03.鍛錬③
――どこへ踏み込んでいくべきか。
相対する向枝を見据えながら、白城は内心に考える。
どこへ踏み込み、どのように太刀を振るい、打ち込んでいくか。
回避されたらこうする、防御されたらこうする。普通ならばそう考える。それが定石で、当然だ。だが、
――武器に触れられてはならない。
その前提の上で、立ち回ることを想定する。
それは通常ありえない思考だが、今この場においてのみ必要な想定だった。
誰と相対しているかを考えたならば。
防御された場合は言うまでもないとして、回避された場合でも、泳いだ刃を掴まれれば終わりだ。
入る速度を、位置を、タイミングを何十とイメージし、木刀の柄部分の握りを微妙に変えていく。
今白城が担いでいる木刀は、全長が2メートルを超え、3メートル近くあるような長大なものだ。当然、その長さは白城本来の得物である“夕霧”に準じたものである。何の術式も付加されていないので、体感重量は“夕霧”よりも重いが、白城とて十分に鍛えている。それをハンデにするほどのものではない。
向かい合う向枝は無手だ。だが、向枝が彼女本来の武器である弓を取らず、徒手であることには理由がある。
「――ふ」
白城が前に出た。
息を呑んで、奥歯を噛み、木刀を握り込む。
滑るようにして前進する。構えは下段、向枝を下から切り上げる動きだ。
対する向枝は動かない。
ただ立つ向枝に、白城は高速で正面から接近し――しかし、突如として消えた。
白城の紺色の身が、一瞬で向枝の前から消失する。
だが勿論、いなくなったわけではない。先の接近を上回る速度で移動しただけだ。次の瞬間には、なんと白城は向枝の背後にいた。それも既に身構えは終わっており、攻撃動作に入る一瞬手前の姿勢だ。わずかに変えられた構えは、向枝の腰を横薙ぎに薙ぎ払う軌跡。
術式は用いられていない。この模擬戦でのルールだ。純粋に、身体能力だけの相対とする――だから、たった今白城が行ったのは、純粋な体術だ。
歩法。
縮地とも言う、高速移動の一種である。
先の接近を、あえて視認可能な速度で行ったのもこのためだ。急激に速度を変える事で、相手の動体視力を狂わせる。
相手の戸惑いは一瞬で十分だ。それだけで致命的な隙なのだから。
相手の視線は追いついていない。まして白城が回り込んだのは背後、死角だ。
既に白城は木刀を発射している。大きく弧を描く軌跡は、寸分違いなく向枝の腰を薙ぎに行く。
行った。
だが当たらなかった。
「――なっ」
手加減も躊躇いもしなかった。全力の速度だ。だが、薙いだ刀身に手応えは一切なかった。
白城の刃は空を薙ぐ。
「く……」
頭の振りは追いつかない。目線だけで消失した相手を探す。
右にはいない。左でもない。しかし背後にも気配はない。
上だ。
背面跳びの要領で身を孤に逸らした向枝が、今まさに白城の頭上を舞っていた。
――このっ、
前に踏んでいた右脚をさらに強く踏みしめ、その反力をもって刀の軌跡を強引に変える。頭上にいる向枝を縦割りに斬る軌道だ。
だが、
「――――!」
それすらも、躱された。
あろうことか向枝は、自由の利かないはずの空中で身を捻り、白城の刃を回避して見せた。
今度こそ為すすべなく、木刀は畳を抉る。
そして、二度の攻撃を避けきった向枝は、畳に叩きつけられた木刀の峰の上に着地した。く、と顎が上げられ、向枝の視線が白城を中央に据える。慌てて白城は身構えた。
白城の胸を、向枝の掌底が正面から打った。
「――ぁ」
今度は白城の身体が宙を舞った。それどころか、勢いで軽く滑空する。肺の空気をあらかた吐き出させられ、堪え切れずに喘ぐ。木刀の柄を手放さなかっただけでも大したものと言えよう。
だが、向枝はそれで止まらなかった。
空を飛ぶ白城に滑るようにして追いつき、衝撃で咄嗟に身動きできない白城を絡めるようにして捕る。
世界が回った。
何が起こったのかわからないままに、背から畳に叩きつけられた。
衝撃で、ただでさえ枯渇していた空気をさらに絞り出される。
「――が、ぁ」
空気を求めて全身で喘ぐ。しかし身体は思うように動かず、さらには意識も一瞬遠のいた。
……ああ。
ぜぃぜぃと激しく吸気を求める中で、苦みを舐める。
……負けた。




