(1)沈黙
闇に沈んだ町から、鮮やかな音色が聞こえてくる。
――ああ、またか。
その音色は自分から発せられている。月に照らされ銀色に輝くフルートの音色。
――そう、これは夢。悪い夢だ。
動く私の指。でも私の指ではない。もう一人の私の、指。
ふいに演奏が止まった。
視線の先には、見覚えのある人影が歩いている。
――いや、やめて。
私はフルートとは別の、銀色に輝く“それ”をその人影に掲げた。
そして振り下ろす。
銀色が、その鋭い先端が、鮮やかな赤色に染まる。
――ああ、この感触は、
夢じゃ、ない。
/沈黙
翌朝、俺は教室ではなく、生徒指導室にいた。
普通なら朝自習の時間なのだが、いきなり担任に呼ばれ、ここまで連行されたのだ。教室の半分もない小さなスペースに、大きなテーブルとお揃いの椅子が並ぶ、殺風景な部屋。しかも隣には清水と梭鷺もいるし。清水ならともかく、俺と梭鷺はこんな場所に朝から呼ばれる覚えはない。先生も呼んだならさっさと用件を言えばいいのに、三人揃うと何処かへ消えてしまった。一体なんなんだ。
「清水、お前なにやらかしたんだよ」
「えーなんにもしてないよー!こんなとこ初めてだし!利堂くんこそ何やらかしたの?」
「俺は校則に反するようなことはしてねぇよ」
そうだ。俺は真面目に生きているのだ。校則を破るなんてそんな……遅刻とかサボりは含まれねぇはずだ。
「というか、神奈も一緒っていうのが引っかかるんだよね……はっ!もしや昨日寄り道するなって言われてたのに、行っちゃったから!?」
それごときでこんな場所に朝から呼び出されたくない。だがしかし、真面目で大人しい梭鷺がいてこのメンバーであれば、そのことしか考えられない。
「いや、そしたら蔦漆もいるはずだろ」
あいつがいくら優等生だからって、そんな差別があっちゃダメだろう。
そういえば、今日はまだ一度も会っていないな。教室にはいなかったような気がする。まだ来てないのか?
「そういえば、七夜っていっつも来るの早いのに、今日どうしたんだろ」
清水も同じ疑問を口にする。
風邪でも引いたのだろうか。昨日の夜はかなり冷え込んでいたし。今日も北風が強く、窓を小刻みに揺らしている。
ふと、梭鷺が静かなので気になって視線を移すと、体調が悪そうに俯いていた。長い髪でよく見えないが、顔色もよくなさそうだ。保健室に行かなくて大丈夫だろうか。
声を掛けようとすると、生徒指導室のドアが音を立てて開いた。
「すまんな、待たせた」
そう言って入ってきたのは、俺達の担任である荻崇だった。教科は数学なのだが、見かけは爽やかなスポーツマンで、初めは体育教師かと思うぐらいだ。まだ若手の部類に入る先生だろうが、指導力もあるし、話しやすいし、生徒にも人気だ。
「荻セン遅いですよー。朝からこんなとこに呼び出して。一体なんなんですかぁ?」
清水が頬を膨らませながらぼやく。ちなみに荻センとは先生のあだ名だ。
「悪いな。ちょっと、取り込んでて」
そう言う先生はかなり深刻そうな顔をしていた。悪いことをした生徒を今から叱ろうとする雰囲気ではない。
横並びで座る俺達の対面に座り、真剣な眼差しを向ける。
「お前たちに聞きたいことがあって集まってもらった。昨日の放課後、蔦漆と一緒にいたんだよな?」
「はい、そうですけど……」
それがどうしたんだろうか。そう答えると、荻センの表情が一層曇った。そして、歯切れが悪そうに言葉を紡ぐ。
「実は」
なんとなく、嫌な予感がした。
「蔦漆が――行方不明なんだ」
「えっ?」
ゆくえ、ふめい……?蔦漆が……?
荻センが言っている意味がよく分からない。
「いっ一体どういうことですか?」
清水が慌てて問いかける。
「ああ……昨日の夜からずっと帰ってこないらしい。携帯も繋がらなくて、連絡がとれない。今朝になっても帰ってこないから、これから警察に届けるつもりだそうだ」
「そんな……嘘……」
昨日のことを思い出す。別れ際、ケーキを作ってくれる約束をして、そしてそのまま遠ざかる蔦漆の影。
まさか、あのまま帰っていないというのか?
突然の知らせに戸惑いを隠せない俺達に反して、荻センは落ち着いて話を続けた。
「クラスの中ではお前らが一番蔦漆と仲がいいし、昨日一緒にいるところを見たって言う先生がいてな。その、なにか心当たりはないか?」
昨日の蔦漆の様子を思い出しても、特に変わった様子は……ない。
「心当たりない……です。昨日はケーキ屋にみんなで行って、それから俺と蔦漆は一緒に帰って……でも途中で分かれました」
そう言うと、荻センは心底呆れたようにため息を吐いた。
「お前ら、なんで部活が中止になったか分かってんのか?寄り道するなと何度も行ったはずだろ?」
「すみません……」
「荻セン、ケーキが割引だったんですよ?その日までだったんですよ?文句を言うならあの店に言ってくださいよ」
いや問題はそこじゃないだろ。
「清水、君とは話が通じないので黙っときなさい」
「ええっ!ヒドッ!」
先生ナイス判断。清水はそう言いながらも口を閉ざした。しばらく沈黙が漂う。
「……梭鷺は、どうだ?」
荻センは静かに問いかける。視線を移すと、梭鷺は俯いたまま、こちら側からは全く表情が見えない。先生の問いかけに、静かに首を振るだけだった。
「そうか……」
再び、沈黙が落ちる。
昨日、蔦漆に家まで送ろうかと問いかけると、蔦漆は首を横に振った。今更後悔しても仕方のないことなのかもしれない。でももし、もしあの時、俺が蔦漆をちゃんと家まで送ってさえすれば、こんなことにならなかったんじゃないか?今のこの町の状況を知っているくせに、あいつがなんと言おうと、送ってやれば……。その思いが、胸に重く、鋭くのしかかる。
本当に、なんで。
「……まあ、蔦漆が一度家に帰ってきた形跡はあるらしい。母親が夜勤明けで帰ったら、テーブルに母親分の夕食がラップされてあって、学生鞄も制服もあったそうだ」
「えっそうなんですか?」
なら……俺と別れた後、家には無事に帰ったってことか。それから夕食を作って、また出かけた……?
「母親によると、最近、蔦漆は夜に出かけていることが多くなったそうだ。でもいつも日付が変わる前には帰ってくるらしい……が、な」
帰ってこなかった。日付がたっても、朝になっても――蔦漆は帰ってこなかった。
一体、何のために出かけていたのだろう。こんな……こんな、危ない時に。
「お前たち、ほんとに何も心当たりないか?蔦漆から何か聞いてないか?」
先生は念を押して問いかける。最後の望みだと言わんばかりに。
しかし、俺達は、首を横に振ることしかできなかった。
「……そうか。悪かったな呼び出して。ありがとう。もう、教室に戻っていいぞ」
そう言って先生は優しく笑った。
「一時間目なんだっけ?英語?それとも国語だっけ?」
俺達は生徒指導室から出て、自分達の教室へと向かっていた。
「……英語」
「あ、そっか。英語だよねー。……あれ?持ってきたっけかな?」
そう言って清水は首を傾げる。
……こいつはいつも通りだなぁ。今の話を聞いても、なにも変わらない。それは、無理してやっているのだろうか。
それとも、本当に何も――
「利堂くん、大丈夫だよ」
「え?」
清水は急に立ち止まり、俺の方へと振り返った。
「七夜のことでしょ?大丈夫だよ。だってあの七夜だよ?しっかりしてるし、強いし。すぐ帰ってくるって」
「……でも」
今この町で行方不明ということは――
「もう!でもじゃないよ!私達が信じなくて、一体どーするの!」
「…………」
清水は珍しく真剣な表情を見せ、真っ直ぐと俺の目を捉える。
なんと、あの清水に説教されるとは。
「……そうだな」
俺は頷いた。そうだ。大丈夫だ。きっとすぐ見つかってなんでもなかったことになる。信じなかったら、もうそれでお終いだ。
この町の事件に、俺達が関わるはずがない。
「ね?だから、神奈もだいじょーぶだよ!元気出して!」
清水は笑って梭鷺に声をかけた。けれどやっぱり梭鷺は俯いたまま全く反応がない。
すると、一時間目の本鈴が校舎内に響き渡った。
「ふぁっ!やっば。早く教室行こっ!」
俺と清水は足を速める。だが梭鷺はその本鈴にも反応していないのか、その場から動こうという気配がない。
ずっと無言のまま。ずっと俯いたまま。
「おい梭鷺!早く」
俺は梭鷺の腕を掴んだ。
――いや、掴めなかった。
「っ!さ、梭鷺!」
「えっ?」
清水が咄嗟に振り向いた。
梭鷺の体は、俺が腕を掴む前に、廊下へと倒れ込んでしまった。




