23.数奇
久し振りに結構長いです。
「と、ここまでが私の知る、園田先生の唱えた守人よ」
一呼吸をおいて、樋川は市子を見た。対して市子はやや俯きがちな姿勢のままで、これといった反応をしない。視線がわからないこともあって、何を思っているのかすらわからない感じだ。そんな市子に代わって、というわけでもないが、白城が恐る恐る口を開く。
「物語……みたいですね」
率直な感想だ。成程、筋書きとしてはうまくできていると、そう言えなくはない。しかし、
「それと現在とは、特に関連しないのでは……?」
白城の言葉に、樋川は苦笑まじりに頷く。
「学会でも常にそうやって批判されたわ。それは現実ではない、御伽噺だ、ファンタジーだ、とね。実際、私も話半分程度にしか思ってない」
「その批判に対して、園田さんは反論したんでしょ?」
黙っていた市子がようやく口を開いた。その問いに、樋川は軽く頷いた。
「この物語はまだ終わっていない、と断じたわ。守人の系譜を継ぐ者たちがこの極東には確かに居て、今も戦い続けている、と」
……それって。
思わず白城は市子を見る。市子は白城を見向きもしないが、
……まさか。
白城の思いをよそに、樋川は話を進める。
「ただでさえ科学の隆盛するこの現代、神々や、魔法使いなんて存在は駆逐されて久しい。けれど、幻想は今も確かに存在し、現れ続けていて、カレらから私たちの日常を守るために、戦い続けているものたちがいる」
樋川の言葉に、白城は内心で無意識に安堵していた。自分たちの存在意義を、どこかで肯定されたように感じたからだ――しかし。
でも、と樋川の言葉は続いた。
「いずれ、限界が来る」
樋川は、そう断言した。
いや、園田がそう言ったのだったか。
双眸の光強く、樋川は言った。
「森羅万象天地万物有象無象一切合切、物事というものにはバランスがある。均衡、つまり一方に偏るものには必ず相反する存在がある。陰には陽、光には闇、そして人間と、幻想。両者が同じだけの存在を得てこそ、世界は均衡を保たれ、崩れてしまえば世界は崩壊する。にもかかわらず、ともに神々の系譜を継ぐ者でありながら、人間は幻想を世界の裏側へ追いやってきた。その限界は――ツケは、必ず回ってくるだろう、と先生は言っていたわ」
「ツケというのは」
白城の、思わずもれた、という感じの問いに、樋川は苦笑で首を振った。
「そこまでは、はっきりとは言っていなかったわね。具体的に、だからどうする、ということも、何も指摘しなかった。まあ、学者だからね」
現状を、現象を分析し、それを示すだけ。
知ることは話した、と樋川は市子を見る。白城も、妙に口数の少ない市子を少し不可思議に思いながら少女を見る。
市子は、何かを考えるかのように自分の顎に触れていたが、やがて、成程、と頷いて顔を上げた。
「守人については、おおよそわかったよ。今、彼らがどうなっているのかも」
守人の、今。それについて触れたということは、白城の考えと同じということだろうか。しかしそれを確かめる間もなく、市子は先を続ける。
それで、と。
「半血については、どう?」
言われてみれば、そういえば樋川は守人についての話はしたが、半血についてはまだ触れていなかった。樋川を見ると、ああ、と頷いた。
「そうだったわね。半血。――とはいえこれについては、園田先生もはっきりとした定義づけはしていないのよ」
あのね、と樋川は言った。
「妖怪、ってわかるでしょ?」
「天狗とか河童とか、そういうものですか?」
白城の言葉に、そうそう、と樋川は頷いた。
「民俗学では、ああいった存在の起源については諸説あるのだけれども、園田先生はこういう説を支持していたわ。『妖怪とは、かつて神としての信仰を得ていながらも、時代とともに信仰を失い、忘れられていった神々なのである』という、こんな説」
「つまり……妖怪とは、もとは神であったと?」
「そう。そして、その説を半血についての説に取り入れていた。守人の話の最初の方で、神々の一挙手一投足から生まれ出た存在について触れたわね。覚えてる?」
「意志のあるモノと、ないモノ、でしたか」
白城の答えに、樋川は頷いた。
「園田先生は、前者を妖怪となる神、後者を現象としての神とした。意志を持ち、人々と感応し、一時は信仰を得るも、やがてそれは失われ、誰もに忘れ去られ、力の残滓でせめてもの存在を示そうとする――やがて妖怪や、怪異と呼ばれるモノたち。そして、山川草木全てを、あるいは変化する世界そのものを司る、現象としての意志なき神。カレらについては、古事記にもそうと言える神々があるわ。八百万のうち、一度しか名の見えず、世界の根幹には関わらないモノたち……ただし、カレらについては、あまり守人の駆逐対象ではなかっただろう、と園田先生は考えていたみたいね。確かに、カレらはこちらが何もしなければ何もしない、そういう存在だったから」
それは、と白城は思い出す。
例えば先日の作戦で戦った、ダイダラのような存在なのだろうか。
白城が市子らと、初めて接触した作戦。
初めて大敗した作戦。
ギリ、と無意識に奥歯が鳴る。
「つまり、半血というのはどちらかというと、前者の――妖怪たちの方に関係があるものと考えられるわ」
樋川は白城の内心を知らぬままに、先を続ける。
「どこに潜み、どこから現れるのかはわからないけれど、どこからともなく現れ、現実を脅かす幻想、その残滓。ときに動物の、ときに植物の、あるいはそれら複数の姿を併せ持ちながらも、全てに共通して、まるで」
「まるで人と他の何かを掛け合わせたかのような、異形」
不意に、それまで何も言わずに考え込んでいた市子が、樋川の言葉を引き継ぐかのように口を開いた。白城も、樋川も驚いたように口をつぐみ、市子を見る。
「現代風に言えば、『奇形児』と処理されるのかな。いや、生まれてくる時点でそうなっているとは限らないのか。いつか、どこかの時点で身体の一部に、あるいは大部分に異形を顕す……おおよそのところは、合点がいったね。あと気になるのは、それがいつ、どうやってというところだけれど……それはまあ、こちらの領分になってくるのかな」
独り言のように、市子は言う。いや、独り言なのだろう。ふんふんとひとりで頷いている。
「成程確かに、均衡が崩れているわけだ。バランスが、崩れているわけだね。成程成程、これで繋がるよ――確かに物語は、まだまだ終わっていないみたいだ」
市子の中では何かが腑に落ちたようだが、しかし白城と樋川には何のことだかさっぱりわからない。ふたりで顔を見合わせていると、ひとしきり繰り返し頷いていた市子が、うん、とひとつ手を打った。
「有り難う、樋川さん。お陰でいろいろとわかったよ。これから私たちがするべきこともね。ゐつさんが私に教えたかったことも――それじゃあ、遅くなってきたし、私たちはこれで失礼するかな」
ひとりでスイスイと話を進めてしまい、目を白黒させる白城に構わず市子はさっさと立ち上がってしまった。音もなく追随して立ち上がった狐も併せて見上げながら、そう? と樋川は小首を傾げる。
「役に立ったのなら幸いだわ。ゐつさんによろしくね」
「うん、よろしく伝えておくよ。――それじゃあ、行こう、白城さん」
市子の見えない目に促されて、あ、うん、と白城も慌てて立ち上がった。研究室の戸口まで見送りに出た樋川に会釈しながら、市子らは棟を出た。外はすっかり暗くなっていた。入口付近で伏せて待っていた白犬が、おや、と身を起こす。見るとその頭には、そういえばいつの間にかいなくなっていたタヌキのぬいぐるみが座っている。
「話は終わったので御座るか」
「全く、随分と長く待たせやがってよォ。難しい話は短く済ませろってンだ」
「あっはっは、こういう話になるとタヌキ君は全く役立たずだからねえ」
「はっきり言ってんじゃねえ! 適材適所って奴だろ」
「タヌキ殿が役に立つ場面など、果たして今まであったで御座るか……?」
純粋な疑問然と首を傾げる白犬の頭を、「なんだとコンニャロ!」と憤慨したぬいぐるみがぽすぽすと殴る。白犬の方は全く気にも留めていないが。
「それで? タヌキ君、用事はちゃんと済ませられたの?」
軽く問う市子に、おうよ、と手を止めたぬいぐるみは胸を張って頷く。
「あたぼうよ。オレサマを誰だと思ってやがる」
「フェルトのぬいぐるみ」
「何だと!」
「話が進まぬ……まあ、いずれにしても今する話では御座らん」
ああ、と市子が白城の方を見た。白城には何の話だかわからないが、どうやらぬいぐるみは別件で席を外していたようだ。
「いなかったの、全く気付かなかった……」
「ほらほらタヌキ君、白城さんにすら忘れられてるよ。やっぱりキャラが薄いんだよ」
「ッせェ! 余計なお世話だ!」
「まあ影の薄いタヌキ君は置いておいて。――今日は有り難うね、白城さん。結構急な呼び出しだったけど、来てくれて助かったよ」
「あ……う、うん」
頷きはするも、白城の反応は曖昧だ。なぜなら、
……別に私、何の役にも立ってないし……。
図書館でも、成果を出していたのは狐と市子だったし、樋川に話を聞くのも主導していたのは市子だ。聞いた話も内容は白城にはさっぱりわからなかった。
……正直、私って必要だったのかな。
市子が白城を呼んだ意図がわからない。
「いやいや、それが大事だったんだよ」
まるで白城の内心を読んだかのように市子が軽く言う。
「……それ、って?」
「私と一緒に話を聞くこと。――だから、ね。今日の話、覚えておいてね」
ふふ、と市子は笑った。その笑みの意味するところは白城にはわからないが、一応頷いてはおく。
確かに、今日の話には何か、感じるところがある。
……この子の意図するところは、私にはわからないけれど。
それでも、とても重要な話だったと思う。
ん、と頷いた白城に、市子はまた笑みを見せて、さて、と軽く手を叩いた。
「それじゃあ、今日の御仕事はお開き。時間も遅くなっちゃったしね。皆、気を付けて帰りましょう。――白城さんは、どうやって帰る? 送っていこうか?」
「あ、いや、ううん、向枝さんが来てくれるみたい」
ちらっとスマートフォンを確認すると、向枝から連絡が来ていた。簡易表示の状態だが、内容はそれであるとわかる。そっかそっか、と市子は頷いた。
「夜道は何かと物騒だからね。魑魅魍魎の類は白城さんの相手にはならないにしても、痴漢悪漢は調伏滅殺というわけにはなかなかいかないからね。実に恐ろしきは生きた人間だよ」
言いながら、市子は歩き始める。方向から、門へ向かうようだ。白城もついて行く。
「あなたたちは、どうするの? 泊まるところとか……」
何気なく言ってみた白城だったが、改めて思うと確かな疑問だった。そういえば、市子は流浪の旅をしていたはず。飲食はともかく、寝泊まりはどうしているのだろう。いや、飲食にしても、そのお金は一体どこから発生しているのだろう。組織に所属しているわけではないから、そういったルートからの経済的援助などないはずだ。
しかし、市子の返答は軽い。
「やー、野宿だね」
「え」
驚いた白城は市子を見る。どうしているのだろう、とは思いながらも何かしら方策があるのだろうと思っていた。ファミレスであれだけ豪遊していた市子だ、目途は立っているのだろうと。しかし市子は首を振る。
「どこかに泊めてもらうにしても……ホテルにしても民家にしても、いろいろと手間だからね。いざというときに自由が利かなくなる危険もある。不用意に巻き込んじゃうわけにはいかないしね」
ゐつさんに怒られちゃうよ、と市子は笑った。その横顔を見ながら、そういえば、と白城は向枝に聞いた話を思い出す。――“恐山の忌み子”、その体質。
集霊体質。
ひとところに少しでも留まれば、多かれ少なかれ“集めて”しまう。
まして夜、一晩もの間も留まれば、“何か”を集めてしまうことは想像に難くない。
「だから普段は、神社とかお寺とかにこっそり入り込んで泊まってる感じだねえ。そういう場所なら、大なり小なり聖域として、紛れるし……とはいえ、私は夜も行動してることが多いからねえ。まちまちだよ」
育ち盛りに良くないよねえ、と市子は冗談めかして笑う。白城は、笑えなかった。
少女に課せられた人生。
生まれもわからず、育った山から放逐され、流浪し、ひとところに留まることを許されず、昼となく夜となく怪異に関わり続ける生活。
それがどれほど、重いものか。
同情したわけではない。白城自身を顧みて、辛苦の軽重を計ったわけでもない。そもそも比べられるものではない――だから。
お互いに、随分と重いものを背負わされたものなのだと、思った。勿論これも白城の一方的なもので、市子がどう捉えているかなど知る由もないが。わざわざ問うて確認するようなことでもない。
だからというわけではないが、大学の門を視界に入れながら、話のついでのように白城は訊いてみることにする。
「ねえ……その」
これもまた、しばしば気になっていたことだ。まさか、とも思うこと。
なに? と返す市子に、白城は僅かな惧れを抱きながら問う。
「ときどき名前の出てくる、その、ゐつ、っていう人は、何者なの?」
市子の口ぶりによれば、どうやら市子はそのゐつという人物から指示を受けて行動しているように思われる。とはいえ、市子の関係者というと、向枝に聞いた話と併せるにひとりしかいない。
「ゐつさんはゐつさんだよ。白城さんも聞いた通り」
なぜ白城が話を聞いたことがあると知っているのか、そんなことはもう問わないが。
つまり、ということは、
「守護連が“魔女”って呼んでタブー視してる、その人。まさしく魔女――魔法使いだね」
魔女、魔法使い。その呼称のニュアンスの差異は白城にはわからないが、ひとつだけはっきりわかった。
“魔女”。
最高にして最強にして最悪の魔女。
かつて、守護連を壊滅させたという人物。その者の名が“ゐつ”であり、
……この子はそんな人物と繋がっている……。
いや、そのこと自体は既に向枝から聞いてはいた。しかし、市子が今までにも何度となく口にしてきたその名が、守護連が恐れる人物と同一であったと改めて知ると、無意識に背筋に冷たいものが走る。
事の重大さ。
それを今更ながら実感する。
思わず沈黙してしまった白城に気付いてか否か、市子は何でもない調子で続ける。
「今は西洋の方でいくつかの魔術結社と喧嘩してるんだって。凄く楽しそうでこっちにはまず戻ってこないみたいだね。だから私に御仕事っていう名目で御手伝いさせてるんだ。最近、こっちが不穏だからって」
「……不穏?」
穏やかでない、ということ。どういうことだろうか。首を傾げる白城に、さあ、と市子も肩をすくめる。
「そこは自分で確かめろってことみたい。今日の御仕事もその一環だね。まあ、私にもちょっとずつわかってきてはいるんだ……あちこちで妙なことが起こり始めてる。今日のお話を合わせるともう少しわかるところが出てきたかな。少なくとも、誰かさんがこっそり何かしてる」
……何か、してる?
それは、どう捉えればいいのだろう。白城個人としてではない。
……守護連の、特務として。
腹案あってのことなのか、それとも何気ない会話なのか、市子が白城を通して守護連に情報を流してきたということであれば、しっかりと報告しておく必要がある。けれど、
……何の話だかさっぱりわからない。
誰かも何も、そんな兆候は守護連では何も掴んでいないはずだ。向枝や高坂に訊いてみなければならない。場合によっては総長にも――
考えに沈みかけたところで、市子が立ち止まったことにはっと気が付いて意識を現実に戻した。見れば、門についている。市子を見ると、にやにやと笑みを見せていた。
……やっぱり、確信犯かな。
しっかりと伝えておいてくれと、そういうことだろうか。この少女、子供のようでありながら妙に抜け目がない。いや、それを悟るあたり、さして歳の離れていない白城もまた似たようなものか。お互い、奇妙な境遇に置かれてしまったものだ。
客観的に見て、そんな腹の探り合いを演じる歳恰好ではない。
「さて、そろそろ向枝さんが来るかな」
市子が道路の左右を見比べるように首を伸ばす。そうしたところで、包帯越しに何が見えることもないだろうが……と、そこで白犬が市子の手を前足で叩いた。
「――市子殿」
「んー? ……あ、そうか、そうだったそうだった。忘れるところだったよ」
いけないいけない、と市子は自分の頭を小突く。そういう仕草は年相応にも見えるのだが、と他人事のように思っていた白城へ、市子は顔を向けた。
「白城さん、今日は有り難うね、ということで何か御礼をしなきゃと思ってね。危うく忘れるところだったけど」
え、と白城は目を瞬かせた。それは全く思いもよらない話だった。
「いや、別に……御礼なんて。私も仕事だったわけだし」
「でもこれは私が白城さんを指名して呼び出してもらった御仕事なわけだしさ。気持ちだよ気持ち。……とはいえ、何も用意してないんだけどさ」
ひらひらと何も持っていない手を振る。
「というわけで、今後何か私にしてほしいことがあったら、一回だけしてあげるよ。どんなお願いでもいいよ。私の力を超える願いは叶えられないけど」
別に今すぐじゃなくていいし、と市子は言う。
「守護連の御仕事の御手伝いでもいいし……他に思いつかないけど。勉強の御手伝いはできないなー。私、学校って通ったことなくてね。御仕事で入ったことはあるけど。字も読むことはできるけど書くのは難しいし」
つらつらと、これまたとんでもない話を聞かされている気がした。いや、確かに市子のような生活で学校に通う機会などなかっただろうし、その目では文字を書くことは難しいだろう。読むことはできるというのは逆に不可解だ。
それはともかく、別に白城には、市子に手伝ってほしいことなど思い当たらない。守護連の仕事は、白城たち守護連の義務だ。外部の、まして敵対することすらある市子に協力を仰ぐことなど考えられない。だから、
「そういうのは、本当に気にしないで――あ」
と、断ろうとしたところで、ふと、白城が止まった。
ん? と市子が白城の視線を追う。その先にいる者、白城が言葉を止めた理由、長身の美女。
狐だ。
一同の視線を受ける狐は、戸惑うような顔で見返している。そんな狐を視線の先に捉えながら、静かに白城は言った。
「それじゃあ、折角だから、ひとつだけお願いしようかな――」
お願い。その内容を告げる白城の声は、自分でも意外なほど冷静だった。そして、
「うん、いいよ」
白城の思いの重さと対照的なほどに、市子の返答は軽いものだった。




