31.交戦④
高坂は上空にいた。
雲を突き抜けてそびえる“だいだら”のさらに上空だ。
当然、空気はほぼないに等しく、気温も余裕で零下である。
しかしながら高坂は、それらを全く意に介することなく立っている。
術式だ。
これだけ上空に達し、なおかつ市子らに悟られないようにできるのは、この場では高坂をおいて他にいない。
遥か眼下の市子と、狐と干戈を交える白城を見る。
片手に持つのは短剣だ。
柄や鍔だけでなく、刀身に至るまで細かな装飾が入れられている。
魔装である。
高坂はそれを逆手に構え、切っ先は市子を見下ろす。
【――高坂】
通信機から、向枝の声が入る。それに対して高坂は、
「まだだ。あと、もう少し」
全身を緊張に固め、顎からは汗が滴る。落ちた汗は外気にさらされて氷結し、豪風に巻かれて彼方へ消える。
【こちらはいつでも大丈夫。――時間がないわよ、高坂】
「ああ――わかっている」
噛み締めた奥から唸るように返答し、高坂はさらに狙いを絞る。
チャンスは一度きり。
その上、高坂たちにはもう後もない。
あと数歩。たったそれだけで、“だいだら”は目的地へ到達してしまうのだ。
数歩と言っても、“だいだら”の歩幅だ。一歩でも相当な距離を前進する。遠望すると酷く緩慢にも見えるが、実際の速度は莫大なものだ。現実に、実体がそれだけの速度で動けば大気が容易に破裂し大災害へ繋がるだろう。まして自身がその風圧に耐えられまい。
残存魔力の問題もある。高坂ら特務はまだしも、一般隊員らは既に数度の大規模術式を展開している。限界は近い。だから次の一撃が最後となる。
その一撃で、決めなければならない。
狙うのは勿論“だいだら”だ。だが、“だいだら”を止める、あるいは消滅するには市子を何とかしなければならない。
だから市子を狙う。
直撃すれば生身の人間など灰も残らない一撃だ。だが市子なら上手く回避するだろう。
市子を消滅させる必要はないのだ。過去に幾たび任務を妨害された相手であっても、殺したいほど憎いわけではない。
“だいだら”さえ何とかできればいいのだ。
だから市子がこの攻撃を、回避するなり、受け流すなりしてくれれば、それは“だいだら”へ向かい、“だいだら”は消滅する。
そうすると、市子の護衛はどうするか。
狐と白犬は。
だから白城だ。
物理攻撃は総じて防がれる狐は白城が抑える。
そして魔術攻撃はことごとく無効化する白犬は、向枝をはじめとする遠距離部隊で縫い止める。
それで市子本人はがら空きとなる。ぬいぐるみは知らん。
まして、高々度に達する“だいだら”の肩上にいる市子らだ。まさかそのさらに上空から襲撃されるとは思うまい。
だが急がなければ――時間がない。
“だいだら”の歩数もさることながら、遠距離部隊の残存魔力や、白城の体力が限界だ。
狙いを定める。
死角にいる。そう思っても、慎重にならざるを得ない。
なにせ、相手はあの市子だ。
これまで過去に散々苦渋を舐めさせられてきた記憶が蘇る。
死角からの急襲とはいえ、銃線を合わせるだけで勘付かれるのではないかという思いが拭えない。
息を吸う。腹の底に据える。
合わせる。
【――高坂!】
「行くぞ」
やや焦りを帯び始めた向枝の声に、高坂は低い声で応じた。
第17番“彼岸花”。
全部隊の魔力を結集し、天空より撃ち堕とす神殺しの槍――!
「――白城! 離脱しろ!!」
通信機に怒鳴り、高坂は術式を発動する。
一気呵成に膨大な魔力が流れ、天脈がうねる。己の構える魔装のその一点にその全てが流れ込み、一瞬でも気を抜けばあっけなく暴発してしまいそうになる。
それを力ずくで抑え込み、射線を合わせ、
放つ。
全隊員の魔力が、天脈を迸り、高坂の身体を通過して解き放たれる。
ほんのわずかでも霊視の才があるものならば、眼下の奥まで灼けてしまいかねない高濃度の魔力が、大瀑布の如く雪崩れ落ちる。
神をも呑み込み、消滅させてしまおうという強大な術式だ。正面から呑まれれば、生身の人間であっても消し飛ばされてしまうだろう。
それだけの魔力の奔流は、白犬が張っていた結界をあっさりと打ち破った。反動を受け、白犬がその場に崩れ落ちる。
だが、そのことに市子が気付くまでには時間が足りなかった。
一瞬で、瀑布が市子の直上に迫る。
このままいけば、市子は“彼岸花”に呑まれ、消滅するかもしれない。
だがそれでも、高坂は魔力の手綱を緩めない。
確かに、市子を殺すつもりはない――けれども。
極論。
少女の命がひとつ失われることになろうとも。
市街地に平和に生きる数百万の人々を守ることの方が、重要なのだ。
だから、高坂は見ていた。
神殺しの光が、まっすぐに少女へと迫り、“だいだら”ごと喰らい尽そうとしていく様を。
そして、いよいよそれが彼女を呑み込もうという瞬間。
市子がすっとこちらを、そして“彼岸花”を見えない目で見上げ、
ふ、と笑みを見せたことを。




