09.準備
部屋に入ったところでさあ解説パートに入るのかと思いきや、部屋を一望した市子は、準備があるからなどと言って美月と新堂を居間に戻した。
市子自身は狐さんを連れて部屋に入っている。居間には美月と新堂、それから市子のぬいぐるみと白犬が座卓を囲んでいる。
「………」
「………」
「………」
「………」
正直、気まずい。
「……ええっと」
何か言わなければ、という思いに駆られて美月が口を開いた。自然、新堂と白犬の視線が美月に向かう。
ちなみにぬいぐるみは座卓の上に寝転がっている。
「イヌガミ……の説明がまだだったよね。イヌガミって何なの?」
この場で答えられそうなのは、寝ているぬいぐるみを除いては白犬だけだ。注目を受けた白犬は、ううむ、と唸り、
「曲がりなりにも犬の恰好をしている拙者が説明してもいいものかわからんので御座るが……犬神とは、まあ平たく言えば呪いの一種で御座る」
「マジナイ……おまじない?」
白犬は頭を縦に振った。つまりは頷いた。
「呪いと言っても間違いではないので御座るが、この場合はやはり呪いと言った方が正しいで御座ろうな。もともとの話で御座る。犬神筋、というのは血筋に憑りつく呪いで御座って、古くは平安時代にはもう行われて御座る。ほぼ日本全国諸説御座るが、そのうちのひとつ、宿筋に禍福をもたらす類の犬神が、加奈子殿の引き継がれておる犬神で御座ろう」
「禍福?」
禍、福。つまりはいいこと悪いこと、か。
「犬神筋というものは、血液鑑定で現れるものでは御座らぬが、確かに血によって継がれ血によって広がるもので御座る。しかし拝見したところ、加奈子殿の血は古い。およそ鎌倉か、室町時代に掛けられたもので御座ろう。既に犬神は薄くなって御座る。であるからして、既にその効力が発現することもないはずで御座ったのだが、隔世遺伝、とでも言えばよいので御座ろうか。新堂・加奈子殿個人においてのみ、ほんのわずかではあるが、呪いが呪いとして、犬神として発現するだけの血を継いでしまったので御座るな」
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「イヌガミとして、それが発現しちゃったから、加奈子は体調悪くしてる、んだよね?」
問うと、白犬はうむと頷いた。
「おおよそそんなところで御座るな。――犬神に重要なのは、宿主の自覚で御座る。犬神というものが呪いの一種であることは先に話した通りで御座るが、その呪いに自覚があるのとないのとでは多少話が変わるので御座るよ」
「……というと、例えば?」
「例えば、今の加奈子殿のように無自覚で、かつ犬神筋の血が完全に覚醒していた場合、宿主は己の犬神を扱いきれず、早いうちに己の犬神に食い殺されて御座る」
さらっと言われた内容に、ひ、と新堂が息を呑んで身を固くした。それを受けた白犬が慌てたように、
「あ、いや、勿論加奈子殿は完全な覚醒がなされているわけでは御座らぬゆえ、市子殿の話にもあったとおり、すぐにどうこうということは御座らぬよ」
意外と気遣いのできる犬らしい。
「ち、ちなみにさ……自覚的で完全に覚醒したら、どうなるわけ?」
訊いてみたのは、ちょっとした好奇心だ。
うむ、と白犬はちょっと考えている様子だ。
「そうで御座るな……自覚がある、つまり自分が犬神筋である、ということを本質的な意味で知っているのであれば、呪い――つまりは魔術に関する知識があるということで御座ろう。であれば、己の血との争いになるで御座ろうな。負けた場合は無自覚であったものと同様に食い殺され、勝った場合はその犬神を己のものとし、」
「その辺にしとこうや、ワン公よ」
不意に、それまで黙って、というか高いびきで寝ていたぬいぐるみが口を挟んだ。なんだ、と美月も新堂もぬいぐるみを見る。
「それ以上のことは話しても聞いても何にもならねェことだ。むしろ聞かねェ方が健全だぜ」
「……それも、そうで御座るな。ついつい口が軽くなってしまった。半端に話してしまって申し訳のう御座る」
しゅんとうなだれる白犬。いやいや、と手を振りながらも、それでも多少の興味を禁じ得ずに、美月は机の上であぐらをかいているぬいぐるみに訊いてみる。
「何か、まずいことになるの? その、犬神に勝っちゃうと」
「人を呪わば穴二つ、って言うだろ」
ずばっと、ぬいぐるみはそう言った。
「専門家がやったところで、呪いってのはうまいことにはならんのさ。まして半可通のパンピが手ェ出したらろくなことにならんのよ。今回は大事に至らなかったんだから、それで満足しとけ」
まあ、言っても手ェ出しちまうときは出しちまうんだがな、とぬいぐるみは笑った。
「そんときゃそんときだ。例によって半端な半可通に金だけとられてボロボロになるか、運よく専門家に引っかかってなんとかしてもらえるか。今回みたいにイチゴの奴が通りかかればラッキーだろうがな。あいつぁマジでお人好しなんだから――それよかほら、準備ができたみたいだぜ。なあ、キツネよ」
ぬいぐるみの言葉と視線に、美月と新堂が振り返ると、いつの間になのか音もなくあの狐さんが立っていた。
それもなんと、白衣に緋袴という巫女装束だった。
背が高い上に美人である狐さんがそれを着ているのを見ると、なんだか妙に迫力がある。
狐さんは、無表情に頷いた。
「儀場の準備が整いました。市子さんは上で待っています。ゴザルさんに場の整調をしてもらった後で儀式を始めます。――御二方、御心の方は宜しいでしょうか」




