07.市子の仕事
新堂の家は共働きだ。休日も、どちらも家にはいない。インターホンに応えて玄関を開けた新堂は、やはり顔色が優れなかった。
「あ、よくきたね。久し振り、涼子」
「うん。久し振り」
たったそれだけのやり取りであるにもかかわらず、新堂はわずかであるが息を乱していた。しかし、それについて美月が反応する前に、新堂は美月の後ろを覗き込んでいる。
「ええと……その人たちが?」
「うん、そう……昨日話した人たち」
言って、やや視線を逸らす美月。ことここに至っても、まだ迷っているのだった。だが市子はそんなことには一切頓着せず、ぴょん、と美月の背後から新堂の視界へ飛び出た。
「こんにちは初めまして私は市子と申します。市に虎を放つの『市』に、君子危うきに近寄らずの『子』で、市子。イチコじゃないよ、イチゴだよ。新堂・加奈子さんだね? かねがね会いたいと思ってたんだ。大事ないようで重畳です。それからこちらは狐さん、タヌキ君、ゴザル君」
淀みなく、口を挟む余地なく流れるように言う市子。新堂は面食らって瞳を瞬かせているが、それは恐らく市子の包帯や狐さんの容姿、ひいてはこのパーティの奇抜さによるものだろう。
「えーっと……まあ、いらっしゃい。上がって」
曖昧に微笑んで、新堂は家に招き入れた。お邪魔しまーす、と市子は遠慮なく上がって行ってしまう。
あまりに自然なので忘れがちだが、市子は両目を完全に塞いでいるのに、どうして補助もなく歩けるのだろう。
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「新堂さん……加奈子さんの部屋って、二階の突き当りの部屋?」
上がり込むなり開口一番に、市子はそう言った。
「え……うん。そうだけど」
「入ってもいい?」
面食らい気味の新堂に構わず、市子は間髪入れずに続ける。新堂は、美月の思ったとおり困った表情になった。
「いや……それは、ちょっと」
「どうして? ああ、頼ってる霊媒師さんのひとりに言われてるのか」
誰も話していないのに、市子はひとりで納得した様子でふむふむ言っている。新堂は困惑した視線をこちらに向けるが、勿論美月は踏み込んだ話は何もしていない。それどころか、実際事情は一切話していなかったはずだ。それなのに市子は、まるで人の考えていることを除いているかのように話を進めてしまうのである。
まるで頭の中を覗いているかのように。
……まさか、本当に人の心を読めるとか?
しかし、美月の内心には注意を払うことなく、市子は顔を上げた。
包帯に隠された目が、新堂の方を向く。
「最終的にはあなたの部屋に入れてもらわないといけないから、そうだね。その部屋、霊媒師さんたちを除いて今まで誰も入れてないね?」
「え、うん、そういう話だから……」
「御両親も?」
「うん」
それを聞いて、市子は一つ頷いた。
「それじゃあ、こうしよう。――賭けをしよう」
「賭け?」
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あまり穏やかでない市子の言葉に思わず美月が反応したが、市子は苦笑を返す。
「別に、そんな物騒な話じゃないよ。今まで誰も入れたことがないなら、加奈子さん本人とその霊媒師さんたち以外は新たに部屋に加わった部屋のレイアウト、インテリアを知らないわけだ。だから、こうしよう――もしも私がここにいるままに加奈子さんの部屋のインテリア、特に霊能グッズの配置やアイテムそのものを言い当てたら、私と、それから美月さんも部屋に入れてくれないかな? そういう賭け。どう?」
実に気軽に、市子は提案してくれるが、新堂は困った表情を崩さない。
「いや、でも、そんなことして効果がなくなったら……」
「もともとねーよ、効果なんざ。気休めにもなってねェみたいだしなァ、今のオメーを“診る”限りじゃあ」
今度は市子ではなく、別の声が答えた。それが男声であったために、新堂は驚いた表情で声の出どころを探している。美月は二度目なのでさすがに驚かず、市子の提げているボストンバッグを見た。
思ったとおり、やや開けられたチャックから、狸のぬいぐるみが頭を出している。
「案の定、って奴だな。インチキ霊媒師と三流妖術師しか来ちゃいねェ。まあ、業界に浅いパンピがこっち側を頼ろうとしたら、モノホンにたどり着く前にザコに貢ぐことになっちまうのが常套だが、こりゃあとんでもねェボッタクリだぜ。いくら払ってんのよ? お?」
「タヌキ君、君はまた呼ばれもしないで顔を出して。ここにはそんな汚い話をしに来たんじゃないんだよ」
苦笑してぬいぐるみを見下ろす市子。
「え、なに? ぬいぐるみ? ……腹話術?」
一人新堂だけがついていけないでいて、先日の美月と同じような反応をした。対してぬいぐるみはやはり先日と同じように、
「ちッげーよッ! オメーら本当に目ェ節穴か!? オレサマのどの辺がぬいぐるみだッてんだ!」
「全体的にぬいぐるみだねえ」
「だ、か、ら! イチゴ! オレサマをこんなチンケな依代に突ッ込んだオメーが言うなッつーの!」
ぬいぐるみがびちびちと暴れる。新堂はまだ信じられないようで、のたうつぬいぐるみを凝視している。まあ無理もない。美月だってこればかりはまだ半信半疑だ。
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とにかく、と市子が話を戻す。
「とりあえず、部屋を描写するよ。いい?」
「え……でも」
「とにかく部屋をイメージしろ。それでイチゴにも見えるようになっから」
ぬいぐるみの言葉に、不承不承、という内心をありありと浮かべた表情ながら、新堂は頷いて目を閉じた。
数秒、間をあけて、市子が口を開く。
「割と広い部屋だね。窓は西向き。机が、窓に向かって右に、反対側にベッドがある。普段足を向けている方に本棚があって、へえ、漫画以外にも結構読むんだね。雑誌と、文庫本が結構ある。机の横、壁にはクローゼットだ」
まるで、たった今見ている部屋の様子を描写しているかのようだ。市子の台詞に淀みはない。そして、言葉を聞いた新堂が驚いて目を見開いたところを見ると、どうやらそこまでの描写は当たっているらしい。
美月もイメージしてみる。どうやら、かなり昔に遊びに入ったときと、レイアウトに違いはないようだ。
「次に、本題の霊能グッズに移ろうか――そうだね。まず、窓の上にお札が一枚あるね。でも、なにコレ? いきなり何なのかわかんないんだけど。お札ってことは陰陽道? ――あ、違う、これエクソシスムだね。薄く十字架書いてあるし。でもなんでラテン語? ……しかもでたらめじゃん。徹頭徹尾読めないよ。これはもういいか……次は机の上。あれ、オベリスクの置物?」
「あ、それは違うっていうか、個人的に友達からエジプト土産で……」
ああ、と美月も思い出す。美月と新堂の共通の友人で、高校の卒業旅行でエジプトにひとりで行った奴がいたのだ。ちなみに美月はナントカの目とかいうアクセサリー? をもらった。ファントムだったっけ?
「それを言うならファーティマの目だよ。邪眼除けだね。でもファーティマってエジプトじゃなくて中東の方なんだけどな……まあそれはともかく、オベリスクの横には十字架か……今加奈子さんが首から提げてるのと一緒だね。ただの十字架の置物だけど。霊媒師さんって、キリスト教関係の人なの?」
え、と見ると、新堂は恐る恐るといった感じで胸元から小さな十字架のあしらわれた首飾りを引き出した。それから、市子に対しては首を振り、
「よくわかんないけど、そういうのじゃなかったよ」
「よくわかんねーのかよ。よくそんなのに頼れんなあネーチャン」
「タヌキ君は黙ってようか。ええと、それから……ああ、四方の壁にお札を張ってるのか。ん、でも南のお札だけちょっと違うね。違う人が張ったの? コレの方が他の寄りはちょっとましかな。祝詞だけど……ん?」




