05.交戦
駒鳥が宙を叩く。不可視の刃が、さらに視認不可能な速度で白城へ奔る。
打点は目線。白城の頭を貫く軌道。
だが、白城の周囲1メートル以内に、刀が降る方が早かった。
「――お?」
白城の周囲、宙に口が開く。
格納空間の穴だ。
一斉に開いた数十の穿孔は、そこから五月雨に煌めきを落とす。
抜き身の刀だ。
乱雑に、振り落ちる。
それぞれの刃が、落下軌道にある刃片に接触し、弾き出す。
そのうちの一振りは駒鳥が撃った刃を迎撃する。軌道をずらされた刃は白城の頬を浅く斬るも、白城は瞬き一つしない。
駒鳥を凝視している。
ガラスの割れる音が重奏した。
「おいおい――」
反射的に身をすくめた駒鳥の、その一瞬の隙を逃さない。
落下する刀を、右と左、宙で掴む――右手がそのまま閃いた。
一条、弾丸の如く空を切り裂き眼前に迫った切っ先を、駒鳥はすんでのところで弾く。
幾つもの刃片を割り貫きながらなお勢いの減じなかった短刀が宙へ弾き上げられる。その向こう、疾駆の前傾に入りつつある白城の右手が、再度高速で動くのが見えた。
……くっ、
迎撃は間に合わない。咄嗟の判断で無手の左腕を盾のように置く。可能な限り上体を半身に、急所を腕の影に隠すようにずらす。が、
……違う!
盾にした腕の影から見える、白城の二投目は刀ではなかった。
符。
長方形のそれが刃片の隙間を縫うように飛ぶ。駒鳥は反応できない。
過たず、符は宙の一点を縫い留めた。
霊脈の歪みだ。
一枚程度の符でどうにかなる規模ではない。頭ではわかっていても、虚を突かれた視線は思わず符の軌跡を追ってしまう。
それが、隙だ。
符を投射した腕をそのまま後方へ振り上げ、前進の狼煙とする。
疾走だ。
二刀を両手に、弾丸のような速度で彼我の距離を埋める。
「捨て身かお前……!」
駒鳥が瞠目したときには、既に眼前に白城がいた。
致命傷になる刃だけを叩き落し、多少の傷は押し通る。全身に切り傷を負いながら、煌々と耀く白城の視線が至近で駒鳥と交錯する。
白城の左手の刀が閃く。駒鳥は後手に回るしかない。ステップで後方へ跳びながら、ナイフで白城の刀を受ける。
……軽い?
勢いを殺すために後方へ跳んでいた。それにしても威力が軽すぎる。それもそのはずだ、白城はインパクトの瞬間、柄から手を放していた。
二投目。
再び符が宙に並ぶ。
……最優先事項は、霊脈の歪みの修正。
一枚ではダメでも、三枚もあれば。
隙をついて二枚重ねることはできた。しかし一瞬の攻防だ、これ以上の隙は敵ももう見せないだろう。
駒鳥は体勢を崩している。後方へ跳んでいるが、一足で詰められる距離。
……無力化する。
白城の刃が一閃を、
「――第86式“菫青”」
視界が回った。
「――――ぉ」
何が起こっているのか理解できなかった。一拍を置いて、頬に土を感じ、その夜の冷たさを感覚として得たところで、自分が力なく倒れていることを自覚する。
そして、熱。
……ああ、これは、まずい。位置が、まずい。
駒鳥に一歩及ばない位置で倒れたこと、ではない。駒鳥は倒れた白城を追撃せず、そのまま油断なく、もう一歩大きく後方に跳躍して距離を取った。あるいはそれは、追撃せずともよいという判断によるものかもしれない。
まずいのは、熱の位置。
全身に、大小いくつもの熱を感じているが、その中で最も大きなもの。
腹。
腹部に熱い塊を感じるのは――倒れたままに、不可視の刃が白城の身を貫いたということだ。
ふ、ふ、と浅い呼吸が自分のものだと気づく。深手だ。すぐに止血しなければ失血死もあり得る。
しかし、動けない。
視界が回り、平衡感覚を失っている。立ち上がることはおろか、指先にすら力が入らない。
駒鳥の術式だ。純粋な攻撃ではなく、感覚を狂わせるもの。当然、白城も事前に様々な対策を仕込んできてはいたのだが、全て突き破られた。
ごぺ、と血の混じったものを嘔吐する。
「――別に油断してたつもりも、甘く見ていたつもりもなかったけどよ。素直に畏れ入るぜ。その割り切りの判断、やっぱお前も、生半可な修羅場は潜ってねェな」
念のためって借りてた術式まで使っちまった、と駒鳥は吐息する。顎から滴る冷や汗の一滴は、倒れている白城には見えない。
「苦しませる趣味はないが、止めは刺さん。まだ何かあるだろ、お前。近づくリスクは冒さ、ない……」
駒鳥の言葉は尻すぼみに消える。唇の端が震え、冷や汗がもう一滴。
「嘘だろ、お前。どういう精神してんだよ」
腹に穴開いてんだぞ……と駒鳥が瞠目する先。
白城が、立ち上がっていた。
呼吸は浅く、早い。全身の傷から出血し、腹の傷は片手で抑えているが、力が入っておらず、全く止血になっていない。そもそも足が震え、膝が笑っている。
「あたしはまだ“菫青”を解いていない。五感が滅茶苦茶になってるはずだろ。どうやって立ってんだよ」
白城は応じない。駒鳥の言う通り、五感がまともに機能していない。
……回っている。
視界も、音も。ぐるぐると回っている。正直、自分が立っているのか、倒れたままなのかも実感がない。だが、ひとつだけ確かなのは、
……腹の、傷。
その痛み。それだけが白城を現実に繋ぎとめる。
感覚の狂いは思考まで乱す。まともに考えることもままならないが、腹の熱だけを頼りに、白城は自らの使命を、役割を念じる。
……私が、果たすべきこと。
傷を押さえていない右手を、握る。本当に握れているのかはわからない。だが感覚ならぬ感覚を総動員し、イメージし、強く、握りしめているのだと信じる。
……私が。
前へ――前と信じる方向へ。
踏み出す。