02.邂逅
一足。それだけで、白城は鵺に肉薄する。
鵺は大鷲の翼をもつ。空を飛ばれるのは厄介だ。弓兵はいるが、時間をロスしてしまう。
だから、まずその翼を切断した。
『オ――――!』
絶叫とともに、鵺は鬣を振り乱す。前脚が白城の顔面へ襲い掛かってくる。
獅子の爪だ。正面から受ければ膂力の差で吹き飛ばされかねない。ゆえに立てた刃で絡めとるようにして、その懐に入り、
「――――ふっ」
一閃。
つま先から頭の先まで、絞るような旋回から繰り出した一刀は、傍から見てバターでも切るような容易さで鵺の胴を両断した。
「凄い……」
つい見とれてしまった隊員のひとりが声を漏らす。
闇が解けるように鵺が消えた下から残身を解いた白城が持つのは、やはり夕霧ではない。にも拘らず、ああもあっさりと中型の怪異を討滅せしめるとは、やはり特務の実力というわけか。
衆人の注目に気が付いた白城は、ん、と気後れして戸惑うが、すぐに表情を戻し、
「恐らく、これも一体ではないでしょう。私は目標地点へ先行します。これからもっと強力な怪異が発生する可能性もありますから、異常があればくれぐれも無理せず、私へ連絡してください」
了解、と応じる皆に頷いて、白城は身を翻した。
闇の濃い森中へ突入する。
右手には通常の一刀。夕霧は抜かない。というか、
……霊脈を夕霧で斬ってしまった場合、何が起こるかわからない。
神秘幻想を一切の容赦なく斬ってしまうのが夕霧だ。誤って霊脈を斬り、この地域の霊脈が死滅してしまうどころか、最悪の場合、接続する全国の霊脈へ拡大して一国の霊脈を殺しかねない。
それでも佩いているのは、念のためというところではあるが。
月明かりに、頭上から迫る影を見て横に跳ぶ。間一髪、上空から突貫してきた鵺が先刻まで白城のいた地面を周囲の木々ごと薙ぎ払った。
鵺が体勢を立て直すより早く、白城の白刃が閃く。
……最近の霊障は、何かおかしい。
そう漏らしていたのは、高坂だ。
……極東各地で、散発的に霊脈が活性化している。
霊脈図を俯瞰しながら、高坂は眉根を寄せていた。
……活性化なんてのは、まあ常にどこかで起こっているものだが、それにしては、何というか、こう……
浅く首を傾げ、高坂は独白のように言っていた。
……作為的な、気がする。
ただの直感で根拠はないが、とも。しかし熟練の特務の直感だ。決して軽んじられるものではない。
もし、何者かの作為があるのだとしたら。
鵺を両断した刀を振る。血振りといっても、怪異を斬っても血糊は着かない。穢れだ。
インカムからは、各班の状況が聞こえてくる。どこも危なげなく対応できているようだ。
ふ、と白城は短く息を吐く。
「――発生源を発見しました。想定通り小規模ですが、手の空いている班は私の方へ集合してください。座標は、」
了解、という応答を受け、白城はひとり頷き、視線をそれへ向ける。
そこにあるのは、霊脈の歪み。
常人であれば、視認することはできないであろうそれは、しかし訓練を積んだ人間であれば認識することができる。
空間の亀裂だ。
霊障はその亀裂から発生している。漏れ出す瘴気が、やがて形を成し、一帯へ飛び立っていく。
それを封じるのが今回の任務だ。
雲がかかり、月明かりが遮られる。夜闇の暗さのうちにあってなお、歪みは禍々しさを減じない。吐き出される瘴気は、暗い煙のように視認できるほどの濃度だ。
封印自体は、この規模であれば白城ひとりでも支障ない。だが、念のため、招集した人員の到着を待つ。今なお生れ出ている怪異を退治しながら、
「――ようやく御対面というわけだ」
声。聞き覚えのない、通信の向こうからではない声。
白城は反射的に後方へ跳び、霊脈の歪みから距離を取った。身構えは、どの方向から何が襲い掛かってきても対応できるもの。右手には通常の刀を構えているが、左手は”夕霧”の柄に添えている。
「……誰」
視線を走らせながら気配を探るが、捉えることができない。小規模とはいえ霊脈の歪みの至近だ。濃い瘴気が、生命の気配を殺す。
しかし相手は、自ら姿を現した。
「そう身構えるなよ。少し話をしようじゃないか」
ぬ、と霞が揺らぐようにして、浮かび上がるように人影が立ち現れる。そこは、霊脈の歪みの傍らだった。
視線を当てながらも、白城はさらに気配を探る。突如現れたその人物が何者かわからないが、何者であれ、最大限の警戒が必要なことは明白だった。この場に、守護連以外の何者かが訪れるわけがないのだ。この一帯にはあらかじめ、人払いの結界を敷いていて、
「…………」
インカムから何も聞こえなくなっている。通信の途絶。
結界だ。
「おっと、動くなよ」
白城の気配の動きに、相手が機先を制す。一足で飛び掛かって取り押さえるか、という瞬間の判断を潰され、白城は身構えのまま動けない。
「……話、とは?」
相手の第一声、霊脈の歪み周辺にピンポイントで敷かれていた結界。すぐに攻撃を仕掛けてきていないことを考慮すると、状況は明快だった。
罠だ。
この上で何を仕掛けられているかわからない以上、不意を打つ以外に迂闊な動きはできない。白城の初動に制止をかけられるということは、この相手もまた近接戦闘に心得があるとみて間違いないだろう。
「まあまあ、そこまで警戒しなくてもいいぞ。今すぐどうこうしようってわけじゃない。少なくとも、今すぐにってことはな。まずはコミュニケーションだよ。なあ――古都圏特務、白城・誠さんよ」
月が雲から顔を出した。月明かりが、この場を照らす。
不敵な笑みを湛え、歪みの傍らに立つのは、
……女の子。
おそらく、白城と年のころはそう変わらないだろう。痩身、背丈は白城よりも頭一つほど低いか。白城が同年代と比して背が高いことを考慮しても、小柄な方だろう。ぼさぼさの総髪はいかにも適当な感じで結われている。服装はパーカーにジーパンと、近所のコンビニにでも行くような気軽な恰好だった。
しかしその手では、刀身の厚いナイフを弄んでいる。遠目でも、何か術式が刻み込まれているのが見て取れた。
「私を知っているんですね。コミュニケーションというなら、あなたも名乗っては如何です?」
努めて平静に、白城は応じた。一方で、脳裏では目まぐるしく思考を巡らせている。
一見すると一般人だが、霊装を持っている時点でそのはずがない。程度はわからないが、近接戦の心得がある。守護連の関係者か? だとしても、任務を遮られているこの状況が不可解だ。さらには白城を他の隊員と切り離しているこの結界。眼前に対峙しているこの少女の他に、協力者がいるとみて間違いない。何者か、何人か。
白城の誰何に、そうだなあ、と少女は応じた。
「名前くらいは言えるか。いいぜ。駒鳥・叶だ。別に覚えなくていい」
くるくると手中のナイフを弄びながら、駒鳥と名乗った少女は口の端で笑った。
「忙しくいろいろと考えているところだろうがな。今のところ、これ以上名乗れるものはないぜ。ああ、強いて言えることといえばあれだ、あたしは守護連の所属じゃない」
「……まあ、そうでしょうね」
注意深く観察しながら、白城は頷く。
無造作に立っているように見えて、駒鳥には隙がない。
……一旦、退くか?
張られている結界がどのようなものであれ、“夕霧”で斬り抜けられる。万が一にも霊脈を傷つけないよう細心の注意が必要だが、戦闘するわけでないのなら、難しくはない。
霊脈の歪みを放置することはできないが、それ以上の非常事態だ。
……少しでも早く、高坂さんや、総長に報告しなければならない。
守護連を妨害するもの。何者であれ、考えられない事態なのだ。
なにせ、この極東には、守護連以外の魔術組織は存在しない。
各神社や霊地霊脈を管理している集団はあるが、彼らはあくまで自治組織だ。守護連とは互いに不干渉であることが原則。下界で何が起こっていたとしても、彼らは決して手を出さない。
ならば、駒鳥の背後に存在するものは、何だ。
「おっと、動くなよ。撤退もなしだ。計画が狂う」
背後の気配を確認した白城に、瞬時に言葉を差してくる。やはり敏い。
手の内で回していたナイフの切っ先を白城に向け、まあ、と駒鳥は肩をすくめた。
「あんたはとっくにあたしの術中だ。下手に動けば、怪我するぜ?」
「――――!」
言葉に、咄嗟に周囲を探り直す。視界は何も変わらないだが――何か、煌めきが見えた。
気づきと同時に、冷たい汗が背を伝うのを感じる。目を凝らしてようやく、白城はそれを捉えた。
空間、一帯。
全方位、乱雑にぶちまけたかのように、しかし押し通ることのできるほどの隙間はなく、“刃”が月明かりに煌めきを返していた。
「第93式“翡翠”」
背後からもう一振りのナイフを取り出し、浅く両手を広げた駒鳥は、獰猛な笑みを浮かべた。
「あんたをここに縫い留めるのが、ここでのあたしの役割だ。――多少、不本意ではあるがな」




