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市子さんは流浪する  作者: FRIDAY
幕間:今はひとりで
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05.見送り

 

 

 今日は昨日のような得体の知れない気配はどこにもなかった。

 初めから、人気のない屋敷だ。

 今度はサツキは物怖じせずに門を潜り抜ける。多分こちらにいるだろうという当て推量で昨日と同じく庭の方に回る。

 少女はやはりそこにいた。

 昨日とまるで変わらない佇まいで、縁側に座っている。

 ほ、と安堵の吐息をつきながらサツキが歩み寄っていくと、少女はすぐにこちらに顔を向けた。


「よかった――いてくれたね」


 声をかけるも、少女は応じない。

 じっと、サツキの抱えている風呂敷包みを見つめている。

 少女の視線を察して、サツキはそれを軽く持ち上げて見せた。


「御免ね、これ、持って行ってもらおうと思って――」


 言いながら、それを少女の隣に置き、浅く広げて見せる。


「日持ちのする食べ物と、雨具と、それに裁縫道具……」


 必要最小限を心掛け、限界まで削ったつもりだ。予定よりは多くなってしまったが、少女が持ち歩くに不便はない、と思う。


「いらないとか、邪魔だとか思ったら捨てちゃっていいからね」


 そう言って手渡す。この少女の性格からして、あっさり全部捨てられたらどうしようかとも思ったが、縛りなおしたそれを少女は受け取ってくれた。

 そのことにもまた、サツキは安堵の息をもらす。


「それから……これ」


 サツキが袖から取り出したのは、割りに年季の入ったがま口だ。持ち動かすとしゃらんと鳴るそれには、


「少ないけど……何とか、足しになれば」


 路銀、のつもりだ。少ないとは言ったものの、実のところそれは、結構な重さがあった。

 何せ、サツキの全財産である。

 コトヨに仕えて仕事をしながら、少しずつ貯めていたお金だ。大半が硬貨であるため、総計はそこまでにもならないかもしれないが、ないよりはましであろう、と。


「……それは」


 サツキにとってそれがどれほどのものなのか、少女にわかっているわけではないのだろうが、さすがに少女もそこでは遠慮を見せた。そこを無理に、サツキは少女の手を取ってそれを握らせる。

 少女の両手に載せ、自分の手で包むようにして、少女にそれを握らせる。


「持って行って。少ないし、これから絶対に必要になるから。私にできることも――他にもう、ないもの」


 噛んで含めるように言う。

 サツキは傍人だ。それも、亡くなったシズネの傍人ではなく、コトヨの傍人である。当然のこと、少女とともに旅に出ることなどできない。本当のところは、こうして少女に旅の手回り品などを用意することや、そもそもこうして会いに来ること自体が、あまり許されたことではないのだ。

 それは、サツキが誰の傍人か、という問題もあるが、それよりも。

 少女が“忌み子”と呼ばれているからこそ。


「私にはこれくらいしかでしないから……私にできることを、させて」


 少女の包帯に覆われて全く窺い知れない双眸をまっすぐに見据えて言う。

 少女は、小さくではあるが、確かに頷いた。

 そっと、自らの意志でそれを握り込む。

 それに安堵して、サツキも少女の手から自分の手を離した。


「……もう、行くんだよね」


 一晩待ってもらって、ここまで旅の準備をして、それでもサツキは少女に問わずにいられなかった。

 齢も十がやっとの少女。

 そんな年頃で当てもない一人旅など――普通ならば、考えられるものではない。

 例え帰ることが許されていたとしても、容易に帰られるものではない。どこぞの路傍で野垂れ死ぬが末路か。

 それが果たしてわかっているのか、いや、わかっていないわけもないだろう、少女はあっさりと頷いた。

 未練も。

 ためらいも。

 不安も一切垣間見せることなく。

 当然のことのように、頷いた。

 それがサツキには、無性に哀しく映った。


「気を付けてね。手紙――とかは、無理だろうけれど、でも、何か……」


 言葉を探す。けれども、何も思いつかない。

 連絡手段など皆無。山を降りてしまったが最後、音信不通は必至だ。

 当てがない旅というのはやはり――いや、当ては、あるのか。

 それを果たして当てと呼んでもいいものなのかわからないながら、サツキは懐からそれを引き抜いた。


「そうだ、これ……」


 それを少女に手渡す。

 紙片だ。

 そこには拙い字で誰かの名前と、恐らくは電話番号であろう数字の羅列があり、


「多分、コトヨ様からだと思う……どうしてなのかは、わからないけれど」


 わからないながらも、コトヨによるものであることはほぼほぼ確かであろうと思う。

 コトヨはシズネなどとは違い、完全な盲目ではない。とはいえ極度の弱視であることは間違いなく、わかるのは明暗程度がせいぜいのものだが、それでも字は書ける。

 紙片に並ぶ筆跡は、サツキも見慣れたコトヨのものだ。

 ただ、内容はわからない。コトヨとシズネとは、生前は深い仲だった――親友とも呼べる仲だった。それで、コトヨがシズネの屋敷を訪れる際に同伴していたため、自然とサツキが少女と会う機会も多かったのだ。

 けれどもコトヨは、やはり他のイタコらと同じく、少女のことを忌避していたはずだった。シズネの屋敷を訪れた際も、一度としてコトヨは少女に近寄ろうとしていなかった。

 だから、コトヨがこのような、少女を気遣うようなことをするとは思えないが……朝気が付いたら、サツキがまとめていた少女の荷物の脇に、この紙片が落ちていたのである。サツキには全く心当たりのない名前だが、


「ゐつ……って人の連絡先、みたいなんだけど。読むね」


 番号を読み上げる。文明とはやや隔絶された山中だ。サツキにはそれが電話番号なのだという認識しか持てないが、しかし少女は他にもいくつか得心いったようで、ああ、とこの少女には珍しく吐息を漏らした。

 これも素直に受け取った少女は、紙片と財布を懐に仕舞い、サツキによる荷物を片手に提げて、立ち上がった。

 そのまま、すたすたと表の方へと歩いていく。

 サツキの渡した荷物意外に、何ひとつ持っていない――もしもサツキが引き留めなければ、それを渡さなければ、少女は本当に本当の意味での身一つで旅立っていたのだろう。

 もはやかける言葉もなく、サツキは少女の後に続く。

 前を歩く少女の背は、酷く小さい。

 これからひとりで外界へ出ようとするには、あまりにも頼りない背中だった。

 それでも。

 それでも少女は、旅立っていかなければならない。

 門を一歩出たところで、ふと少女は立ち止まった。それからくるりと振り返り、屋敷を見上げる。

 名残を惜しんでいる――というわけではないのだろう。それよりは、何かを確認している、といった風情だ。

 数秒の間そうしてから、少女はひとつ頷いて、また踵を返そうとして、


 サツキは少女を抱きしめた。


 少女は身の丈も小さいから、サツキは膝立ちになって、正面から少女を掻き抱いた。

 少女の身体は、後ろから見ていたよりも、ずっと小さく、薄く、軽く、柔らかく。

 そして、儚げだった。


「――諦めたら、駄目だからね」


 気付けばサツキは、少女にそんなことを言っていた。

 少女の耳元に口を寄せ、囁くように言う。


「生きることを諦めたら、駄目だからね。

 あなたが死んじゃったら、私は嫌だよ。

 どうでもいいとか思わないで。

 生きることを捨てないで」


 少女は応じなかった。

 抵抗もしなかった。


「他の皆は駄目って言うんだろうけれど、私はいいって言うから。――いつかでいい。どれだけ時間が経ってもいい。……いつか、いつの日か、もう一度、会いに来て」


 待ってるから。

 私はずっと、待ってるから。

 元気な姿を、見せに来て。


 少女は――小さく、頷いた。

 サツキは少女の耳元から顔を離し、見る。

 少女の顔は、いつものように無表情だ。


「今はまだ、あなたはひとりかもしれない。でも……いつかきっと、誰かがあなたと一緒にいてくれるようになる」


 サツキは言う。


「その誰かがどんな人たちなのかはわからない。でも、あなたを信じて、あなたが信じる誰か。――そんな誰かに、会える。きっと……ううん、絶対に」


 サツキに、予知能力の類など一切ない。だが、気休めを言っているつもりもない。

 ただ、そう願う。

 そう信じる。


「いつかきっと、必ずまた会おう」


 ね?

 少女は。

 頷いた。そして、



「有り難う」



 少女は確かに、そう言った。

 サツキが、少女の背に回していた手を下ろす。少女は一歩、後退し、踵を返した。

 踏み出す。

 山を降りる。

 降りていく。

 少女は振り返らない。一歩一歩、確かな足取りで、目的地もなく、しかし迷いなく歩き進んで行く。

 見送る者はただひとり。けれども――その、たったひとりの視線が、言葉が、その存在が。

 どれほど少女の支えになったことか。

 このときにはまだ、少女も、サツキ自身も、それを知らない。

 ただ、少女は行き。

 サツキは見送っていた。

 その小さな背が遠ざかり、やがて見えなくなっても。

 サツキはなおもずっと、見送り続けていた。

 

 


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