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市子さんは流浪する  作者: FRIDAY
壱:袖振り合うも
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10.犬神

 

 

 部屋に入ると、あ、と新堂が小さく声を漏らした。一瞥しただけで美月も気付く。


「あ、ちょっと勝手に模様替えしちゃったけど、今は大目に見てね。終わったらちゃんと戻すからさ」


 あはは、と笑う市子は、狐さんとは多少異なり巫女装束ではなく全身白の浄衣姿だった。こちらもこちらで着慣れているというか、様になっていた。


「えっと……あなた、神社関係の何かなの?」


 面食らった新堂が思わず問うと、市子はこれにも笑いながら首を振った。


「ぜーんぜん。衣装はまあ、本物だけど。私はイタコのなりそこないだよ」

「でも……え、本物って」

「貰い物。他の御仕事で使うし……今はほら、雰囲気作りだよ」


 ほら、と市子は部屋の中を両手で示す。


 部屋は、中央に空間を取って他の家具が壁際などに寄せられていた。ついでに言うと、部屋中に置いてあった霊能グッズは全て外され、これも壁際に雑に積まれている。


「あのお札とナイフは完全に壊しておいたから、もう何の効能もないよ。そこは大丈夫」


 大丈夫って。それはむしろ駄目なのではないか……? そう思う新堂と美月だったが、市子は全く取り合わない。


「それじゃあ、まあちゃっちゃと始めようか」

「ちょ、ちょっと待って……えと、何を、するの?」


 恐る恐る、新堂が問う。対して市子は、ん? とこちらへ顔を向けて、


「何って、儀式だよ」

「ぎ……儀式?」

「そ。儀式」


 そのための模様替えとドレスコードだよ、と市子は言う。


「ぶっちゃけ言うと、別に私にとってはこういうセッティングは一切不要なんだけど。どっちかっていうとこれは加奈子さんのためだねえ」

「わ、私の?」


 うん、と市子は頷く。


「私がすることは私にとっては凄く簡単なことなんだ。ぴ、って摘まんで、てい、って引っ剥がすだけでそれでいい。だから極端な話、スリか何かみたいにすれ違いざまにすぽん、って抜き取るだけでよかったくらいで、別にこうやってわざわざ加奈子さんの家にまでお邪魔して、大仰に儀式なんてする必要はなかったんだけど」


 可愛らしいアクションを交えつつ説明する市子。


「今回の件は場合が場合。良くも悪くも加奈子さんに自覚があり過ぎたんだね」

「じ……自覚?」


 新堂が戸惑ったように疑問する。


「わ、私、別に自分がイヌガミのナントカってのだなんて、全然自覚してなかったよ?」

「そう。だから良くも悪くも、だよ。肝要なのは、加奈子さんが犬神筋であるという自覚を持っていることではなく、自分が霊的な何かしらに悩まされている、という自覚なんだ。あるいは思い込み、だね。私がスリ的に抜き取るだけで十全にことが済むとすれば、それはまず初期段階、体調も自覚できるほど悪くもならず、まあ、せいぜいちょっと風邪かな、体調不良かな、くらいな段階だったとき。それから、原因はわからない、けれど多分何かの病気だろう、ってことで、医学的科学的治療を受けてはいる、という段階。でもそうはならないところまで進んでしまったら、こうやって手順を踏まなきゃいけなくなる。今回の加奈子さんの場合みたいにね」

「私、の、場合……?」

「オカルトに手を出してしまった場合、と言うか、ね」


やれやれ、と市子は肩をすくめた。

 

「頼る先が本物にしろ偽物にしろ、この場合、加奈子さんが“認識してしまった”ところに問題がある。加奈子さんの“認識が変わった”ところに問題がある。加奈子さんの血が本物であろうがなかろうが、ね。だから加奈子さんの血が本物でなかったなら、似非専門家に頼ることも間違いじゃあないんだけれども、加奈子さんの血は本物だったから、頼るべきは本物の専門家だった。そこを間違えてしまったから、状況はあらゆる意味でよくない方向へ流れていった、というわけだ」

 

 

  ●

 

 

 まあまあ座って座って、と市子は敷かれた二枚の座布団を勧めた。当然のことながら新堂の部屋にもともとあった座布団だ。白犬と狐さんは既に市子の両脇に座っている。ぬいぐるみは正面に正座する市子の膝の上だ。

 二人がそれぞれ正座するのを待って、再び市子は話し始めた。


「さて。犬神筋っていうのが何なのか、っていう説明は、どうやらゴザル君がもうしてくれているみたいだから割愛するよ。で、どうして儀式をするか、ってところなんだけど」


 市子は軽く肩をすくめた。


「まあ、大した理由はないんだよ。加奈子さんの自覚というか、認識に、納得してもらうためであって」

「……納得?」


 疑問する新堂に、市子は頷いて返した。


「言ったでしょ? ただ犬神を抜く――というか、鎮めるっていうそれだけなら、私がこっそりとやっていたって問題はない。でもそうしたところで、加奈子さんの体調がすぐに復調するわけじゃないから、加奈子さん自身の“思い込み”によって、これはもはや犬神も何も関係なく、加奈子さんは体調を崩し続けることになりかねない。似非専門家のお世話にもなり続けるんだろうしね。それはさすがに、私としてもいただけない。だからこうして儀式を行って、加奈子さんに“もう自分は大丈夫なんだ”っていう自覚を持ってもらおうというわけなのだ」

「自覚……って言っても、そんなにうまくいくの?」


 恐る恐る、と言った様子で、新堂が疑問を続ける。


「今までだって、そうやって仰々しい儀式なんかやって、これでもう大丈夫、魔は祓われました、って言う人はいたよ?」

「なァに、百聞は一見に如かず、ってなもんよ」


 ここで久し振りに、ぬいぐるみが声を上げた。市子の膝の上に収まりながらも妙に偉そうなそれは、


「どーせそいつら、何だかんだ言ったって、大袈裟に幣振り回したり塩ばら撒いたり奇声発しながら背中どついたりするだけだろ? イチゴのはそんなもんじゃァねェからな。面白ェぞ」

「面白いとかいうもんじゃないよ、タヌキ君」


 ぽん、とぬいぐるみの頭に手を置いてたしなめる。それから、ふいっと新堂の方へまっすぐに向いて、


「さて――じゃあ、これからその儀式、加奈子さんの血の犬神を鎮める儀式を始めるわけだけれど」


 いくつか注意点がある、と市子は心持ち真面目な調子で言った。


「注意点?」

「そう。身構えることもないけれど、まあ覚えておいてよって話。――まずひとつ。何度も繰り返す通り、私はこれから加奈子さんの犬神を鎮めるんだけれど、勘違いしないでほしいことがある。――私は決して、加奈子さんの犬神を祓ったり、調伏したり、殺したりするわけじゃない」

「え?」


 これには美月が反応した。どういうこと? と問い返す。


「それじゃ駄目じゃないの? イヌガミって、祓わないと駄目なんじゃ……また加奈子にとって悪いことになるんじゃ」

「ならないよ」


 市子は断言した。


「ならない。何度も言っているでしょ? “鎮める”んだよ。消し去るわけじゃない。これもまた説明パートになるんだけれど……犬神筋。ゴザル君の説明にもあったと思うけれど、犬神というのはまじない、おまじないであって、のろいでもある。――他人を呪うこともできるんだ。まあ、人を呪わば、っていうからね。勿論それなりの代償は覚悟してなきゃいけないけど……とにかく、そういう、第三者から掛けられたのろいとしての犬神なら、確かに祓って清めることができるし、それでいい。でも加奈子さんのはそれじゃ駄目なんだね」


 どうしてだと思う? と市子は不意に悪戯っぽい笑みを見せつつ問いを放った。向けられた美月は戸惑いながらも、考え、


「……えーっと、加奈子のは誰かに掛けられた呪いじゃない、から?」

「御名答。その通りだよ」


 嬉しそうに市子は手を叩く。だが別に美月は嬉しくもない。


「いや、でもよくわからないんだけど」

「うん。つまりね、簡単に言うと、加奈子さんの犬神は加奈子さんそのものなんだね」


 簡単に言われている割りに、美月も新堂もよくわかっていない。


「血、というものは時として人そのものを表す、ということだよ。人の存在そのものをね。そして犬神筋というものは血筋であり、血そのものだ。で――その血を否定するということは?」


 何か楽しくなってきたのか、再び質問を投げかける市子。しかし、


「……市子殿、その質問を御二方に問うのはいささか非情に御座る」


 白犬の言葉に、あれ? と市子は首を傾げた。そうかな、と言いつつもそれ以上は追求せず、


「血を祓う。血を殺す。――それはそのまま、加奈子さんを否定することになるんだね。それは駄目でしょう? だからこの場合は鎮めるだけだ。そして大丈夫。鎮めさえすれば、もう加奈子さんが犬神に悩まされることはなくなるよ」


 美月も新堂も反応しない。だが構わずに市子は先を続ける。


「そもそも犬神なんていうのは、ただあるだけ、ただ為すだけの術なんだ。使役者次第で禍にも福にもなる、っていうね。その祖は違ったんだろうけれど、ここまで薄まってしまえばもうそれだけのものだ。一生ともにあることを、否定してはいけないよ」

 

 

  ●

 

 

「……他には? 注意点っていうのは、ひとつじゃないんでしょう?」


 わずかな沈黙を割って、新堂が市子に問う。


「他の注意点っていうのを、聞かせて」

「うん。もうひとつは、まあなんというか、アフターケアの話でね」


 アフターケア? と訝しげな顔をする新堂に、市子は眉尻を下げた笑みを見せた。

 困ったような笑みだ。


「アフターケアはできない、って話だよ」

「……アフターケアって、例えばどんな?」

「加奈子さんが今まで苦労してきた時間。それを取り戻してあげることはできない」


 指を折って、市子は数え上げる。


「私は一か所に長くいられないから、事後観察もしてあげられないし、それに、」

「ネーチャンがパチモンどもに貢いだ金も、どうにもしてやれんしなァ!」


 そういう話は自分の領分だ、とでもいうように嬉々として声を上げるぬいぐるみ。市子は小さくため息をついて、むぎゅう、と


「おいこらイチゴ潰すな締めるなオレサマのイケメンがていうか息が」

「まあ、そういうことなんだけどね。これまで払ったお金もそうだけど、これからの分も私はどうにもしてあげられない」

「……これから?」


 美月が首を傾げた。市子がイヌガミを鎮めて、それで問題が解決したならば、もう他の似非専門家とやらに頼る必要はないのではないか、と。

 市子は首を浅く振った。


「まあ十中八九、そう簡単には運ばないと思うよ。犬神を鎮めたことによる影響はそんなすぐに顕れるものでもないし、その人たちも折角のお客さんを手放したくはないだろう。なにより、その人たちに嵌まっちゃってる加奈子さんの御両親が、そう簡単に手を切ろうとしないと思うんだ」


 だけど、と市子は言う。心なしか俯き気味で、


「でも私は、そういうことに対しては何もしてあげられない。そういう、社会的というか、そんなものが伴うあれこれは私には一切できない。何せ私は見た目通りの年齢だし、業界に顔が利くわけでもないからね」


 ある意味で顔が売れてはいるけれど、と自嘲するように小さく付け加えた。


「注意点はそれだけだよ。それだけわかっていてもらえればそれでいい。――いいかな?」


 念を押すような確認に、数拍沈黙を置いた新堂は、しかしやがて顔を上げて、頷いた。


「……うん。いいよ、わかった。それくらいは、自分で何とかしていくよ」


 何せこれから、寿命が延びるっていうんだからさ、と新堂は笑う。その笑みには多少の無理も見て取れたが、市子も美月も何も言わない。


「だから――お願い」

「御了解」


 市子は頷いた。それじゃあ、と両手を浅く広げて、言う。


「それじゃあ――これより儀式を始めます」

 

 


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