32.微睡の邂逅
――夢、なのだろう。
変わらず、医務室のベッドに横たわっていて。
暗く。
部屋の明かり、西日はおろか、月明かり星明りの類も一切ない、暗い部屋。
傍らに、女性が座っていた。
白城は、眠っている。目を閉じて、寝息を立てている。その自覚はあるし、見えている。ああ、だからこそ、これは夢なのだとわかる。眠る自分を、見下ろしているのだから。
……誰?
そこに座っているのは、誰だ。
長い黒髪を自然に流した、痩身の女性。見舞客用のパイプ椅子に、姿勢よく座り、ベッドで眠る白城を覗き込んでいる。
全く、知らない女性だ。
向枝ではない。市子でも、狐でもなく、今まで出会った誰とも異なる。もしも一度でも出会っていたのなら、わからないわけがない。
女性は、整った、美しい顔立ちをしていた。けれど、それだけではない。
強烈な、気配だった。
嫋やかな女性から漏れ出ているとはとても信じ難い、重く、厚く――旧い気配。それが何を意味するのかはわからない。
ただ、惧れだけがあった。
それは原始的な恐怖だ。生命が存在する根源の、その段階を異にする存在を前にしたときに感じるものと、同じ畏怖。
神的存在を前にした感応者が、恐らく感じるのであろう、意識の最も深いところに訴えかけてくる、言葉にし得ないもの。
禍々しいものではなく、むしろ恐ろしいほど清らかで、だからこそ身が震える。
そんなものを、女性は、自然体のまま纏っていた。
逃げなければ、と本能が訴える。
一心不乱に、一目散に、この存在から離れなければ。そう、心底を揺らされる。
だが、動けない。
眼下の白城の身体は眠っている。そもそも、ここはきっと夢の中だ。全ては現実ではない――そのはずだ。
なのだが。
『不思議な人ね、あなた。久し振りに目覚めて、気になる気配があったから来てみたけれど、今の時代はあなたみたいな人も現れているのね。それとも、だから私が目覚めたのかしら』
唄うように、女性は言う。硝子を鳴らすような澄んだ声だ。その一声だけで、場が強制的に整調される。
その気配の強烈さに反比例するように、女性の声音も、表情も、穏やかそのものだ。
『きっと後で怒られてしまうけれど、来てみて正解だったわね。ああ、でも……残念だわ。とても、とてもとても、残念』
女性は、本当に惜しそうに、その端正な眉絵を寄せる。
『あなたはそちら側についてしまったのね。私たちとお友達になれれば、きっととても楽しいものになったでしょうに。……でも、もう駄目ね』
小さく、女性は吐息する。
『運命は、分かたれてしまった。私が眠っている間に、こんなにも進んでしまったのね。皆、皆、始まってしまった。きっとこれから、世界は大きく動くわ。どうやらあの魔女はここにいないようだけれど、その娘がいるのなら、間違いなく介入してくる。あなたの総長も、備えてはいるでしょう。でも私たちも、もう動く時なのよ。ねえ――あなた』
眠る白城へ、女性は静かに語りかける。
『まだ全てを知らないあなた。記憶を秘し、真実を秘され、しかし知り始め、目覚め始めたあなた。あなたの迷いは、あなたをどこへ連れて行ってくれるのかしら。あなたはこれから、どこへ至るのかしら。ええ、とっても――楽しみね』
言って、女性は、視線を上げた。
意識だけの、在らぬ白城を、まっすぐに見据え、優しく微笑んだ。
『ねえ、そうでしょう?』
ありもしない身体が、震えた気がして。
一瞬で、白城の存在が消えた。
目覚めが近い。
……今のは。
この邂逅を、目覚めた自分はきっと覚えていないだろう。
だが、白城の根底には、強く、深く、刻まれた。
……あなたは――!
意識の浮上する刹那、声なき声で、白城は問う。
立ち上がり、部屋を出ていこうとしていた女性は、ああ、と肩越しに振り返った。
『そうね。あなたになら、聞かせてもいいかもしれないわね』
微笑んで、女性は告げた。
『私は、ハルカ。またどこかで逢いましょう。白城さん』




