26.兆し
「――残念ですねえ」
高坂らの陣営からは遠く離れ、しかし樹海の中で“姫百合”の中の“だいだら”はよく見える位置に闇から染み出るように現れた日比谷は、しかしあまり残念さを感じさせない声音でそうつぶやいた。
「本当に、またとない機会だったのですけどねえ……時間も刻一刻と一刻を争う現状で、白城・誠と“恐山の忌み子”の双方を観察できるというのは」
時間がない時間がない、と面白がるような口調で、日比谷は独白する。
「片やキーパーソンとなるであろう、神をも殺せかねない娘、片やジョーカーとなるであろう“鬼子”」
全く全く、と唄うように言う。
「あの“鬼子”は極め付けですよねえ。ジョーカーにもほどがある。認識を改めなければ――まあ、あの“鬼子”の対策も、性急に立てるとして」
懐から、すっと取り出したスマートフォンで、慣れた手つきでどこかへ電話をかけ始めた。
ワンコールで出た相手に、日比谷は名乗りもせず、
「ああ、雀さんですか。計画に若干の修正を加えます。“鬼子”の危険度を最大値まで上げてください――ええ、勿論あの“魔女”も懸案事項ですが、彼女が表舞台からも舞台裏からも姿を消している現状、最大の危険因子はあの“鬼子”のようです」
向こうの応答に、日比谷は二、三の頷きを返す。
「ああ、いえ、申し訳ありません。“神殺し”には会うことはできませんでした。今のうちに“芽”を植えておきたかったのですがねえ、残念ながら、高坂氏に防がれてしまいました。――そうそう、高坂氏も警戒しておいてもらえますか。御仕事を増やしてしまって申し訳ありませんが、どうにも彼は鋭い。今はまだ直感レベルのようですが、いずれ核心にまで達するやもしれません」
次いで、電話の向こうの人物にいくつか具体的な指示を出す。
「――ええ、ではそのような感じで。水鏡さんにもそのように。ええ。私はもう少し“鬼子”を観察して帰ります。援護はすげなく断られてしまったので至近からの観察は叶いませんでしたが、射程範囲外から見させてもらいますよ。どうやらまだ前戦にはでるらしい“神殺し”もまとめて。ええ」
通話を切る間際、日比谷はきゅっと目を細めて笑った。
「くれぐれも、隠密にお願いしますよ――関西圏は勿論、どこの守護役にも気づかれないようにね。では」
ぴ、と通話を閉じ、スマートフォンを懐にしまった。ふふ、と笑い、遠方にそびえる“だいだら”を見る。
その肩上にいる、少女を見る。
「さてさて、そろそろですかねえ……滅多に見られない“姫百合”が破られるという滅多に見られない絵は。楽しみですねえ? ――ジョーカーにしてトリックスター、“鬼子”の一端、見せてもらいますよ」




