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市子さんは流浪する  作者: FRIDAY
肆:暗がりの奥で眠る記憶を
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30.瞬間の産声

 白城の姿が、消えた。

 いや、違う。消えたのではない――高速の、移動だ。

 どこへ、と視線を動かすと、白城は、先程立っていた位置から数メートル先にいた。立っているというより、ふらついていた。

 ……どういうこと?

 その様子からは、とても高速の移動を行ったとは思われない。重心はブれ、視線は変わらず定まっていない。

 だが、事実として、白城はその立ち位置を変えていた。

 ふらふらと、白城は頭を振る――探している。そして、振り返った先に狐の姿を見つけ、緩慢な動きで身を回す。深く数呼吸、息を整えるようにして、わずかに拳を構え、


 また、消えた。


 注視していたにもかかわらず、その動きを追えない。まさか、と思うと、また数メートル直進したところで、白城がたたらを踏んでいた。

 ……どういうこと?

 驚いているのは、向枝だけではなかった。

 白城が、再び探している、狐。

 狐が――わずかに、目を見開いていた。それはつまり、

 まさか狐も――!?

 狐の姿勢は白城に対して半身。恐らくは

 ……直線で突進してくる白城を、咄嗟に回避したというところかしら。

 向枝が全く捉え切れなかった白城の動きを、なおも狐は反応し得ているというのは流石と言うほかないが、いや、今はそこに感心している場合ではなく。

 ……白城のあの動きは、なに?

 向枝は、白城の鍛錬にはよく付き合っている。どちらかと言えば体術の指南は高坂の担当だが、組手などに取り組むことはよくあるし、実戦でも何度も肩を並べている。しかし、

 ……あんな速度での移動、見たことがないわ。

 移動術としての速度であるならば、まだわかる。白城がいつの間にそんな技術を身につけていたとは思わないが、技術としてならば、理解できる。だが、先程の動きは歩法のそれではない。戦闘のための、攻める動きだ。ならば、それは質量を伴う動きのはずで、にもかかわらず白城が向枝の知らない動きをなし得たというのは。

 ましてや、白城は、今もなお意識の不明瞭な状態だ。とてもではないが、そんな力は残っていないはず。

「――成程、それなら確かに、選ばれるわけだ」

 市子が独り言のように言った。何の話だ? 市子を見るも、少女は向枝を一瞥もしない。ふむ、とひとりで頷いて、狐へ言う。

「さすがに限界だね――狐さん」

 限界。何が、誰が。当然、白城だ。傾いだ身体で緩慢に振り返る白城へ顔を向けたまま、狐は無言で頷いた。半身に引いていた身体を、白城に正対するように向ける。

 どうするつもり、と見守る向枝の向こうで、両者が対峙する。

 白城は重心定まらず揺れたまま、狐はここに至っても最初と変わらぬ自然体で。

 一拍。

 白城が、動いた。

 それは揺らぎに見え――残像だとわかった。

 ギ、と強く目を凝らして集中して、ようやく、辛うじてではあるが、白城の動きを視認する。

 前に倒れこむような前傾。上体が水平になるほど傾いで、一歩。

 たった、一足。

 驀進ばくしん

 音を置き去りに、白城の痩身が跳ぶ。

 ――有り得ないっ!

 明らかに、どう考えても、白城の為せる動きではない。十全の白城でさえ、不可能だ。あれは白城の身体能力を遥かに超えている。ましてや、今の白城に出せる速度では、ない。

 そして――向枝が、全力で集中してようやく認識できる速度の白城へ、狐は、反応した。

 見るのは三度目。慣れた、というわけではまさかないと思いたいが。

 白城の突進は、本当に、ただの突進だ。構えも何もなく、勢いに任せただけの突貫。それを、狐は迎え入れるかのように半歩踏み込み、白城の右肩に添えるように左の掌を置き、右の掌底を、


 大砲のような音がした。


 残像しか、見えなかった。はっと気が付いた瞬間には、眼前には残身を解く狐しかいない。

 何が……起こった?

 白城は?

 狐の視線の先へ、向枝も顔を向ける。――白城の姿は、そこにあった。

 十メートル近い先。修練場の壁。

 めり込むように凹んだ壁の、下に、四肢を投げ出すように座り込んでいる、白城。壁に背を預けたまま、俯く姿勢になっている白城の顔は、前髪の陰になって窺い知れないが――ぴくりとも、動かない。

 あれほど、朦朧とした意識の中でさえ立ち上がった白城は、とうとう、動かなかった。

 ……死んでないわよね?

「大丈夫大丈夫。気を失ってるだけだよ」

 横の市子が陽気に言う。いや、向枝もそれはわかっていたが、思わず心配になるほど、白城の姿には生気が感じられなかった。心身ともに、精もこんも尽き果ててしまったかのようだ。

「ギブアップ、とは聞けてないけど、さすがに気絶しちゃったのなら、このお稽古はおしまいかな?」

 わかっているだろうに、市子は向枝を見上げて問う。そうね、と向枝はため息混じりに頷いた。

「結局……手加減されちゃってたわけか」

 白城へ歩み寄り、状態を確かめる。呼吸はしている。触診した限り、骨や内臓にも損傷はないようだ。

「手加減って言っても、手抜きじゃないよ。ちゃんと、白城さんの望みには応えられたと思う。――白城さんも、得るものはあったはずだよ。それが善いものか悪いものなのかはともかくね」

 さて、と市子は一息、切り替えるように柏手を打つと、狐へ歩み寄っていく。白犬も無言のまま続く。

「狐さん、お疲れ様。今日もいろいろとありがとう。思っていたよりも収穫があったみたいだね」

 歩み寄る市子を、狐はこれといった感情も読み取れない、つまりはいつも通りの表情で見下ろす。数秒前に掌底で白城を十メートル近くぶっ飛ばしたとはとても思えないほどに冷静な顔だ。その顔のまま、狐は懐から何かを取り出した。

 スマートフォンだ。

 持っていたのか。

 しかも、随分と近代的ではないか。

 呆れた、と向枝は思わず苦笑した。戦闘に、スマートフォン携帯のまま臨むとは。

「あ、大丈夫だよ。ちゃんと電源は切ってあったから」

 そういう問題ではないのだが。

 そのスマートフォンは、今は電源が入れられている。狐が差し出しているスマートフォンの画面を覗き込んでいた市子は、やがて「うん」と頷き、顔を上げた。

「それじゃあ、行かなきゃだね。もうすぐ――時間だ」

 向枝は弓使いだ。当然、目はかなり利く。盗み見るつもりではなかったが、遠目に垣間見えたスマートフォンの画面はメッセージアプリに見えた。誰かからの連絡か?

 ……魔女、かしら。

 もうすぐ時間、とは何の話だろう。

 だが、向枝がそこに思考を巡らせる時間もなかった。くるっと身を翻したからだ。

「それじゃあ、向枝さん。私たちはもう行くよ。白城さんに、よろしく伝えておいてもらえるかな」

「ええ、わかったわ」

 どこへ行くのか、など尋ねても応えはあるまい。次にいつどこで再会するかはわからないが、敵同士になっていないことを願うほかない。

「大丈夫だよ」

 言葉に、はっと顔を上げる。ふたりと一匹と一体(のぬいぐるみ)。修練場の扉を開け放ったそこで、朝日を背負いながら、逆光のなかで少女は言う。

「また、すぐに会うことになるよ。そのときは、敵同士じゃない」

「……どういうこと?」

 問うも、答えがないことはわかっていたし、市子も、答えなかった。またね、とだけ言い残し、少女らは去っていく。

 修練場の扉が閉じるまで見届けて、向枝は吐息した。

 ……結局、わからないことが増えたわけね。



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