33.問い
陽が昇りゆくにつれて、元いた場所と同じように胡坐をかいて座った“だいだら”の姿は輪郭を薄れさせ、見えなくなっていった。
その様を為すすべなく、守護役の面々は眺めていた。
死傷者こそいなかったものの、守護役の被害は小さいとは言えなかった。むしろ甚大だったとも言える。
木々の開けた広場のようなところに、守護役の面々は臨時に陣を置いていた。そしてそこに、次々と動けない隊員が運び込まれてくる。
怪我人ではない。最後の術式“彼岸花”へ魔力を供給したことによって魔力を根こそぎ吸い上げられ、ダウンした者たちだ。――恐らく完全復帰までには早くとも数か月を要することだろう。その彼らを運ぶ隊員たちも、“彼岸花”を行使した際に失神こそしなかったとはいえ、どの顔にも憔悴の色が濃い。
敗戦だ。
誰もが、それを痛感していた。
勿論、任務を失敗したということは、これから大きな災厄が訪れる、ということだ。だから早急にその対策を打たねばならない。防ぐことはできずとも、被害を最小限に抑える手を――だが、誰にも次へ向けて動くことはできなかった。
動き出す体力も、気力も。
誰にも残ってはいなかった。
陣内を見回り、指示を飛ばしながら歩く高坂も、例外ではなかった。それでも高坂は特務だ。“彼岸花”までも防がれたことで、大規模術式を先導し続けた高坂の魔力も枯渇寸前であり、体力も限界が見えていた。それでも高坂は特務なのだ。隊員の前で高坂までもが憔悴していることはできない。
それでも、苦しい表情は消せなかった。
……苦い。
運び込まれてくる隊員を寝かせる場所を指示して歩きながらも、高坂は内心にそうもらす。
特務が三名も配属されながら任務を達成できなかった。それだけでなく、起こさなければいけない次なる行動へも向かえない――勿論、総長へは既に報告は上げている。総長からは、後手には他の隊員を派遣するから、高坂たちは休むように、という返答があったけれども――
無念の苦味は拭えない。
一通り流れに落ち着きが見えてきたところで、高坂は視線を隊員たちからやや離れたところへ視線を移した。
そこにいるのは、もう二人の特務。
地面に座る向枝と、向枝に寄りかかって消沈している白城だ。
高坂がこの陣地に連れ帰ってからというもの、白城は依然としてただの長物と化してしまっている“夕霧”を深く抱え込んだまま、ずっとそうしている。高坂も向枝も、そんな白城に書ける言葉はなく、高坂は高坂で事後処理があるために、そのままにしていた。
高坂にも、向枝にも、経験はあることだったからだ。
完敗であり。
惨敗だ。
容易に受け入れられるものではない。
それでも、それだけれども――かといって、いつまでもそうしているわけにも、いかないのだ。
だから、高坂は白城の前に立つ。
気付いてこちらを見上げる向枝に頷きを見せつつ、高坂はその場にしゃがみこんだ。
顔の高さを合わせる。
白城の表情は、俯いているために前髪の陰となってどんなものかは知れない。ただ、唇を深く噛んでいるのは察せられる。
かけるべき言葉は激励か、慰めか。
そのどちらでもないようにも思う。
だがわからなくても、白城は顔を上げなくてはならず。
だから、何かを言おうと、高坂は口を開き、
周囲のざわめきを受けて、高坂は振り返った。
ざわめきと、緊張。
そして、気配だ。
強烈な気配。
問答無用に圧してくるような、暴力的な気配ではない。
むしろ、逆だ。
あまりにも自然で、溶け込んでいて。
それが故に、不自然。
まるで人でないものが人の形をとっているかのような――
「やー、こんにちは」
片手を上げながら、暢気な声音でその気配は言う。
「……何の、用だ」
取り乱しはしない。それでも、全身が緊張状態を取ってしまうこともどうしようもない。
隊員たちが遠巻きに見る中、高坂の視線の先に、いた。
市子がいた。
背後に長身の美女を連れて、すたすたと全く無警戒にこちらへ歩み寄ってくる。
さすがに“彼岸花”が堪えたのであろう、白犬はぐったりとした様子で狐に背負われていて、ぬいぐるみは市子が抱えている。
「用っていうか、まあ用なのかな。ふたつくらい」
いっそ朗らかに言いながら、市子は高坂たちの眼前、数メートルの位置まで来て、立ち止まった。
「こっちはまだやることがあるんだ。手短に願いたい」
実のところはあまりなく、来る災厄への対応は別働隊が当たることになったため、高坂らのすべきことはもはや隊員らの回収と撤収だけなのだが、それでも高坂はそう言った。
高坂は経歴が長い。だから市子との折り合い方も心得ている。
だが他の隊員たちはそうはいかない。
多くの者が、何もできないながらも、市子へ向けて放っている。
敵意。
殺意すら。
その濃密な空間の中心で平然と、飄々としている市子の方がいっそそら恐ろしかった。
「わかったよ。まあ私の方も、ゴザル君の介抱しなきゃだし、その方がお互いにいいよね。――んじゃあ、まずひとつ目」
ぴ、と人差し指を立てて、市子は言う。
「ついさっき御澄さんにも連絡したところだけど――今回の“だいだら”の移動で、災厄が起こることはないってことを、伝えておかなきゃいけないよね」
は? と高坂は眉根を寄せる。市子の口から出た古都圏総長の名と、その内容。
災厄は、起こらない?
「どういうこと? それは――」
同じく理解できなかったらしい向枝が訊くと、市子は唇に指を添えて、んー、と、
「私は説明が下手だからねえ……こういうときゴザル君が説明してくれると楽なんだけど、今ゴザル君はダウンしちゃってるし……だから私から頑張って説明するけど」
あのね、と市子は言う。
「今回の要は、土地神である“だいだら”がその土地からいなくなることによって、土地神を失った土地で災厄が起こりかねなかったこと。だからあなたたちは“だいだら”の移動を阻止してあの地に留まらせて、災厄を防ごうとしたわけだよね。しかも、土地神級の“だいだら”が移動なんかしてみれば、行き着いた先の土地でも不要な波乱を招きかねない。だから守護役としては是が非でもそれを防がなければならなかった」
市子の言うそれは、その通りのものだ。だから高坂も向枝も口を挟むことはしない。
で、と市子は続ける。
「それは私もわかっていたことで、でも別に誰とも知らない人たちに迷惑をかけるのも忍びなかったんだよ。だから先にいろいろと手を回しててね」
くるくると、立てた指を回して市子は軽やかに説明する。
「まず、こっち側の土地神様。それがどこの誰なのかは、ちょっと教えてはあげられないんだけれど――干渉防止のために、特務以上か特務より上の人たちしか開示されない情報だからね――には、この何カ月かの内に話をつけてあるんだ。だから神様級のもの同士の存在の衝突は、とりあえずは起こらない」
高坂は、知らず唇を浅く噛んでいた。
各地方の土地神の所在。
それは確かに、守護連の中でも上層しか知らない情報だ。高坂にも、申請しさえすればもしかすると開示されていたかもしれないが……
だが、知っていたところで、いくら特務の高坂でも何をすることもできなかっただろう。
土地神に、話をつけている。市子はそう言った。
それが、どういうことなのか。
「……土地神と交感したってこと? でもそれだけのレベルで意志疎通を取るなんて……」
向枝が思わずといった調子でつぶやくように言う。高坂にも、向枝の言いたいことはわかる。
歴史の話だ。それも、表には語られない歴史の話。
守護連の歴史だ。
守護連という組織は、呼称はどうであれ、古くは古代王朝にも遡り――その時代であれば、土地神のような“神”と交信することのできる者もいたと伝えられる。
それらと意志疎通を図ることで、古代王朝は極東の島国での版図を得てきたと。
だが、それだけの力量を持つ魔術師は、現代に至っては存在しない。
はずだ。
聞いたことこそないが、古都圏の総長である御澄にも、それはさすがに無理だというものだろう。
そんなことができるのは、魔術師ではない。
魔法使いだ。
魔術の源流である“魔法”という力を、力そのものを行使する人々。
伝説にのみ語られる者にしか為し得ないようなことを――
しかしこの少女は、為したというのか。
何でもないことであるかのように、あっさりと。
果たして。
「まあ、そうだね」
至極簡単に、市子は頷いて返した。
「それと、まあそれよりも問題な土地神不在の地なんだけれど」
これも、市子は何てことのないような調子で言う。
「さすがに、土地神の交代がどうなるかっていうのは、私にもわからない――けれど空白のままにしておくわけにもいかない。それこそ、どんな災厄が起こるのかわかったものじゃないからね。だから、代役を立ててきた」
「……代役?」
「そうだよ」
市子は頷く。
代役とはどういう意味か。土地神の、代役? 疑問が顔に出ているのだろう、さすがに市子も気が付いたようで、
「次の土地神が現れるまでの間の継ぎ役、って言った方がいいのかな。具体的にどうやって何を代役としたのかは、これも言えないんだけど……まあ、しばらくは大丈夫だよ。さすがに百年はもたないと思うけど、向こう何十年かは大丈夫。私も全国ふらふらしてるわけだし、近くに寄ったら様子を見るつもりだよ。それで駄目になりそうだったら交換する、と」
「……そんなことが」
そんなことが、可能なのか、と問おうとして、しかし高坂は口をつぐんだ。
できるのだろう、この少女なら。
あまつさえ、土地神と意志疎通を済ませたと言い――実際に、高坂らは市子に、数々の一級の術式を防がれている。
だから高坂は、そして向枝も、沈黙して視線を落とすしかなかった。が、
「――できるの?」
声をもらす者がいた。
それは酷く小さく、弱々しい声だった。けれども市子は気付いたようで、うん? と声の主に顔を向ける。
「そんなことが……できるの? 本当に?」
白城は、俯いた姿勢のまま、唇だけを動かして、言う。
対して市子は、
「できるよ」
簡潔にそう答えた。すると白城は間髪おかず、
「それなら」
続けた。
「私たちは、何のために戦っていたの?」
その問いに、高坂も向枝も肩を小さく震わせた。
その問いは、白城自身が意図したものではなかったのであろうが……市子だけではなく、高坂や向枝にも問うているものだったからだ。
白城は、高坂は、向枝は。
守護役は――今回、一体何のために戦っていたのか。
守護役の役目は、人々を怪異から守ることだ。
だが、今回のことはどうだ。
市子の取っていた対策、土地神との交渉と代理の立役。それは、今さっきこの場で執り行うようなものではない。何日も前から、周到に準備した上でこの場に至っている。市子自身もそう言っている。
それならば。
守護役は、一体何を守ろうとしていたのだ?
自分たちが守ろうとしていたものは、何も言わずとも既に守られていた。
それも、敵と認識し、争った相手によって。
これではまるで、
……徒労、か。
それは高坂にとって、向枝にとっても、初めての経験ではない。
今までにも何度となくあったことだ。
だがそれをわかっていても。
高坂たちは戦わなければならない。
身を削り、心を削り、しかして及ばず。
それなのに、その全ては無意味だったと知らされる。
これほどの理不尽があるものか。
「何のために、かあ……」
市子は、どこか感慨深げな様子で吐息した。そして、
「それは、あなたたちのために、じゃないかな」
そう答えた。
それを聞いて、白城がくっと顎を上げた。身体はぐったりとしたままだったが、それでも視線に力を込めて、市子を正面から見据える。
「それじゃあ」
白城は、静かな激情を秘めた声音で、問う。
「あなたは何のために戦っているの?」
市子は。
市子はすぐには答えなかった。
ん、と口を閉じ、数秒か、数十秒か。それだけの時間を置いて、市子は。
「……何のため、なんだろうね」
結局のところ、そう答えた。
その双眸は包帯に覆われているために窺い知れないが、今まで一度も考えたことがなかった、といった風の声音だった。
「そうだね……何のためかな。何のために戦っているんだろう。私は」
いや、違うかな、と市子は独り言のようにつぶやき、首を振った。
「戦ってるんじゃない、かな。私は……でもそれなら、私は何をしているんだろう」
誰かに向けられた問いではない。強いて言うなら市子自身に向けられたものだろう。誰にも何も答えられない。
わずかに俯いて考え込んでいたが、しかし市子はすぐにさっぱりと顔を上げた。
「――申し訳ないけど、今はまだわからないよ。だからあなたの問いには答えられない」
御免ね、と言われ、白城は思わず頷いてしまった。
毒気を抜かれた、というのか。
あれだけの力を持って、これだけのことをして。何か確固とした信念があってのことだと思っていた。強固な信念に基づいて、自分たちは対峙していたのだと思っていた。
そんなことは、なかった。
そうなればなったで、今度は逆に腹の立ちそうなものだ。
なのに不思議と、白城の心中にそういった感情は湧いてこなかった。
どうしてなのかはっわからない。が、多分。
答えられない、と答えた市子自身が、それしか言えない自分自身に苦悩しているようにも見えたからだったのかもしれない。
それから市子は、何気ない様子で一歩踏み出してきた。一歩、さらにもう一歩。こちらへ。
高坂と向枝は思わず身構え、白城は虚を突かれて身をすくめてしまったが、そのどれにも構うことなく、市子は白城の前まで来ると、すっとしゃがみこんだ。
「――それから、用事のもうひとつ」
ついっと手を伸ばして、白城の抱えている大太刀、“夕霧”を手に取った。白城は引かれるままに“夕霧”を渡してしまう。
「……何を」
「いや、ほら、“夕霧”まだ封印しっぱなしでしょ? もう戦いは終わったんだから、解いておかないとさ」
言いながら、市子はすらりとそれを半分ほどまで引き抜いた。白城ですらそれなりの重さを感じているのに、市子は全く重さを感じさせない仕草でそれを持つ。
うん、と頷いて、市子は一度、さらっと“夕霧”の刀身を撫でた。
それだけで、あっさりと刃を鞘に戻し、白城へ返してしまう。
「これで大丈夫。それはもうちゃんと“夕霧”だよ。草薙レプリカ“夕霧”だ。もうちゃんと何でも斬れる――御免ね」
それは、果たして何に対する謝辞だったのか――
市子は未練なく立ち上がった。
何も言えない高坂や向枝を置いて、市子は踵を返し、そのまま歩いて離れていく。白犬を背負った狐も、こちらに目礼を残して後に続く。
遠巻きに囲んでいた隊員たちが、さっと道を空けていく中を、市子は淡々と歩いていく。
その華奢な背中に、白城は何か言わなければ、という気持ちにとられた。
このままでは……何かが、納得がいかない。
何か、言いたい。
何か。
そういう気持ちに押されて、白城が口を開いた時、
「――さっきの問い」
振り返りもせず、立ち止まりもしないまま、市子が唐突に言った。
さほど大きな声でもないのに、彼女の声は不思議とよく響いた。
「え?」
「私が何のために戦っているのかって言う問い――覚えておくよ」
言って、市子はふと足を止め、肩越しに振り返った。
「覚えておく。考えておくよ。それでもしわかったら――必ずあなたにも教えるよ」
またね。
そう言って、市子は静かに朝焼けの中を去って行った。




