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きみのこえはきこえない  作者: 菜胡
第二章
7/8

(2)保健室

/保健室


「どうやら寝不足みたいね。しばらくベットで休んだら大丈夫よ」

 薬品の独自な匂いが漂い、学内で唯一違う空気が流れるこの部屋の主、槙野まきのしずくが、体温計を振りながら笑顔を見せた。

「そうですか!よかったー!利堂くん、神奈大丈夫だって!寝不足だって!」

「聞こえてるっつーの」

 廊下で倒れた梭鷺を、俺はおぶってこの保健室まで運んだ。清水には教室に戻れと言ったのだが、結局ここまで付いてきやがった。梭鷺の状態を聞いて、飛んだり跳ねたりしている。……ちょっとは静かにできないのか。

 梭鷺は奥のベットで静かに寝息を立てている。良かった。一時はどうなることかと思った。確かにかなり具合が悪そうだったが、いきなり倒れるとは思ってもみなかった。

「ここは私に任せて、早くあなた達は教室に戻りなさい。先生が心配するわよ?」

 槙野先生はそう言いながら、椅子に腰かけた。……足を組むと、白衣から短いスカートが覗き、長い足が露わになる。しかも生足。槙野先生は若くて美人な先生だが、清楚なイメージの養護教諭からはかなりかけ離れている。ミニスカ生足って……先生として、いいのか?

「ん?」

 そんな先生の白衣から微かに覗く腕は、なぜかその白衣と同じくらいに白かった。

「先生、その腕……」

 俺が指摘すると、先生はああ、と袖を捲り上げた。予想通り、細い腕が見事に真っ白な包帯で包み込まれている。

「ちょっとね、うちの犬に噛まれちゃって」

「はぁ、それは……お大事に」

 先生は犬を飼っているのか。飼い犬に噛まれるだなんて、なんともご愁傷様だ。

 すると、先生は優美に微笑んだ。

「気づいてくれたの利堂君だけよ。ありがとう。先生嬉しいわ」

「あ、いえ……」

 俺が曖昧に答えると、清水が横から肘でど突いてきた。

「な、なんだよ」

 清水は俺をじろりと睨みながら「帰ろ」と短く言った。

 その様子を見て、先生は何か可笑しかったのか、笑い声をあげた。

「あはは。利堂君あなたって結構罪な男なのね。青春っていいわー」

 は?何言ってんだ?

 先生はそう言いながら清水を見る。清水はどこかかんに障ったのか、小動物のように唸りながら先生を威嚇いかくしている。

「それじゃあね。梭鷺さんが起きたら知らせに行くわ」

「利堂くんじゃなくて私のとこにお願いします」

 清水はそう言うと、ぷいっとよそを向いてさっさと廊下へと出て行ってしまった。

「あ、おいっ!待てよ!」

 なんだかよく分からなかったが、置いていかれるのはちょっと嫌だ。

「あ、ちょっと待って」

 先生の声に、俺は速めた足を止め、振り返る。

 槙野先生は優雅に微笑んだ。

「利堂君、あんまり梭鷺さんと仲良くしない方がいいんじゃない?」




 昼休み、そして放課後になっても槙野先生は現れなかった。

「どうしたんだろ……まだ神奈起きてないのかな?」

「さあ……」

 俺は梭鷺の席を見る。鞄がまだ横にぶら下がったまま。しばらく教室で待ってはみたが、一向に戻ってくる気配はない。

「利堂くん、神奈迎えに行こ。もうすぐ下校時間だし、早く帰らないとまた怒られちゃう」

「そうだな」

 俺と清水は、自分と梭鷺の荷物を持って教室を後にする。廊下に出ると、昼のざわめきが嘘のように閑散としていた。

 部活動が中止された今、生徒はもちろん、先生達も早めに帰宅している。現在残っているのはたぶん俺達ぐらいだろう。外の強い風で、窓が軋む音だけが響く。

「なんかお化け出そう……ちょっとくっついてもいい?」

「は?やめろ」

「なんでよケチ」

 そう言って清水は足を速める。いや、いきなりなんだよこいつは……。

 二つの足音を響かせながら階段を下り、保健室を目指す。

 ふと、今朝言われた槙野先生の言葉が頭を過ぎった。『あまり梭鷺さんと仲良くしない方がいいんじゃない?』……あれは、一体どういう意味だろう?

 どうして槙野先生は去り際にあんなことを言ったのか。

 しかも俺に。

 どうしてだろう。正直、俺と先生は面識ないに等しいのに。梭鷺の方はよく知らないが、なんで仲良くしない方がいいんだ?

 ……なんで?

「利堂くん?おーい」

「ん?」

 清水の声に呼び起されると、もう目の前が保健室だということに気付いた。

「どーしたの?考え事?」

「あ、いや……まあ、な」

 もういいや。訳分からん。考えるのはやめよう。

 仲良くするとかしないとか、そんなの俺の勝手だろ?先生なんかに指図されるもんじゃない。ましてや梭鷺は……優しいし、いい奴だ。

「失礼しまーす。槙野センセー?」

 清水がドアをノックする。しかし、中からは物音ひとつ返ってこなかった。

「あれれ?もう帰っちゃったのかな」

「さあ。職員室じゃね?」

「うーん……ま、入っていいよね」

「いいだろ。開いてんのなら」

 清水はドアに手をかける。

「神奈―むっかえに来たよー」

 そして、一気に開けた。



「わっ!!」

 いきなり強い風が俺達を襲った。思わず目を塞ぐ。

「な、なんだ?」

 そしてゆっくりと目を開けた。



「――――っ!!!」



 言葉が、出ない。

 目の前の光景に唖然としてしまった。

 保健室。そこは真っ白なベットとカーテンが並び、清潔感の溢れる場所。それが本来あるべき姿。

 でも、今は――

 床に散らばるガラスの欠片。荒らされた薬棚。こぼれる薬液。風に舞う大量の書類――

 その真ん中に梭鷺神奈は佇んでいた。

「えっ、梭鷺……?」

 返事はない。梭鷺は俺達に背を向けたまま、風が吹き込む窓の外を眺めている。

「神奈!これ……どっどうしたの?」

 清水の声にも返事はない。いや、聞こえていないのか、俺達の存在すら気付いていないようだった。

 荒らされた保健室。そしてその中央に梭鷺。

 彼女はどこか遠くを見つめている。

 そんな後姿は、梭鷺であって梭鷺じゃないような――そんな、

「!?」

 またいきなり、梭鷺の体が後ろへと傾いた。俺は破片を踏みつけながら咄嗟に走り出し、今度こそ倒れるのを防いだ。

「梭鷺!しっかりしろ!」

「神奈っ!」

 さっきおぶった時も思ったが、支えた梭鷺の体は、何も食べてないんじゃないかってほど軽く、顔が真っ青だった。そして、腕には新しい傷跡。きっとこのガラス破片で切ってしまったのだろう。床には転々と血が染みついていた。

「清水!先生呼んで来い!」

「う、うん!」

 清水が走り出そうとした時、梭鷺が「んっ……」と苦しそうに唸った。清水の足が止まる。

「梭鷺!」

 俺が大きく呼びかけると、梭鷺はゆっくりと瞼を開いた。

「あ……れ……?ここ……」

 そして、俺と目が合う。

「あ……利堂君……?なん……で」

「大丈夫か?お前倒れたんだぞ?」

「え……?」

 梭鷺は俺の腕から離れて辺りを見回した。まるで、初めて見るかのように。

「な、なにこれ……。ここ……何かあったの?」

「えっ」

 思わず俺と清水は声を上げてしまった。

 梭鷺は不思議そうに首を傾げる。

「お前……もしかして覚えてないのか?」

 梭鷺は茫然と俺の目を見つめ返すだけだった。


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