27.震える前進
え。
という思いは一瞬。がは、と肺の空気を根こそぎ吐き出された衝撃が知覚されてようやく、己の状況を、狐に何をされたのかを自覚する。
投げられたのだ。単純に。
襟元や肩に残る痛みから推測するに、背負い投げ。
白城の全速をもってしてもなお上回る速度と、その全速の上乗せされた衝突力をいなす膂力をもって、本当に単純な力技で、投げられた。
感覚の空白は一瞬。背から、腕から、脚から、衝撃が痛みとして脳髄を揺らす。跳ね起きようという意識だけが空回り、手足は痺れを返すだけで全く動かない。
畳にめり込んでいるような気さえした。起き上がったら、大の字に凹んでいるのではないだろうか。
それほどに身体が重かった。
……全く、見えなかった。
たった一度の交錯、たった一撃の応酬。ただそれだけで、自分がどれほど格の違う相手と相対しているのかをまざまざと思い知らされる。
けれど。
ズ、と空気を呑む。
ぐ、と拳を握る。
まだ、意識はある。
まだ、身体は動く。
まだ心は折れていない。
立ち上がる理由は、それだけで十分だ。
右肘をつき、膝を立て、仰向けの身体を裏返す。およそ自分の身体であるとは信じられない程、手足の感覚が鈍く、緩慢にしかついてこない。それでも、両の拳をつき、歯を食いしばり、身を起こしていく。
ふー、という自分の呼気だけが強く聞こえる。鼻筋を伝って、ぽたりと汗が畳へ落ちた。二滴、三滴と後を追うが、伝っていく感覚はない。
数十秒か、数分か。体感では途方もなく長い時間をかけて、白城は片膝をつく姿勢にまで持ち直した。ふ、という呼気を長く、長く吐き、心身を整える。
集中だ。
持ち直せ。
たった一撃。それがどれほど重いものであろうと、まだ身体は動くのだ、関係はない。
立ち上がれる。
手加減されていたかどうかは問わない。ただ、先の一撃が意識を落とすほどのものではなかったことは確かだ。現にこうして、白城は動いているのだから。
だから、立ち上がれ。
膝に手をつき支えとして、身を起こす。顎を伝う大粒の汗を感じる。音が、視界が戻ってくる。
ああ、狐が立っている。
初めと何ら変わることなく、どこまでも自然体で、何事もなかったかのように、感情の読み取れない表情で、立っている。
その身に、白城は、一撃も当てていない。一本を取るどころか、触れることすらままならない。あまりにも、差は歴然としていた。
けれど、
「アァ……」
ノイズのような音が出た。ぐ、と唇を引き結び、唾を呑み乾いた喉を濡らす。
「――まだ、負けていません」
白城が降参するまでが稽古だ。
だから、
「もう一本、お願いします――!」
言下に、白城は前に出る。速度は先程までの半分もない。まだ回復しきっていないのだ。それでも構わず、愚直と言ってもいいほどにまっすぐ、白城は前に出る。
ただ、狐だけを見据えて、前へ。




