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一鬼夜行

掲載日:2013/04/09

殺してやりたい。

確かに本気で思っていた。


結婚すら疑いもしない関係であったはずだった。

彼の態度がよそよそしくなり始めたのは去年の暮れ頃。

彼女の存在に気がついたのは年が明けてから。


そんな私の気付きよりずっと前からその関係は始まっていたのだ。

出世と金と名誉のためにあんなつまらない箱入り娘に本気になるなんて

思ってもいなかったから少しの間は放って置いた。

それでも、世間知らずなお嬢様は私が思っていたよりずっとあざとくて

いつの間にか彼を自分の心の中に攫っていった。


それに気付いたのはつい最近で。

何も言わないけど、ぎこちない彼の態度は総てを物語っているようなものだった。

その裏でほくそ笑んでいるあのお嬢様の顔を思い浮かべたら

はらわたの煮えくり返るような思いはどうしたって消せるものではなかった。


二人がいつどこで会っているかも想像はついていたけど

そんなつもりが始めからあったわけではない。

ただ、少し覗くだけの軽い好奇心だった。

彼女が私にあんな不敵な笑みさえ浮かべなければ

足早にその場を立ち去るつもりだった。


激昂した感情はもう手に負えるものではなくて。

その刃物をいつどうして手にしたかも覚えていない。

気がついたら、辺りは真っ赤な血の海で

そこに横たわる二人の身体は

まるで決意の上での心中のようだった。


こんな姿になってまで結びついている様を見せ付けられた敗北感。

悔しさと恐ろしさに私は思わずその部屋を飛び出した。


外は既に闇が世界を覆っていた。

むら雲のかかった月が妖しげに霞んで薄い光を漂わせている。

そこは見事な桜並木の連なる大きな通り道。

満開の桜が朧げな妖しい月明かりを受けて白々と闇夜に浮かんで見えた。

そう遅い時間でもないのに往来に人影はなく、それどころか車の通る気配も無い。


完全なる静寂が当たり一面を支配していた。


見事なまでの満開の桜と漆黒の闇。

そよそよと漂う風は生暖かい。

やがて強まり始めた風が桜の花びらを舞い躍らせる。


桜吹雪が宙を舞う。


誰もいないその中で、一人の女がこちらを向いて立っていた。

白装束に身を包み、漆黒の長い髪が風にさらりと靡いている。

顔に能面のようなものを当てて、その人は桜の木の陰から静かにこちらを覗いていた。


本当は驚くような状況なのだろう。

しかし私はその情景と彼女がそこに居る事への違和感のなさに

まるで当たり前の何かを見ているようにただその場に立ち尽くしていた。


そして俄かにぞっとする。

風に踊る桜の花びらと柔らかな月の明かりが映し出す彼女の存在の妖しい美しさに。


彼女はゆっくりと能面を持った手を下ろした。

その時私は初めて心の奥底から静かにじんわりと込みあげてくる恐怖を感じていた。


あれは鬼だ。


真っ白な肌に真っ赤な眼をしたその女は私と同じ顔をしてこちらに向かって笑みを浮かべた。

途端に恐ろしくなって逃げ出したかったが、足がすくんで動けない。

その鬼は何をするでもなくただじっと私に向かって薄っすらとした笑みを向けているだけだ。


恐い

そう思いながらも私はその鬼から眼を背けることができない。

真っ赤な眼が私を捉えて離さない。


ああ、違う。


その時ふとそんな言葉が脳裏を掠めた。

真っ赤な眼に二本の小さな角と口からむき出しの牙。


あれは私だ。

鬼の私が私を見ている。

凡そ人でない所業に手を染めた、あれは私の心だ。


途端に私の目に涙が滲む。

後悔と悔しさと恐怖と、えもいわれぬ感情が怒涛のように押し寄せて心の中をかき乱す。


どうして、こんなことに、いや、もういやだ


立っていることすらできなくてその場に蹲りそうになったとき

緩やかだった風が突風に変わり、一斉に桜を空へと舞い上げた。

桜吹雪に包まれて思わず目を瞑る。

激しい風が辺りと私を叩きつけ、自分がどこにいるのかさえわからなくなった。


やがてゆっくりと風がやみ、辺りがまた静けさを取り戻す。

私は静かに目を開きあの鬼がいた場所に目を向けた。

そこには既に誰もいない。


それどころか、先程まで誰もいなかった大通りには人が溢れて車も走っている。

ちょうど桜祭りが行われているこの時期。

夜桜はライトアップされ、見物人で賑わいを見せていた。


誰もいなかったはずなのに


ふと、空を見上げる。

満開の桜の枝の隙間に見える十六夜の月は浩々と辺り一面を照らし出している。

何が起こったのか理解できなかったが、私は徐にあの部屋へと足を向けていた。


あの二人は死んでいるのだろう。

戻ることに恐怖はなかった。

ただ、確かめたかったのだ。


彼の部屋の呼び鈴を鳴らす。

彼は気まずい顔をして、ドアを開けた。

その向こうに嘲るような笑みを浮かべた彼女が見える。


私は何も言わずに彼の頬を思いっきりひっぱたいて、そのまま振り返りもせずに歩き出した。

その後ろで、彼が静かにドアを閉める気配がした。


また、あの大通りに出る。

先程鬼がいた場所は、まるで何事もなかったように気配が変わっていた。


百鬼夜行に合うと命をとられることもあるらしい。

あの鬼はたった一人で現れて、私の心を喰らっていった。

まるで修羅の如く人の様を失った私の心を。


大凡、非現実的なことが起きたのに私の心は穏やかだった。

心に巣食う魔性のものはいつの間にやらやってきて気付かぬうちに少しずつ心を蝕んでゆく。

それにすら気付かずに人は修羅へと身を落とす。


あれは幻だったのか。

どこからが幻でどこからが現だったのか。


しかしそれも、もうどうでも良かった。

美しい夜桜と霞掛かった月を愛でながら、私はすっかり洗われたような心持ちで

ゆっくりと家路へ着いた。


白装束のあの鬼がもう二度と目の前に現れぬようにと。

そう心に願いながら。


即興小説トレで書いた作品です。

他にも「なつ」でUPしてます。

良かったら検索してみてください<(_ _)>

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