価値のつかない星
この星では、ほとんどすべてのものに値段がついていた。
水を飲むにも、空気を吸うにも、眠りにつくにも、所定の料金が発生する。生まれるには出生権を購入し、死ぬには死亡手続きを申請する。誰もそれを不思議とは思わなかった。価格があるからこそ、秩序が保たれる。秩序があるからこそ、社会は安定する。そう信じられていたし、疑う理由もなかった。
ユリウスは、その秩序を支える側の人間だった。
価格査定官――新たに発見された資源や現象、あるいは人間の行為に対して数値を与え、市場に流通させる役目。彼はその仕事を、単なる事務作業以上のものだと考えていた。曖昧なものに値段を与え、世界を可視化する。混沌を切り分け、社会を前へ進める。そこには、確かな使命感があった。
争いは、値段が決まらないところから生まれる。
それが、この星で繰り返し教え込まれてきた真理だった。
だからこそ、彼は特命を受けたとき、内心で胸を張った。
第七区画――地図の上で、ただ白く塗り残された領域。かつて開拓が試みられ、そして理由も記録されぬまま放棄された場所だという。噂はいくつもあったが、どれも曖昧で、評価に値しないものばかりだった。
「利益にならない」
「測定不能」
「価格が定まらない」
ユリウスは、それらを一笑に付した。測れないものなど存在しない。あるとすれば、それは測る努力を怠った人間の言い訳だ。
彼は単身、第七区画へ向かった。
そこには、彼の知る都市の風景はなかった。工場の排気音も、広告塔の光も、時間を刻む管理音声もない。ただ、低い建物が点在する、小さな集落があった。
人々は貨幣を持っていなかった。交換もしなければ、労働時間を記録することもない。誰かが畑を耕し、誰かが壊れた屋根を直し、誰かが子どもの相手をしている。それらは役割というより、流れのように行われていた。
ユリウスは、理解できずに立ち尽くした。
「あなた方は……どうやって生活を?」
問いかけると、年老いた女が彼を見上げ、ゆっくりと微笑んだ。
「生活? 生きているから、生きているだけさ」
その言葉を、彼は記録しようとして、手を止めた。
端末の入力欄が、ひどく空虚に見えた。
医療はどうしているのか、教育は、老後の保障は――彼は次々と質問を重ねた。女は一つひとつに答えたが、そのどれもが、彼の評価基準からは滑り落ちていった。
誰かが倒れれば、近くにいる者が手を貸す。
子どもは、大人の背中を見て覚える。
老いれば、日向に座る。
女が指差した先には、柔らかな陽だまりがあった。
数日間、ユリウスは集落に滞在した。観察を続けるほど、違和感は膨らんでいった。彼らは決して勤勉ではないが、怠惰でもない。貧しく見えるが、欠乏しているわけでもない。そして何より、誰一人として「もっと欲しい」と口にしなかった。
そのとき、彼ははっきりと理解してしまった。
この場所には、価格がつかないのではない。
価格を必要としていないのだ。
それは、この星の資本主義にとって、致命的な欠陥だった。
ユリウスは管理庁へ報告書を送った。言葉を選び、慎重に書いたつもりだったが、結論は変えられなかった。
――経済的価値の算出は不可能。投資対象として不適格。
返答は、驚くほど早かった。
「了解した。第七区画は非効率区域として再開発する」
その言葉が意味するものを、彼は知っていた。再開発とは、すなわち破壊であり、再構築であり、価値への変換だった。
集落に戻ると、すでに空は工事艦に覆われていた。
「逃げてください」
彼の声は、ひどく場違いに響いた。
「どこへ行けばいいんだい?」
誰かがそう言ったとき、ユリウスは言葉を失った。この星のどこにも、価格のつかない場所など存在しない。
地面は掘り返され、空気は管理され、時間は細かく区切られていった。最後に残った陽だまりにも、金属製の札が打ち込まれた。
一時間あたり、〇・三クレジット。
その瞬間、陽だまりは資源になった。
ユリウスは職を辞した。だが、社会は彼を逃がさなかった。沈黙には慰謝料が、後悔には娯楽的価値が、記憶には商品番号が与えられた。
彼はようやく悟った。
資本主義は、人間を壊すのではない。
人間であることを、例外なく価値に変えるのだ。
価値にされたものは、必ず消費される。
価格のつかない星は、どこにもない。
なぜなら、人間そのものが、最も売れる商品だからだ。




