04.過修練
気が付くと、向枝が顔を覗き込んでいた。
倒れたままの白城の、頭の方から前かがみに覗き込まれているので、見上げる白城からは向枝が逆さに見える。
「――大丈夫? ちょっと思い切りやっちゃったけど……」
大丈夫です、白城は応じようとした。が、震わせた声帯からは掠れた音しか出なかった。
どうやら大丈夫ではないようだ。
視線だけを返すと、向枝は頷いた。
「まあ、そうでしょうね。……そのまましばらく休んでいなさい。どのみち、しばらく動けないでしょうし。ちょうどいいわ。あなた、最近ちょっと無理をし過ぎだから」
そんなことを言って、向枝は何かを白城の両目の上に置いた。
ひんやりとして気持ちいい――どうやら向枝が置いて行ってくれたのは、畳んだ濡れタオルのようだった。
しばらくは動けない。それは確かに、向枝の言う通りであった。
失った空気は既に十全に循環できる程に復帰している。だが、いかんせん身体の方が動かない。全身を、どこか甘い痺れのようなものが覆っている。あまり気を抜くと、このまま畳に沈み込んでいきそうなくらいだった。
先に受けた向枝の投げ技の衝撃によるものだけではない。
無理をし過ぎ。
そういうことだ。
「最近のあなたは自分を追い込み過ぎなのよ――まあ、私も経験のあることだし、わからないこともないけれど。それで自分の身体を壊しては本末転倒よ」
タオルで塞がれた薄闇のどこかで、向枝の声が聴こえる。声の大きさと反響から、どうやら壁際にいるらしい。
水分補給。
「高坂からも、少し控えさせるようにって言われてるのよ。……先々月以来、先月、今月と、暇さえあれば鍛練して、私や高坂と手合せして――あなた、ほとんど休んでいないでしょう。自分を苛め抜く能動鍛練も大事だけれど、休養することだってそれ以上に重要なのよ……何もしていない時間というものに、堪えられないんでしょうけど」
……耳に痛い。
それは、白城自身わかっていることなのだ。鍛練の方法は、十全な鍛練に必要なステップというものは、守護連に入隊して以来ずっと学んでいる。教わっている。
だが――黙って待ってはいられない。
徹頭徹尾、向枝の言う通りなのだ。
身体を動かしていないと、鍛え続けていないと、堪えられない。
静寂に堪えられない。
「急いでも――どれだけ急いでも、急いだ分だけ強くなれるわけではない。焦らなくても、今のあなたでも十分に強いわ。他圏の特務にも十分に匹敵している」
でも、勝てない。
狐には――勝てない。
ようやく動かせるようになった手で、タオルを額までずり上げる。見えるのは天井だ。
「まだ……足りないんです」
気付けば、そうつぶやいていた。小声だったために、迎えに聞こえていなければその方がいいと思ったが、微かにため息が聞こえたところから、残念ながら聞こえてしまっていたらしい。
「まあ、高坂は早く控えさせるようにって感じだったけれど、満足するまで――行きつくところまで、やってみてもいいと私は思うけれどね。でも本当に、身体は壊してはいけないわよ」
布ずれが聞こえる。向枝が着替えているのだろう。当然、更衣室は別にあるのだが、時間も時間であり同性しかいない、横着してふたりともここで着替えていた。
「ましてあなたはまだ学生――学業もあるんだから。鍛練の疲労で授業中に居眠りとかしてないでしょうね?」
急に俗っぽい話に移って、白城は思わず笑ってしまった。お陰でどこかで張りつめていた気も緩んでしまう。
白城の緊張が緩んだことが伝わったのだろう、向枝も小さく笑って、
「とにかくそういうわけだから、しばらく休みなさい。少なくとも今日一日は黙っていること。いいわね?」
「……はい」
それじゃあ、私は業務があるから先に行くわ、と言って向枝は荷物をまとめて道場を出ていった。鍵は置いていくからね、と。
はい、とそれにも小声で応じて、しかし白城はそのまま動かなかった。まだ動けなかった、という方が正確だが。
大の字に寝ころんだまま、白城はゆっくりと目を閉じた。




