよ。それだけじゃなく、12年前」
市子は言った。
12年前。それは先に話した、神隠しの発生したという時期。
「少なくともその12年前の時点でも、この術式は壊れていなかった」
「それは……それは、不可解で御座るな」
白犬は、考え深げにうなった。
「壊れていなかったのなら、神隠しなど起こるはずが……不備があったわけでもないので御座ろう?」
「そうだね」
「それならば、なぜ……」
「まあ、それの調査もこの件のひとつだね」
言って、市子は祠の詳細な検分を始めた。白犬も一緒になって祠の内部を嗅ぎまわる。
「ふむ……誰がどのようにして、というようなことはわからないで御座るな。術式に個性が見られない」
「そうだね。故意的に消されている感があるな……まあ、疚しいことをしているのなら、それもそうなんだろうけど」
でも、妙なことは妙だ、と市子は言い、白犬も頷く。
「やはり、ゐつ殿の目を誤魔化し得たということが解せんので御座るよ。それほどの技術を持つ人物など、そうは御座らん」
「そうだねえ。守護連でも、少なくとも特務以上……かな」
特務でもひとりじゃ無理だろうけれど、と言いながら、市子は立ち上がった。
軽く手を払って、さらに先の方へ顔を向ける。
「うん、じゃあ、ここはこんなものかな……次のところへ行こうか」




