01 東北圏
そこは人里から遠く離れ、山深く、草木や獣の息遣いが近く感じられるほどの奥地だった。
『――東側部隊、配置完了しました』
通信機からの報告を受け、古い巨木の樹上で全体を俯瞰していた男は頷いた。
「了解。支持を待て」
通信機越しに命じつつ、引き続き先を見据える。
「西側も、全部配置完了だよ。あとはゴーサインを待つだけ」
男の隣、枝の上で胡坐をかきながら双眼鏡を覗き込んでいた青年が男へ告げる。ああ、と男は頷きながら、しかし視線を一点から外さない。
「あれの動きはどうだ?」
「ゆっくりと南下してるって、観測班から報告が来てる。中で何が動いてるのかは、依然として全く見えないってさ」
そうか、と頷く男に、うーん、と青年は腕を組みながら首を傾げる。
「何なんだろうね、あれ」
「さあな。少なくとも、つい二日前までは何もなかった。それは確かだ」
ふたりが見据える先には、一見して何も変わったことのない森が広がるだけだ。だが彼らの視界から見れば、まるで違う。
「真っ黒い、霧……というか、中心部はもう闇だよね。まだ昼間なのに」
青年が呟く通り、そこに見えるのは――この山一帯全域を覆うように広がった、深く、暗い闇だった。
確かに昼間だというのに、その闇はまったく光を通さない。
そして、その闇は、ゆっくりとだが確実に、移動している。
「んー、本当に何なんだろう、あれ。怪異の類にしては例がないよね。目立った活動もないし」
「いや、実害は出ている。恐らくあれが通った跡であろう地域で、まるで足跡のように、一直線に草木が枯れているのが見つかった」
「枯れている?」
「精気を根こそぎ奪われたような様子らしい。野生動物の死骸も少なからず確認されている」
「ふむ……命を吸うタイプか。それなら多少、怪異の中で絞れるかな」
「それが、二日前のことだ。三日前には、何もなかった」
「……短時間で、か。じゃあわからないな。お手上げだ」
お手上げ、と青年は両手を上げた。茶化すな、と返しつつも、男の方も難しい表情を崩さない。
「木崎さんは、何か心当たりある?」
青年が腕を組みつつ、見上げて問う。対して男は、数秒の思案ののち、
「最も考えられるのは……祟り神、だろうな」
その答えに、え、と青年は素っ頓狂な声を上げた。
「いやいや木崎さん、それはないでしょ。祟り神なんて、ここ数百年は出てないって話でしょ? ましてこの東北圏は霊地も霊脈も安定していて、祟り神が出る要素なんて」
「だが、この短期間でこの広がり、この被害状況は他に考えられん。まあ、それにしては移動速度が非常に遅いのが気になるが……」
男の言葉に、青年も思案げに顎を撫でながら改めて前方の闇を見る。
「あれが祟り神ねえ……そうだとしたら、俺らだけで大丈夫かな」
「仕方あるまい。現状、東北圏に特務は俺とお前だけだ。総長も年齢が年齢だからな、前線には呼べん」
「じゃあ、他のところの特務に応援に来てもらうとか」
「無理だろう。どこも自分のところで手いっぱいだ。このところ、あちこちで霊脈の揺れが増えているし……古都圏ならばあるいは、人を派遣してくれるかもしれないが、ここまで来るには時間がない。待っている間に被害が広がるだろう」
「そうだなあ。古都圏の総長って、御澄って人だよね。最近総長になった。噂通りの人なら、人を出してくれそうだけど、確かに距離ばかりはなあ……」
じゃあ仕方ないか、と青年が立ち上がった。
「今ある人員だけで、原因の究明。怪異なら退治、それ以外なら、まあ鎮静か封印か、相応の対応ってことだね」
「そうなるな。――やはりダメだ、観測班に限界まで近づいてもらったが、中心部に何がいるのか全くわからない。どうやら積極的に攻撃してくることはないようだから、警戒しつつ中心へ向けて侵入していくこととしよう」
「りょーかい。じゃ、指示出すよ」
通信機へ向かって、青年が指示を飛ばし始める。頷きながら、男も自身の装備を整えていく。
「あの闇、これからは“瘴気”と呼称するあれは、観測班からの報告によれば精気を喰う。各隊、防護用の符は抜かりなく持て。五分後、待機班を残して突入する」




